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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第二章

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08.落ち着く場所


「行くぞ。早く乗れ」


朝の玄関で、ヒヨクがいつものようにナナミーに背を向けて屈んでくれた。

だけどナナミーは、いつものようにヒヨクの肩に手を置く事が出来なかった。



昨日のラニカの、「当分はヒヨクさんのお屋敷に住むのはしょうがないけど、ヒヨクさんに背負ってもらうのは止めなさい」という忠告が引っかかって、背負ってもらう事に気が引けていたからだ。


続く言葉は途中でヒヨクに遮られていたが、あの後にはきっと、「じゃないと牢獄に連れて行かれるわよ」と続いていただろう。


昨日の夕方にユキは、「牢獄なんかに連れて行かれる事はないですよ」と言ってくれたが、いつだって危険を告げる忠告は無視すべきではない。

弱小種族の本能が、「でも、もし」とナナミーを不安にさせるのだ。


罪人になるのは怖い。

薄暗い牢屋も、走り回るネズミも、カピカピのパンも絶対に嫌だ。シマシマの囚人服も着たくない。


「今日から私、走って行こうと思うんです」


『走るなんて人生で何度かしか挑戦した事がないけど、しょうがない』と諦めて、ナナミーはヒヨクに宣言する。




「あ?朝からふざけんなよ。お前が走ったところで、始業時間に間に合うわけねえだろう?仕事舐めてるのか?」


朝から怒られて身を縮ませたナナミーに、ヒヨクは「しょうがねえな」と言ってナナミーの前に立ち、グイッと抱き上げてくれた。


「背負わなきゃいいんだろ?」とスタスタと歩き出してしまう。



ナナミーは『抱き上げられるのもダメじゃないかな……』と思ったが、朝から明らかに不機嫌そうなヒヨクに反論する勇気は出なかった。


そんな怖いもの知らずにはなれるわけがない。

投獄の危険よりも危険ある行為だ。


ナナミーはなるべく目立たないように小さく身を屈めて、ヒヨクのスーツに付けたブローチになり切って、静かにヒヨクに張り付いておく。



 


ピタリと張り付いてじっとしていたら、しばらくすると、なぜか不安がやわらいでいった。投獄への恐怖も薄れていく。


気持ちが落ち着いたので、丸めていた背中を伸ばすと、少し高く上げてくれた。


「わ〜……」


抱き上げられて見える景色は、背負ってもらう時に見える景色よりも高かった。

雨の日と同じように抱き上げてくれているが、今日は雨は降っていない。傘に遮られずに見える景色は、少し高さが変わるだけで違って見えた。いつもより地面が遠い。


木の下を通ると、いつも見ている木の枝が、いつもより近くに見えた。


木の枝に向かって片手を伸ばすと、もっと高く上げてくれて、一段と木の枝が近くなった。

立ち止まってくれたので、葉っぱを一枚プチとつかみ取る。


「葉っぱだ……!」


高い木の葉っぱが取れた事が嬉しくて、眺めた後の葉っぱはヒヨクの髪に付けておく。


もっと高い景色が見たくて、肩に両手を置いてグッと背筋を伸ばすと、もっと高い位置に上げてくれた。

ヒヨクの肩で腕を伸ばして見える景色は、ヒヨクの背を越える高さだ。

いつもの風景が、今まで見た事のない高さから見下ろす事ができた。


高い所からの眺めはとても気持ちを大きくする。

それに強くなった気分にもなる。

世界一偉い王様か、世界一強い勇者になった気分だ。


『牢獄がなんた!』

『走り回るネズミがなんだ!』

『シマシマの服がなんだ!』


怯えていたものが、とても小さな事のように思えてくる。


晴れた空はとてもキレイな青色で、『この空に一番近い所にいるのは私かもしれない』と思うと、気分がぐんと上がった。

歌いたい気分になる。


世界を見下ろしながら、「ナッ!ナッ!ナナッ!ナナナーン♪」と力強く歌を歌う。








肩の上で部下がいつもより元気な声で歌っている。


『相変わらず変な歌歌いやがって』と思いながらも、悪い気分ではなかった。部下の歌声は不思議と心を落ち着かせる。


部下の、このちょうどいい抱え心地と、この呑気な歌声が効くのだろうか。


昨日のラニカの言葉に、ずっとハラワタが煮えくりかえる思いでいたが、今はそんな事はどうでもよく思えてきていた。


それより気になるのは、どんどんよじ登っていきたがる抱えた部下だ。『危ねえだろうが』と、両手で支えてやる。


わざわざ立ち止まって、木から取らせてやった葉っぱは、髪に付けられてしまっているが、『しょうがねえな。コイツは()()使える部下だからな』と、何も言わないでやる事にした。



出かける前の玄関での部下の言葉に、『ラニカのヤロウ……』と思わず部下への言葉がキツくなってしまったが、機嫌良く歌う部下は今はもう気にしていないようだ。


『怯えさせたか?』と重くなっていた心も軽くなっていて、ヒヨクは機嫌良く部下を抱えて会社に向かう。









「あら。ナナミー、今日は抱えてもらってきたの?」


書類から顔を上げたラニカに、今日もナナミーは声をかけられる。


「あ、はい。おはようございます、ラニカさん」


ラニカは挨拶をしたナナミーに軽く頷くと、ヒヨクにこれ見よがしにため息をついた。


「もう……本当にヒヨクさんってやる事が幼稚ね。

ナナミーを当て馬にして、私に気持ちを自覚させようって魂胆なんでしょう?悪いけど、私に嫉妬させようったって無駄よ。こういう小細工は嫌いなの」


「そうかよ」


いつもならばここで怒鳴り返すはずのヒヨクが、ラニカの言葉を軽く流して、自分の席についていた。

屋敷を出る時は機嫌が悪そうに見えたが、実は機嫌が良かったらしい。



「ナナミー、ヒヨクさんがごめんなさいね。私の気を引くためにナナミーを使うなんて、嫌になっちゃうわ。

でも安心して?つがいの証が正式に認められたら、私も諦めて、ヒョクさんの屋敷に行くつもりよ。私は国の義務に背くつもりはないもの」


ラニカが嫌そうにフッと笑う。

そして気分を変えるように、明るい声でナナミーに言葉を続けた。


「そんなことよりナナミー、聞いてちょうだい。

昨日帰ってから、寮の子達にナナミーの事を話したら、特に男の子達が「大歓迎だ」って盛り上がっていたわよ。ふふふ。ナナミーってモテるのね。今度の休みにうちの寮に遊びに―」

「ナナミー!早く今日の書類を取りに来い!残業がねえんだから、誰よりも早く仕事に入れ!」



今日のヒヨクは機嫌が良いと思って油断したら、やっぱり今朝も朝イチで鬼畜な言葉をかけてきた。

ナナミーはサッとヒヨクのデスクに向かい、サッと書類を受け取って、すぐにカリカリとペンを動かす。






書類を片付けていきながら、ナナミーはラニカの、「つがいの証が正式に認められたら」という言葉が、チクリチクリと胸を刺していた。


ラニカがヒヨクの運命のつがいとして正式に認められたら、ナナミーはヒヨクの側にいる事は出来なくなるだろう。

屋敷だって出て行かなくてはいけない。


――それは当然の事だ。



『私もつがいの証を持ってるって名乗り出る?』


今でも時折り浮かぶ思いつきに、ナナミーは『もう負けたんだし』とまたすぐに諦める。


いつだって素敵なものは、ナナミーではない他の人のものだ。

素敵な景色を見せてくれたヒヨクも、ラニカのものだ。


力が全てのこの世界では、諦める事が肝心なのだ。


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