02.運命のつがい vs 運命のつがい
ヒヨクの隣に当然のように並び立つ彼女は、都会的で洗練された大人の女性だった。
上質そうな白のブラウスに合わせたシャープなタイトスカートが、彼女のスタイルの良さを際立たせている。
艶のあるよく手入れされた髪も、目力のあるバッチリメイクも、フワリと香る高級そうな香水の香りも、全てが彼女の美しさを引きたたせていた。
彼女がヒヨクのつがいを名乗り出て、正式につがい認定された女性だろう。
ナナミーのように、仕事日もノーメイクで、シワにならない素材のワンピースを愛用する者とは、違う世界の人だった。
質のいいスーツを着こなすヒヨクの隣に相応しいのは、比べるまでもなく彼女の方だ。
ナナミーは胸が詰まって言葉を失い、二人を見つめる事しかで出来なかった。
「あなたは?」
女性が簡潔な言葉でナナミーに問いかける。
ナナミーに向けられた強い目力と、張りのある声に、ナナミーは早くも負けを悟った。
女性が何族に属する者かは分からなかったが、これだけの強いオーラを持つ者が、弱小種族であるはずがない。
『すぐに返事を返さなくては』と、ナナミーの本能が告げていた。
ナナミーは急いで笑顔を作って、女性に挨拶をしようと口を開く。
「こ―」
「こんにちは。はじめまして。私はハリネズミ族のハリエットです」
ナナミーが「こんにちは」と挨拶する前に、ハリエットに先を越されてしまった。
女性に挨拶をするハリエットの笑顔が強張っている。
ハリエットも、相手がハリエットよりも強い種族の者だと認めて、急いで挨拶をしたのだろう。
ハリエットに負けてしまったが、ナナミーも急いで後に続く。
「こ―」
「この子はナマケモノ族のナナミーくんだよ」
「こんにちは」と言う前に、ヒヨク達の後ろから現れた、つがい認定協会の責任者――元上司のサイモンが、ナナミーを紹介してくれた。
「ふうん。……そう。ヒヨクさんとは、どういったご関係なのかしら?」
女性がナナミーに強い目力を向けたまま問いかける。
『今度こそ急いで答えるんだ!』と、またナナミーの本能が告げていた。
「わた―」
「私はヒヨク様とは、全く無関係の者です」
ナナミーが「私はヒヨク様の部下です」と言う前に、またハリエットに先を越されてしまった。
言葉を返すハリエットの顔に緊張の色が見える。
ハリエットも強い者の前では、常に「素早く」を意識しているのだろう。
ナナミーは『今度こそ!』と気合を入れて口を開いた。
「ナナミーくんは、ヒヨク様の部下だよ。以前はここで働いてくれていた時もあってね。とても優秀な子なんだよ」
「あら、そうなのね」
言葉を発する前に、サイモンがナナミーとヒヨクの関係を説明してくれて、女性も納得してくれたようなので、ナナミーは口を閉じた。
何も言わなくていいなら、それはそれで問題はない。
ぎこちない笑顔だったとしても、言葉の代わりに微笑みを返しておく事にした。
「それで?ナナミー、お前はなんでここに来てるんだ?」
今度はヒヨクに尋ねられて、ナナミーはヒヨクに視線を向けてドキッした。
ヒヨクの目は今、ナナミーに向けられている。
見つめられて、伝えたい想いがブワッと高まった。
「私もアザを持っているんです。検査を受けますから、だから運命のつがいをまだ決めてしまわないで」
―――そう言いたかった。
だけど「わた―」と言いかけたところで、またサイモンが代わって答えてくれた。
「ナナミーくんは、ハリエットさんに会いに来てくれたんだよ。ハリエットさんが何も言わなくても、ナナミーくんは彼女が困っている事に気づいて来てくれたみたいだね。さすが仕事が出来るナナミーくんだ」
「………そうなのか?」
「あ、はい」
サイモンの言葉を疑うように問いかけてきたヒヨクに、ナナミーは頷いた。
勢いなくしては伝えられない言葉は、勢いを失っていた。もう伝える勇気はない。
やれる事はやった。
十分頑張ったと、納得が出来た。
『しょうがない。諦めよう』
ナナミーは勇み足を踏む事さえ出来なかった。
ヒヨクの運命のつがいの座は、目の前の彼女のものだ。
もう文句はない。
「そういえば私の挨拶がまだだったわね。私はヒヨクさんの運命のつがいの、ラッコ族のラニカよ。
パルルって会社をご存知かしら?私はそこの企画部長をしているの。
ナナミーさんはヒヨクさんの部下なのね。それなら私の部下でもあるという事だから、これから私の仕事を手伝ってもらう事もあると思うわ、よろしくね」
目の前の女性――ラニカが不穏な挨拶をしてきた。
ラニカが実はナナミーと同じく弱小種族のラッコ族だったという事実は意外だったが、今大事な事はそこではない。
ラニカが「ヒヨクの運命のつがい」を当然のように名乗った事でもない。
ラッコ族の中でカースト上位だと思われるラニカが、傲慢さの片鱗を見せながら、ナナミーの上司を名乗り出ていた。
「鬼畜上司No.2」の誕生の予感に、運命のつがいへの未練などに気を取られる余裕などないのだ。
鬼畜上司 × 2。
――それは、より深い社畜への歩みだ。
「……おいラニカ。何テメェは勝手な事言ってんだ?コイツは俺の使える部下だ。テメェが勝手に使っていい部下じゃねえんだよ。
テメェに使われる時間があるなら、その分俺が使う。コイツにはまだまだやらせる仕事があるんだよ」
ヒヨクが唸るような声でラニカに凄んでいるが、鬼畜な上司の言葉に喜べるはずもなく、ナナミーは死んだ魚の目をしてやった。
そんなナナミーとヒヨクを気にする事なく、ラニカはケロリとした顔で、「あらそう?」と返している。
「でも使える部下なら、使い方を考えなくちゃダメよ。仕事の効率を考えて使うのよ。
ねえナナミーさん、ちょっと試しに私の下で働いてごらんなさい?私ならあなたの能力をもっと引き出してみせるわ。
私はヒヨクさんの運命のつがいだから、私の部下も同然よ。あなたにチャンスを与えてあげるわ」
まるで「この私の提案を断わるわけがない」というような自信を笑みに乗せて、ラニカがナナミーを引き抜こうとしていた。
鬼畜上司ラニカの元で、「ふふ。もっと。もっと頑張れるでしょう?」と圧を受けて、「はい。ガンバリマス」と答えながら仕事に泣く社畜の自分の姿が見えた。
ナナミーは恐怖でラニカから目が離せなくて、ただただじっとラニカを見つめる。
「――まあ、あなた良い目をしているわ。ナナミーさんの仕事への意欲は受け取ったわ。あなたも私と同じ側の人なのね。
そうね。私は部下とは近しい関係でいたいから、これから「ナナミー」と呼ばせてもらうわ。私の事は「ラニカさん」でいいわよ。明日今の会社の仕事の引き継ぎをして、週明けから私の所へいらっしゃい」
「ふざけんなよ!誰が行かせるかよ!ラニカ、テメェ調子に乗ってんじゃねえぞ!
おいナナミー!テメェも俺の部下だって事、忘れんじゃねえぞ!」
鬼畜な上司ヒヨクと、鬼畜な上司になりそうなラニカが、社畜ナナミーの前で激しく争っていた。
ヒヨクの運命のつがいを名乗っても名乗らなくても、ナナミーには鬼畜な運命が待ち受けているようだ。
ならば名乗らずに、いつか隙を見て逃げ出すしかない。
『絶対に!永遠に!私は運命のつがいを名乗り出たりしない。こんな鬼畜上司は、鬼畜な運命のつがいと末永く仕事人生を送ればいい!』
ナナミーは心の中で激しく罵ってやった。




