23.一族の歴史再び
ヒヨクの父親のレオードは、祖父のヨウから引き継いだ会社を経営していて、ヒヨクも休日には父親の仕事を手伝っているらしい。
休日までも仕事をするなんて、怠惰を愛するナマケモノ族のナナミーには到底信じられない話だが、確かに休日になるとレオードがコフィと共にヒヨクの屋敷にやってくる。
そしてコフィが「遊びましょう」とナナミーを部屋に招待してくれるのだ。
以前はヒヨクがレオードの屋敷に行っていたようだが、コフィとナナミーが仲良くなった事で、休みの日はヒヨクの屋敷で仕事をするようになったようだ。
コフィはいつもナナミーと過ごしながら、レオードの仕事終わりを待っている。
ナナミーはコフィの部屋に遊びに行くのが好きだ。
コフィの部屋にはあの素敵なソファーがある。
瑞々しいフルーツ柄のソファーは、座っているだけで幸せな気持ちになれる特別なものだ。
そっとブドウを撫でると、スノウが「どうぞ、オヤツですよ」とブドウを出してくれるし、そっとイチゴを撫でるとイチゴジュースが振る舞われる。
休日が楽しみになるソファーだった。
「今日のオヤツは何かな〜♪オ〜オ、オ〜ヤッツ〜♪
………あ」
ナナミーはコフィの部屋に向かう途中、オヤツを楽しみに鼻歌を歌っていたら、部屋にシール帳を忘れた事に気がついた。
まだ廊下を歩き出したばかりだが、「部屋に引き返して扉を開けて、テーブルの上のシール帳を持って、またここまで歩いて戻る」という動作を思うと、引き返すのが面倒になった。
『どうしようかな、シール帳……。オヤツ……』
しばらく立ち止まって悩んだが、やっぱり早くオヤツの部屋に行きたいと考えて、そのままコフィの部屋に向かう事にした。
「やっぱりシール帳を持ってくれば良かったな……」
コフィの部屋に着いてソファーのフルーツ柄を見た途端、ナナミーはシール帳を取りに戻らなかった事を後悔した。
だけど今さら「部屋に取りに戻る」という選択肢はナナミーには無い。
諦めて腰をかけて、ソファーの桃をナデ……となで始めた時、「ナナミー様、大事な物をお忘れですよ」と、ユキがナナミーのシール帳を届けに来てくれた。
「ユキお姉さん――!!」
ユキはヒョウ族だけど、いつでも優しくナナミーのお世話をしてくれるお姉さんだ。
ユキに「ありがとうございます」とお礼を伝えると、向かいのソファーに座っているコフィが固まっていた。
コフィが信じられない者を見るように、「ユキ……お姉さん?」と戸惑いながら呟いている。
優しいお姉さんの名前が「ユキ」だと知った後、ナナミーはユキを「お姉さん」と呼ばずに「ユキさん」と呼んだ事がある。
良かれと思って呼んだ名前だったが、「ユキさん」と呼んだ途端にユキの顔が悲しそうに曇った。
確信を持てないままに、「ユキ……お姉さん……?」と呼んでみると、笑顔で「はい」と答えてくれたので、「ユキお姉さん」呼びが正解だったかと、そこから呼んでいる呼び名だった。
コフィが驚いた顔で固まったまま動かない。
ナナミーは心配になって、「ヒヨク様のお母様?」と呼ぶと、コフィの顔が曇ってとても悲しそうな顔になった。
確信は持てないままに、「コフィ……お母様……?」と呼ぶと、パァッと顔が明るくなって、「お母様だなんて。お母さんでいいのよ」と弾んだ声で返された。
「コフィお母さん」と呼んでみると、カアッと顔を赤くして嬉しそうに口元を緩ませた。
「コフィお母さん」呼びが正解だったらしい。
「ユキさんから聞いたわよ。昨夜も遅くまでお仕事頑張っていたの?お仕事もいいけど、睡眠時間も大事にしてね。いくら優秀だからって、お仕事頑張りすぎよ」
コフィがナナミーを褒めてくれるが、ナナミーは仕事をしたくてしている訳ではない。
鬼畜な上司に仕事をさせられているだけで、決して残業を望んでいる訳ではないのだ。
「昨夜寝るのが遅くなったのは、職場の鬼畜野郎のせいなんですよ。昨日も定時後に山ほどの書類を渡してきたんです。休み前なのに!ですよ。ほら、前に話していたあの酷い男です」
「え〜またあの酷い男?ナナミーちゃん可哀想。
……そういえばいたわ。私が昔仕事をしていた時にも、鬼畜野郎な先輩がいたの。私も寝るのが遅くなるほど残業させられた事があったわね。本当に!すっごく!迷惑だったわ」
「え〜コフィお母さん、可哀想。私も本当に!すっごく!迷惑なんですよ」
レオードは、扉を開けて聞こえてきた言葉に動けなかった。
息子ヒヨクとの仕事が終わって部屋に戻ってきたら、コフィとナナミーが自分とヒヨクの悪口で盛り上がっていた。
昔の話はマズい。
早く他の話題に変えてコフィの機嫌を取らないと、きっと屋敷に帰っても冷たく当たられてしまう。愛するつがいに冷たくされるのは辛い。
それにコフィととてもよく似ているナナミーは、可愛げのない息子よりも娘のように思えて可愛いし、嫌われたくはない。
レオードはサッと手を上げて「極上のオヤツをすぐに用意しろ」とスノウに合図を送り、笑顔で強引にコフィ達の話に割り込んでいく。
「こんにちは。ナナミーさんはコフィを「コフィお母さん」って呼んでいるんだね。俺の事も「レオードお父さん」って呼んでくれるかい?」
「ダメよ」
コフィがコアラ族らしくない素早さで、レオードのお願いを却下した。
「じゃあレナードお父様なんてどう―」
「ダメよ」
コフィがまた素早く却下する。
「あ……そうだな。じゃあ、俺もナナミーさんじゃなくて、コフィみたいにナナミーちゃんって呼んでもいいかな?」
「ダメよ」
「…………」
黙ったレオードを、部屋に入ってきたヒヨクが鼻で笑う。
「親父、つがいの前で他の女に媚びるなんて、気が狂ったんじゃねえのか?医者に診てもらえよ」
「……そうだな。俺も歳だからな。テメェに運命のつがいが現れたら、会社を譲ってやるよ。俺も引退して、コフィと二人でゆっくりしてえんだよ」
思わず低くなった声でレオードはヒヨクに言葉を返す。
「運命のつがい」という言葉に、ナナミーがスイッと視線を逸らしたのを見て、「お前の運命のつがいは、当分つがいを名乗り出る事はねえだろうがな!」と言ってやりたかった。
だいたいコフィが「レオードお父さん」「ナナミーちゃん」という呼び方を却下するのは、別にヤキモチを焼いての事ではない。
他の女ならともかく、つがい持ちの女相手にヤキモチを焼くほど無駄なものはない。
あれは、昔のレオードを思い出して『こんな鬼畜野郎の言葉は全て聞いてやらない!』とか思っている顔だ。
「まあお前が部下を思いやれるくらいの、器の大きい男になれねえうちは、運命のつがいが名乗り出る事はねえだろうよ」と、ここは冷静な大人対応で息子に説いてやる。
「あ?俺ほど部下思いの上司はいねえよ。なあナナミー、そうだろ?」
傲慢な態度のヒヨクは、「ソウデスネ」と返事をする運命のつがいの短い眉が、少し吊り上がっている事に気がつかないようだ。
あれはきっと、『お前ほど鬼畜な上司はいない』と心の中でヒヨクを罵倒している顔だろうに。
満足そうに頷くヒヨクに、『バカな男め』とレオードは憐れみの目を向けてやる。




