11.できる女ナナミー
ナナミーは今までにないくらい、心穏やかで上機嫌な毎日を送っていた。
ずっと鬼畜な上司の元で社畜な日々を送っていたから尚のこと、今がどれだけ恵まれた素晴らしい時間を送っているか、身にしみて感じられた。
つがい認定協会の上の階が宿舎になっているので、通勤時間は階段一つ降りるだけの時間だし、食堂のご飯はとても美味しい。
食堂で出される食事は、おじいちゃん好みの味付けで、アッサリとした野菜料理が多い。
仲良くなった食堂のおばちゃんは、ナナミーがお肉を食べられない事を知っているので、お肉の代わりに野菜スティックやフルーツをサービスしてくれる。
ナナミーは貴族のお嬢様超えの食生活を送れていた。
――贅沢な毎日に乾杯だ。
10時に出勤して12時までの2時間、開かない扉を眺める。そしてお昼休憩に入り、そこから3時間のお昼寝タイムだ。午後は15時から17時までの2時間、また開かない扉を眺める。
仕事が終わると早い時間の夕食タイムがあり、長い時間のお風呂タイムを満喫できる。
週末も買い物に行く必要はないので、一日部屋で自堕落な時間を過ごす。
鬼畜上司の元では、ナマケモノ族としてのプライドを捨てたかのような慌ただしい生活を送っていたが、今は違う。
今のナナミーは、実にナマケモノ族らしい生活を取り戻していた。
森に住んでいる家族も、ナナミーの近況を知れば、「自慢の娘を持った」と胸を張る事が出来るだろう。
面倒でまだ書けてはいないが、いつか家族にも手紙を書きたいと思っている。
ずっと開かない扉を眺めるだけの仕事だったが、ここへ来て少し状況が変わってきた。
元の職場でも「仕事は出来る」と評されてきたナナミーは、つがい認定協会でも、いつの間にか仕事の能力を発揮していた。
ナナミーの噂を聞いた者が、ナナミーを訪ねてくるようになったのだ。
ハリエットから広まっていった、ナナミーの噂。
それは、「つがい認定協会の窓口受付係の人は、親切丁寧で相談しやすい人」という噂だ。
「つがい検査を受けた方がいいのかな?」と思い悩んでいる者は、わりと多いようだ。
「検査を受けて間違いだったら恥ずかしい」と思っている内気な者が、つがい検査を申し込む前に、ナナミーに相談を申し出るようになった。
ナナミーも、検査を受けようか迷う時が今まで全くなかったわけではない。
だから検査に悩む相談希望者の気持ちは分かるし、親身になって話を聞いてあげる事が出来た。
相談者は弱小種族の者ばかりなので、話もしやすい。
オヤツをつまみつつおしゃべりを楽しみながら、相談を受ける事が多くなっていた。
サイ族の上司のサイモンが、ただオヤツを食べながらおしゃべりしてるだけのナナミーの頑張りを認めてくれた。
「ナナミーくんの仕事ぶりは本当に素晴らしいね。つがい検査に悩む者までも名乗り出させるなんて、誰もが出来る事じゃない。
『ナナミー相談部屋』として個室も作ろう。
相談時に出すおやつグレードのアップ、ナナミーくんのボーナスもアップしよう」
「サイモン様――!!」
最高の上司だ。
内気な相談者とおしゃべりしてるだけなのに、さらに待遇が上がった。なんてホワイト企業なんだろう。
ナナミーはますます仕事を張り切った。
相談予約が入った時は、美味しいおやつをモグ……モグ……と食べながら話を聞き、相談の仕事がない時は真剣に開かない扉を眺めた。
今日の相談者はウサギ族のウララさんだ。
フルフルフルと震えるウララさんは、とても緊張しながら打ち明けてくれた。
「実は私、右太ももに『両手を上げて立つクマ』の形のアザがあるのです。
でもその模様が、クマ族のクリフ様なのか、パンダ族のパーシー様なのか、お二人のアザの形はよく似ていて分からないのです。
それに私、お二人とも怖いんです。どちらの方のつがいだったとしても、名乗り出た事を後悔しそうで……」
そこまで話すとウララはグスンと鼻をすすり、また口を開く。
「つがいを名乗り出る事は、国民の義務でもあるのに、怖いからって私はいつまでも名乗り出れなくて……。私って本当に卑怯者ですよね」
「違うよ!そんな事ない!そんな事、絶対にないよ!つがいを名乗り出ないからって、卑怯者なんかじゃないよ!
つがいを名乗り出る事を怖気づかせる相手の方に問題があるだけだよ!ウララさんは何も悪くないよ!」
ウララの言葉を、ナナミーは強く否定した。
つがいを名乗り出ない者が悪いんじゃない。
卑怯者であるわけがない。
ナナミーは怠け者と言われても、卑怯者とは言われたくない。
かつてつがいを名乗り出なかったのは、ヒヨクが鬼畜上司だったからだ。
あのヒョウ野郎が全て悪いに決まっている。
そこは全力で否定したいところだった。
「ナナミーさん……!そんな風に言ってくれてありがとうございます。ナナミーさんは、本当にお噂通りに優しい方ですね。……あの……私、どうしたらいいと思いますか?」
ウララが涙をためた目で、すがるようにナナミーを見つめた。
ナナミーもじっとウララを見つめ返す。
ナナミーの方が答えを聞きたかった。
ナナミーの持つアザと、同じような模様を持つ者がまだ二人いる。
一応アザの模様は勘違いだったという事にしているが、万一本物のつがいの証だった場合、どうしたらいいか教えてほしいのはナナミーの方だ。
よく似た状況にいるウララの意見を聞きたかった。
「私はウララさんの思うままに行動したらいいと思います。このまま黙っていてもいいし、つがい検査を受けて、事実をハッキリさせてもいいでしょう。
お相手が怖いというお気持ちも分かります。相手は、弱い種族に厳しい態度を取る人達ですからね。
――ウララさんはどうしますか?」
ウララの意見を参考にしようと、ナナミーは静かに尋ねた。
「私は――。……あ。なんだか光が見えた気がします。私は私の気持ちに沿って、この先を決めたらいいという事ですね。
ナナミーさん、ありがとうございます……!!」
ウララは自分の中で解決策を見つけたようで、スッキリとした顔になってペコリと一礼すると、ピョピョーンと跳ねるように部屋から出ていってしまった。
ナナミーが、「え、待って」と声をかけた時には、すでにウララの姿は消えていた。
「参考にしたいから、答えを教えてほしい」と言いたかったのに。
誰もいなくなってしまった「ナナミー相談室」で、ナナミーは呼び止めるために上げた手をノロノロとおろす。
ウララはナナミーの相談には乗ってくれなかった。
スッと部屋に入ってきた、上司のサイモンがナナミーを褒める。
「素晴らしい仕事ぶりだよ、ナナミーくん。あのウサギ族の女性はきっと、『国民の義務だから名乗り出なければいけない』という事に、心のどこかで反発していたのだろう。「自分で道を選べばいい」という、ナナミーくんの言葉を待っていたんだと思う。
頑張るナナミーくんには、オヤツにキャロー社の有機栽培ニンジンを差し入れしよう」
「サイモン様――!!」
キャロー社の有機栽培ニンジンなんて、ニンジン界の最高ブランドではないか。
最高の上司だ。
相談者に相談しようとしただけなのに、さらに待遇が上がった。なんてホワイト企業なんだろう。
投げた相談に答えは返って来なかったが、今大事な事は、ブランドニンジンをもうすぐ食べられるという事実だ。
ナナミーはますます仕事を張り切ることにした。
受付窓口に戻り、開かない扉を真剣に眺めた。




