28. 目指せ!快適な熱帯雨林
前を歩くレオードの背中でコフィが歌っている。
「ヒョ〜ウ、ヒョ〜ウ♪レオレッオー、レオレッオー♪」
風に乗って聞こえてくる小さな歌声は、なぜか耳に残る歌だ。繰り返される歌が、ナナミーの頭の中をエンドレスにグルグルと回りだす。
「フ〜ン、フ〜ン♪ナナナッナー、ナナナッナー♪」
頭の中を回るメロディが、いつの間にか口からも流れ出ていた。
ナナミーはヒヨクに背負われながら、フンフンと機嫌良く鼻歌を歌う。
ヒヨクの背中は相変わらず乗り心地がいい。
背負われると、とにかく落ち着くのだ。
仕事に向かう時でさえも、ウッカリ落ち着いてしまうくらいの乗り心地だが―――今日は特別だ。
特別な休日の始まりに、ナナミーはとてもご機嫌だった。
向かう先は素敵な森の庭園だし、森には木のうろがあるし、なっている色んな種類のフルーツは取り放題だし、小さな滝まであると聞いている。滝の近くでバーベキューをして、お取り寄せのスイポテ社の干し芋も炙ってくれる約束だ。
空は晴れているし、朝の澄んだ空気も気持ちいい。
ヒヨクの背中で流れるように過ぎていく風景にも、お出かけ気分が盛り上がっていく。
ナナミーは「フ〜ン、フ〜ン♪」と歌いながら、目の前に見えるヒヨクの髪を、なで……なで……といつの間にかなでていた。
ナナミーの柔らかいくせっ毛とは違う、ヒヨクの短くてまっすぐな髪は、少し硬いが触り心地がクセになる。
「フ〜ン、フ〜ン♪かみかっみ〜、かみかっみ〜♪」
無意識に歌い、無意識にヒヨクの髪をなでる手が止まらなかった。
『眠い……』
ヒヨクは部下を背負いながら、眠気と戦っていた。
母親のコフィと同じメロディで歌いながら、背中の部下がヒヨクの髪をなでていた。
コフィの歌も意味不明だが、部下の歌はもっと意味不明で、「かみかっみ〜って何だよ」と言ってやりたいが、今はとても眠かった。
いやそれよりも「俺の髪を勝手になでるな」と言ってやる方が先か、と思い直した。
「勝手になでるな」と思いながら、「勝手に」というワードに引っかかった。
―――「勝手に」じゃなかったらいいのか?
いやダメだろう。
俺はヒョウ族を代表するような男だ。
「舐めてんのか?絶対に髪をなでるな」と言ってやるべきだ。
「絶対に髪をなでるな」と思いながら、「絶対に」というワードに引っかかった。
―――「絶対」ダメか?
いや別に絶対というほどダメではない。
それにこの弱小部下などに自分が舐められるはずがない。
「眠くなるからなでるな」と言ってやるのが正解だろう。
『そうだ。眠くなるから――………眠い』
部下の謎に眠くなる歌に、ヒヨクは眠気で意識がユラユラと揺らめいて、次々と浮かぶ意味のない思考が頭の中を回っていた。
外にいながらこんなに気が緩むのは、珍しい事だった。
『でも確か前にもこんな事があったな……』と揺らめく意識の中で記憶をたぐると、ナナミーを抱えた雨の日を思い出した。
あの日雨に濡れたナナミーは、高い熱を出して何日も寝込んでいた。
そうだこの部下を濡らしてはいけない。
ヒヨクの祖父の屋敷の森には、滝もあるし小川もある。「水に近づくなよ」と言っておかなくては。
『思い出した今、注意しておくか』と頭を上げると、謎の歌とヒヨクの頭をなでる手が止まった。
『邪魔したか』と思い、黙ってそのまま足を進めると、今度は風に乗ってコフィの歌が聞こえてきて、そのうちまた背中の部下も歌い出した。
「フ〜ン、フ〜ン♪かみかっみ〜♪」とまた謎の歌が始まる。歌いながら、またヒヨクの髪をなで……なで……となで始めると、またユラユラと意識が揺らめいていく。
『何だったかな。……ああ、そうだ。髪をなでるなと注意しようと思ったんだった。――まあ、別に髪ぐらい構わんか』
『他に何か……ああ、そうだ。水に濡れるなと注意しようと思ったが―――まあ、俺が見ていればいいだけか』
『そうだ。俺は休日に細かい事を注意するような、器の小さい男じゃねえしな。……ああ、そういえば親父が言ってたな。器の大きい男に運命のつがいが名乗り出るんだっけな。じゃあ俺が運命のつがいに会える日も近いだろう』
『眠い………心地がいい―――』
「あ!レオードお父さん!」
突然ビクッと体を震わせて、父親の名前を呼ぶナナミーの声に、ヒヨクはハッと意識を目の前に戻した。
グルグルと意味なく頭を回っていた思考は霧散して、前を歩く父親がつまずきかけた事に気がついた。
「――ああ。ごめんごめん。コフィ大丈夫だったか?ナナミーちゃんも驚かせて悪かったな。少しぼんやりしていたようだ」
「レオードったら、昨日は遅くまで仕事をしてたんでしょう?寝不足なんじゃないの?あまり無理しちゃダメよ」
ハハハと笑うレオードに、心配そうにコフィが声をかけている。
背中の部下も、「レオードお父さん、少し休憩しますか?」とレオードを気にかけている。
「親父、石にでもつまずいたのか?足腰が弱って、足も上がってねえんじゃねえか?杖でもついとけよ。親父も、もうじいさんなんだから無理するなよ」
ヒヨクも年老いた父親に憐れみの目を向けて、気遣いの言葉をかけてやる。
「…………そうだな。仕事で寝不足を感じるなんて、俺も歳かもしれんな。お前が運命のつがいと出会えたら、お前に会社を譲ってやるよ。
まあ、お前が自分を冷静に客観視出来ねえうちは、運命のつがいが名乗り出る事はねえだろうがな」
レオードは、可愛げのカケラもない息子ヒヨクの言葉に苛立っていた。
レオードは寝不足で足元がふらついた訳ではない。
運命のつがいのコフィは、レオードの心を落ち着かせて、時に眠気までも誘う存在だ。心地よい歌声と、さす……さす……とレオードの肩をさするコフィの手に、眠りのふちに誘われてしまっていた。
歩きながら、ついうっかり寝落ちしかけてしまったのだ。
レオードの背後からもナナミーの歌声は聞こえてきていた。天気のいいこんな日は、ヒヨクも眠気に襲われていたはず。
「俺をじいさん扱いしてんじゃねえよ。どうせお前も心地良すぎて寝かけてたんだろうが。
俺らの眠気を誘うようなそんな存在、運命のつがい以外にいる訳ねえだろう?気づけよ、お前が背負ってるのは運命のつがいなんだよ」
―――そう言ってやりたかった。
言ってやりたいが、レオードはそんな親切心を息子に見せるつもりはない。
「あ?俺はいつでも冷静に周りを見てるぞ。親父の方こそじいさんなんだから、もっと周りをしっかり見て歩けよ。老眼進みすぎだろ」と、憐れな老人を見るような目でレオードを見る息子に、そんな事を教えてやるような義理はないからだ。




