03.運命のつがい(仮)
目の前で言い争いは続いている。
ラニカがヒヨクに向かって、はあっとこれ見よがしに大きなため息をついた。
「国民の義務だからしょうがないと思って、運命のつがいを名乗り出てあげたのに、ヒヨクさんは運命のつがいとしてまだまだ未熟者ね。全然分かってないわ」
『本当にしょうがない人ね』というかのように首を振るラニカに、ヒヨクがギリッと奥歯を鳴らした。
「未熟者はテメェの方だろ。そもそもそんな中途半端なアザで名乗り出て来んなよ。アザの形が一致しても、色が薄過ぎるだろが。もうすぐ消えんじゃねえのか?
だいたい、正式に認められるまで、俺の運命のつがいを名乗るなって言っただろう?「仮」だって事、もう忘れたのか?寝ぼけてんなよ」
「仮?」
思わず口にしてしまった言葉に、ヒヨクとラニカの目がナナミーに向いた。
『怖っ!』
――ナナミーに向ける二人の顔が怖い。
相手を睨みたいなら、相手に向けてほしい。
ヒヨクが口を歪ませて笑いながら、ナナミーに事情を話してくれる。
「この女のアザが、アザなんて言えねえくらいに薄いんだよ。こんなんで、「仮」でも運命のつがいだと認める協会も協会だが、名乗り出てくるこの女もこの女だと思わねえか?ふざけてるだろ?
名乗り出るなら、もっと確信を持てるくらいのアザを持ってから出てこいって、お前からも言ってやれよ」
―――やめてほしい。
ヒヨクがナナミーに説明すると見せかけて、ラニカに嫌味を投げつけていた。
「そうですね」と同意しても、「いやそれは……」と意義を唱えても、打つ相槌に危険しかない。
ナナミーは聞こえなかったフリをして視線をそらす。
ラニカが口の端を上げただけの笑顔で、ナナミーに話しかけてくる。
「やあね。無知って本当に怖いわね。現れたてのアザは色が薄いって、子供でも知っている事よ?そんな常識をアザ持ちの男が知らないなんて、無知なんて言葉で片付けていいのかしら?
ヒヨクさんは仕事が出来るって聞いていたけど、きっと部下が優秀だったのね。あなた今まで大変だったでしょう?」
―――やめてほしい。
ラニカがナナミーに同情するフリをしながら、ヒヨクに嫌味を投げつけていた。
今まで大変だった事は事実だが、「そうなんですよ」と同意したら危険しかない言葉に、ナナミーはキュッと口を結んだ。
強い者同士の言い争いに口を挟むなど、愚の骨頂も甚だしい。
こういう時は諍いに巻き込まれないよう、周りの空気に溶け込むべきだ。
ナナミーは『私は今、あそこに気を取られているから、何も聞こえませんよ』という顔をして、協会の壁にかかった時計を睨んでやった。
「――そうだね、ナナミーくん。相変わらず素晴らしい仕事ぶりだ。何も言わずに間違いを諭すなんて、さすがだね。
確かにあのポスターが示す通り、確信がなくとも名乗り出る事が大事なんだよ。ナナミーくんは「アザの色が薄くても、名乗り出たラニカさんの勇気は美しい」と、そうヒヨク様に伝えたかったんだね」
元上司のサイモンが、ナナミーを褒めてくれた。
心当たりのない褒め言葉にサイモンを見ると、サイモンが『頑張ったね』というように、コクリと頷いてくれる。
やっぱりよく分からなくて、「あのポスター」とサイモンが指差す先を見ると、ナナミーの見ていた時計の下に、見慣れないポスターが貼ってあった。
貼られたポスターは、つがい検査申し込みの推進ポスターだった。
〈その勇気が美しい〉と極太文字のタイトルが入ったポスターは、つがい検査申し込み書を持った女の子が、「名乗り出る事が大事なのよ」とふき出し付きで笑っていた。
―――ポスターが「名乗り出る事が大事なのよ」と、ナナミーを静かに諭していた。
ナナミーはポスターをじっと見つめる。
『でもこんな雰囲気の中、今さら名乗り出られないよ』と、キュッと目をつむる。
そうっと目を開けると、やっぱりポスターが「大事なのよ」と諭している。
それでもナナミーは名乗り出る勇気が持てず、『無理だよ』と心の中で言葉を返す。
「ナナミー、もういいわ。そんなにヒヨクさんを責めなくても、私は大丈夫よ。
ヒョウ族の元上司に臆する事なく、黙して諌めるなんて、あなたやるわね。上司の私を庇おうとするあなたの忠誠心、気に入ったわ」
ポスターから目が離せずにいたナナミーに、ラニカがニヤリと微笑んだ。
「――おいラニカ」
ヒヨクが「元上司」の言葉に反応して、苛立った声でラニカを呼ぶ。
「もう……。部下を褒めたくらいで、いちいち嫉妬しないで。ナナミーは私の部下なのよ?
こんな事で苛立つなんて、つがいのサガとはいえみっともないわよ。
それよりもう行くわね。今日はまた仕事に戻らなくちゃいけないの。私は忙しいのよ。
今度の休みにヒヨクさんの屋敷に行ってあげるから、会いたいってだけで、仕事中に会いに来たりしないでね」
「会いたかねえし、行かねえし、絶対にうちに来るなよ!」
「ヒヨクさんったら、本当に子供なんだから……。こんな事で拗ねないでよ。そんな幼稚な態度を取るなら、本当に行かないわよ?
ナナミー、悪いけど今日は失礼するわ。また必ず連絡するから安心して。
これを受け取ってくれる?あなたの見せてくれた忠誠心にお礼をするわ」
すがる男をあしらうように、軽くヒヨクをあしらったラニカは、優雅な手つきでカバンの中から石と貝を取り出した。
つるりとして鈍く光る石と、膨らみが薄くてスタイリッシュな見た目の貝。
『石と貝をくれるのかな?』とラニカを見ていたナナミーは、ラニカが左手に石を、右手に貝を持った時も、身構える事なく眺めていた。
油断していたナナミーは、突然響き出したカツ!カツ!カツ!カツ!と大きな音に、ビクッと大きく体を震わせる。
ラニカが貝を石に激しくぶつけていた。
カツ!カツ!と石に当たる貝殻が、細かい破片を周りに飛び散らせて、ピシッピシッとナナミーの顔にも服にも当たってくる。
破片を避けたいが、飛んでくる破片が早すぎて身動きする事もできなかった。急いで目をつむるのが精一杯だ。
口を上げると破片が飛んできそうで、「痛い……」と言う事も出来ない。
「両手を出してね。さあどうぞ」
と声をかけられて、よく分からないままに両手を出して、そっと目を開ける。
「はい」と、左手に一粒の真珠を置かれた。
『真珠?』と思って左手に気を取られていると、「はい」と右手に剥きたての貝をペシャリと置かれた。
剥きたて貝のヌロッとした感触に、ザワザワザワザワッと全身の毛が逆立った。
手の上のテラテラと光る生の貝から目を逸らす事が出来ない。
体が硬直して、生の貝を振り払う事も出来ない。
体が勝手にブルブルと震え出す。
「ふふ。そんなに感動されると嬉しいわね。じゃあまたね」とラニカに背を向けられたところで、ナナミーの記憶は消えた。




