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運命のつがいは鬼畜な上司  作者: 白井夢子
第一章

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24/68

24.雨の日の朝


雨の日はいい。

窓の外からザァザァと雨音が聞こえるような大雨の日は最高だ。

激しい雨が危険な外の世界を遮断して、今いる場所をとても安全な場所にしてくれる気がする。


それは今日みたいな雨の日だ。


ザァァァァと地面に叩きつける雨音に、誰もが外に出る事を拒絶してしまうようなこんな日は、最高に幸せな一日を過ごせるだろう。


―――今日が休みならば、だが。






仕事のある雨の日は嫌いだ。

窓の外からザァザァと雨音が聞こえる日は超最悪だ。

激しい雨が、ただでさえ行きたくない会社を、さらに行きたくなくさせる。


「雨……。濡れちゃうだろうな……」


朝からナナミーは憂鬱だった。

レインコートの前ボタンをとめながら、深いため息をついてしまう。


こんな雨の日は、レインコートを着ていても、会社に着くまでに濡れてしまうに違いない。履いている長靴も、手に持つ傘も重くて、会社に着く頃には疲れ切っているかもしれない。

ヒヨクに引きずられるうちに、長靴をはいた足元も水たまりに入って泥で汚れてしまうだろう。


「泥水がピシャッと跳ねて、服も汚れちゃうんだろうな……」


想像しただけで更に憂鬱になって、ノロノロと玄関に向かうと、すでに待っていたヒヨクに「いつもより動きがおせえんだよ。いくぞ」と声をかけられた。


雨の日のヒヨクは、いつもと変わらない傲慢さを見せている。この男は、この雨の音に何とも思わないようだ。


「私はヒヨク様と違って繊細なんですよ」と言ってやりたい。


言ってやりたいが言えるはずもなく、「おはようございます。今日もよろしくお願いしますね」と笑顔で下手に出てやった。


今彼を不快にさせたら、「そうかよ。じゃあ自分で歩いて行けよ」と置いて行かれて、ナナミーは自分の足で歩いて行く事になるかもしれない。

仕事のためにこんな大雨の日に外を歩くなど、ナマケモノ族として愚の骨頂だ。


怠惰の前にはプライドなど、なんの意味もない。

「雨なのにすみません」と心にもない事だって言ってやる。

雨の日の外は本当に嫌いなのだ。






ここで奇跡が起こる。


「早く掴まれ」とヒヨクがナナミーの前で背中を向けて屈んでくれた。


当然いつものように腕を引っ張ってくれるのだろうと思っていたナナミーは、思っても見なかったヒヨクの行動が理解できず、「え……?」と固まってしまう。


背中を向けて屈んでくれるその姿勢。


それは「ナナミーちゃん、早く乗ってよ。早くナナミーちゃんを屋敷に送ってここに戻らないと、僕も今日は仕事がたくさん残ってるんだよ」と背中を向けてくれる、ベアゴーの姿勢と同じだ。


ナナミーが『背中に乗せてくれるのかな?』と迷っていると、「おせえ!早く乗れ!」と苛立つ声に、「はい!」と急いでヒヨクの背中に掴まった。


どうやら本当にヒヨクはナナミーを背負ってくれるらしい。

「ほら傘をしっかり待っとけよ」と、ナナミーの傘の三倍くらいある大きさの傘を手渡された。



―――重い。


手渡された傘が、ナナミーの傘より三倍以上重い。

受け取った瞬間、ズシリと傘の持ち手が手に食い込んだが、ここで「重いです」なんて事は言えない。


そんな事を言おうものなら、「そうかよ。じゃあやっぱり引きずっていくしかねえな」と返されて、大雨の中、長靴が水たまりに落ちて、ピシャピシャッと泥水を跳ねながら引きずられる運命が待っている。


ナナミーは「任せてください!」と自信たっぷりに頷いてやった。






屋敷の執事が玄関の扉を開けてくれると、雨音がもっと大きくなった。


ザァァァァっという音と共に突風が吹いて、玄関を一歩出た途端に、開いた傘がピュウッと吹き飛ばされてしまう。


しっかり握っていたはずの傘はもう雨の中だ。

傘がひっくり返っていて、早くも雨を貯めている。拾って傘を差したところで濡れてしまうだろう。



チッと舌打ちしたヒヨクに「傘一つ持てねえのか」と低い声で言い放たれて、ナナミーは言葉を返せなかった。

あの傘は持てない。再チャレンジするとしても同じ未来が見えていた。






ここでまた奇跡が起こる。


「しょうがねえな」と言いながら、一旦ナナミーを下ろしたヒヨクが抱え直してくれた。

背中に背負うのではなく、今度はぐいっとナナミーを片手で持ち上げて、もう片手に新しく用意された傘を持ってくれたのだ。


そのままヒヨクは雨の中をスタスタと歩き出して、驚きすぎてドキドキする間もなかったナナミーはハッと我に返る。


ヒヨクの思いがけない行動に時が止まってしまったが、これはすごい状況だ。


『抱えてくれてる……!』とナナミーは、ヒヨクにドキドキしかけて―――そして意識はすぐに、バタバタバタバタバタと傘に当たる雨音の方に向いた。


ヒヨクに抱え上げられて、顔に近くなった傘から大きな雨音が聞こえていた。

傘越しの雨音は、窓越しに聞こえる雨音とは迫力が違う。滝に打たれずに、滝に打たれている気分になった。


「うわあ〜」と感動して背筋を伸ばすと、傘にもっと顔が近づいて、もっと音に迫力が増す。

そっと傘に手を触れると、布越しに大粒の雨が当たる感触が伝わった。


外の音を遮断する雨の音が、バタバタバタバタバタと傘の中に大きく響いている。

木の下を通っている時なのか、たまにバタタッと大きな雨音が響く時もある。ペコッと一瞬へこむ雨傘の布地を見るのがとても新鮮だった。


今までも豪雨の時に仕事に向かった事はあるが、重いレインコートと長靴と傘に気を取られて、足を前に出すので精一杯だった。


ヒヨクは片手でも危なげなくナナミーを支えてくれているし、ナナミーの傘より三倍大きな傘の下で、ナナミーに雨粒が当たる事もない。

抱えてくれて温かいので、ピュウッと吹く風の冷たさも気にならない。


こんなにも安心で安全な雨の外は初めてだった。


「ナッ、ナッ、ナーナ、ナッ、ナッナーナ♪」


気分が上がったナナミーは、雨粒の当たる音に合わせて、知らず歌を歌っていた。









「…………」


ヒヨクはいつものように、何も話す事なく黙々と会社に向かって歩いていた。


『大雨の中を引きずって歩くわけにはいかねえし、傘も持てねえ最弱の部下を抱え上げてやったが』と、ヒヨクは腕に抱えるナナミーの事を考えていた。



抱え上げたナマケモノ族の部下が、雨の中機嫌良さそうに歌っている。

時折り落ちる大きな雨粒の音が気になるのか、一旦止まる歌はまたすぐに始まり、傘の中に小さく響いている。


よくベアゴーが、「ナナミーちゃん、歌わないでよ」と言っているが、確かに繰り返されるこのよく分からないメロディは、仕事中も頭の中を流れそうだ。

うるさい訳ではないが、とても眠たくなる。


だけどそれよりも気になるのは、この部下の軽さだ。

いつも少しの野菜とフルーツしか食べないと報告を受けているが、もう少し太らせないとダメだろう。

今度はチェリ社の高級サクランボを箱で取り寄せるか……。




次のお取り寄せを考えるヒヨクは、運命のつがいのためだからこそ真剣に考えてしまっている事に気が付けない。


ヒヨクが普段「旬の野菜・フルーツお取り寄せカタログ」を見るのは、使える部下のために見ているだけで、運命のつがいのために見ている訳ではないからだ。


『俺は部下想いの良い上司だし、この俺が運命のつがいを見逃すはずはねえからな』と謎の自信を持つ傲慢な男は、運命のつがいに雨粒一つもかからないように気にかけている事にも気付けない男だった。



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― 新着の感想 ―
安全な傘の中から雨粒を楽しんでいるナナミーの様子が伝わってきて、こちらまで幸せな気持ちになりました! ヒヨクが自覚するのも時間の問題でしょうが、運命のつがいだと認識したが最後、二人の関係はレオードとコ…
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