第四章 第九話
結婚式の準備がかなり進んだ段階でのキャンセルになったので、当然父は怒っていた。
しかし、母が私の味方をしてくれたこともあり、最終的には許してくれた。
母が言うには、父は幸平の実家まで謝りにいって、こっぴどく叱られたそうだ。
神社業界は横のつながりが強いので、ただの婚約破棄では済まない大変さがある。私だってある程度大人の事情は理解しているつもりだけれど、譲れないものは譲れないので仕方なかった。
翔太のことが最優先だと言っていた兄も、今回ばかりは私の味方をしてくれた。
兄は兄なりに私に対して後ろめたい気持ちがあるのだと思う。私がエリックの話をすると、とりあえず教会に行ってよく話をするようにと勧めてくれた。
私が、
「親に反対されても自分の愛を貫いた兄さんはすごい」
と褒めた時は、
「後悔するかもしれないぞ」
と、笑われた。
けれど、私は知っている。兄は沙織さんと逃げ出したことを一ミリも後悔なんてしていない。
既に幸平に懐き始めていた翔太はしばらくの間寂しがっていたけれど、さすがは小さな子供の適応能力だ。
すぐに慣れて、早くも別の遊び相手を見つけたらしい。
最近は、夏樹の小学生の妹と境内で一緒に遊んでいる姿をよく見るようになった。
どうやら二人で一緒に高台への階段を上ろうと頑張っているものの、まだ半分も到達できたことがないようだ。
夏祭りを翌日に控えた八月三十日、私は教会の前にいた。音を立てないように気を付けながらそっと重い扉を開く。緊張しながら歩みを進めると、綺麗に整えられた広い部屋の中で細身の男性が一人で本を読んでいる姿が見えた。
「エリック」
扉を閉めて、彼の名前を呼ぶ。そんなに大きな声は出していないつもりだけれど、高い天井に私の声がこだました。
「朱莉ちゃん」
こちらを向いたエリックは目を丸くしながら私の名前を呼び、立ち上がった。
聖職者らしい落ち着いた服に身を包んだ彼が、こちらへと駆け寄ってくる。
「来てくれたんだね。宗方さんあたりが何かおせっかいをしたのかな」
「ええ。私、どうしてもあなたに伝えたいことがあって」
「結婚式のこと?」
「ええ、そうよ」
私が答えると、エリックは冷たい声で、
「噂には聞いてる。参列はしないよ」
と、言った。
「ごめん。本当はしたいんだけど、やっぱりまだ気持ちの整理がつかなくて。幸平さんだって、僕がいると嫌な想いをするんじゃないかな」
エリックの言葉を最後まで聞きながら、ゆっくりと首を横に振った。
「幸平さんとの結婚式は中止になったわ。というか、結婚自体がなくなったの」
「えっ」
「私ね。本当はずっと嫌だったの。幸平さんに大きな不満があったというわけではないんだけれど、特別好きだというわけでもなかった。いくら家の都合があるとはいえ、やっぱり自分の結婚相手は自分で決めたいもの。それなのに自分に嘘をついて、幸平さんにとても失礼なことをして、彼を傷つけてしまった。自分の都合で他人を振り回してるのは父や兄ではなくて、私なのだと気づいたわ」
「朱莉ちゃんの方から断ったってこと? もうずいぶんと具体的な話が進んでいたのかと思ってたから驚いた」
「ええ、そうよ。とは言っても、話すきっかけを作ってくれたのは幸平さんの方。彼が、私が話しやすいようにお膳立てをしてくれた。正直これまで幸平さんのことを頼りないと思ったこともあったけれど、それは私が子供なだけだった。私のくだらないプライドを傷つけないように、彼が代わりに傷ついてくれた」
「そうなんだ」
エリックが少し困惑した表情になる。詳しい事情を知らないのだから当然だろう。
それでも、私の自己満足にすぎないけれど、エリックの中での幸平の印象を悪くしないために、事実を正確に伝えたかった。
「それからもう一つ、私はエリックのことが好きなんだって気がついた。あなたがこの前私に話してくれたみたいに、二十年間、ずっとあなたのことだけを一途に想い続けていたわけではないけれど、だからといって忘れたことなんてない。一緒に上った階段、机に刻んだ名前、抱きしめた時の感触、最後に見せてくれた笑顔、全て鮮明に覚えてる」
「そっか」
エリックが安心したような、それでいて興奮しているような、複雑な表情になった。しばらく黙って十字架の方を見つめた後、
「朱莉ちゃん。昔僕たちが一緒に遊んだ期間、どれくらいだったか覚えてる?」
と、聞いてきた。
「初めて会ったのは私が小学校に入学する少し前、雪が降っている日だったわ。エリックが引っ越していったのが夏祭りの翌日だから、一緒に遊んだ期間は半年くらいね」
「うん。一年にも満たないわずかな期間だ。僕たちの人生全体から見ると、ほんの一瞬の出来事だった。でも、僕はあの楽しかった日々を昨日のことのように覚えてる。まるで煌めく花火のように、楽しい時間は一瞬で終わってしまった。それでも、あの美しい日々の思い出は僕の中にずっと残ってるんだ。そのおかげで、僕は今日まで生き抜くことができたといってもいい」
「私より、辛いことが多い人生だったのよね?」
「たぶんね。簡単に比較してよいものではないとは思うけれど、平均的な日本人よりは波乱万丈な人生を歩んできた気がする」
エリックが答え終わるよりも早く、彼の大きな体を抱きしめた。二十年前のように全身を包み込むことはできないけれど、温かさは伝わる。
「もう大丈夫。これからは私がいる」
しばらくそのままの状態でいると、エリックがぎゅっと抱き返してくれた。
「明日」
二人の声が重なった。私が黙っていると、エリックが、
「明日の夏祭り、花火を見に行こう」
と、言ってくれた。
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