第四章 第七話
「そのあと、凛子ちゃんたちは高台で手持ち花火をしたんだよね」
全てを話し終えたタイミングで、エリックが尋ねてくる。外はもう真っ暗になっていた。何時間話していたのか、自分でもよくわからない。
「ええ。オリビアさんと違って、凛子ちゃんは階段を上る途中で靴を履き替えちゃったみたいだけど」
私が答えると、エリックは、
「それは仕方ないね。あの階段を上るのは、成人男性の僕でも結構キツかった」
と、言った。
「去年の夏祭りに参加してたなら、私に声をかけてくれたってよかったのに」
「朱莉ちゃんはもう僕のことを忘れてるんじゃないかと思うと怖くなって、ぎりぎりのところで勇気がでなかったんだ。それで、グズグズしてる間にオリビアさんに捕まっちゃって」
早口で弁明しているエリックを見ていると、なんだか面白かった。
「ねぇエリック。今から高台に行ってみない?」
「高台に?」
「ええ。もちろん花火はないし、ただ広い展望広場があるだけだけど。どちらが早く上れるかの競争、まだ決着がついてないでしょう。二十年越しに白黒つけましょう」
私がそう言うと、エリックは、
「望むところだ」
と、言って笑った。
そうはいったものの実際に大人の男女が競い合って階段を上るわけはなく、二人で並んでゆっくりと階段を上った。
もう日が暮れているのに気温は高く、額に汗がにじむ。
「ところでエリック、どうして今になって会いに来てくれたの?」
黙って歩くのは余計に疲れてしまうので、私から新たな話を振ってみることにする。
「オリビアさんと大志くんに勧められたんだ。朱莉ちゃんのことが気になるなら会いに行った方がいいって。あと、朱莉ちゃんが僕のことを覚えてるって教えてくれた」
「そう。その二人もこの階段を上って花火を見たのよね」
「うん。僕が河原で打ち上げた。まさか僕の人生で花火を打ち上げる日が来るなんて思わなかった」
「それで、今も付き合ってる」
「うん」
「やっぱり迷信とは言えないんじゃないかしら」
私がそう言うと、エリックが少し間を取ってから、ゆっくりと話し始めた。
「朱莉ちゃん、実はあの話は僕が勝手に作ったウソなんだ。あの頃の僕は長い階段を上り切れないのが悔しくて、いつか大好きな朱莉ちゃんと一緒に高台から花火を見たくて、それで自分を奮い立たせるため永遠の愛の話を作った。四歳の子供が自分のためだけに考えた全く根拠のない話なんだ。それがまさか二十年後にまで残っていて、こんなに有名な話になっているとは思わなかった」
エリックが前を向いたまま言った。その横顔とところどころ裏返った声から、ほのかな緊張感が読み取れる。
「そっか」
私が短く答えると、エリックは、
「悪気はなかったんだ。伝統あるご実家に勝手なイメージを植え付けるようなことをして本当にごめん」
と、続けた。
「実はね、そんなことだろうと思ってたわ」
私がそう言うと、エリックが驚いた表情を見せた。
「気付いてたんだね」
「私は生まれた時からずっとこの神社にいるのよ。笹川神社に関することで、エリックが知ってて私が知らないことなんて存在するわけがないじゃない」
「なら、この二十年間の間に笹川神社が噂を公式に否定することもできたはずだ。あっ」
エリックが大きな声を出した。
「あえてこの伝説を広め、恋に悩む若者たちにアドバイスをして、朱莉ちゃん自身が縁結びの神様になったってことなのか」
エリックの大げさな表現に、両足の疲れを忘れて思わず笑ってしまった。
「そんな立派な話じゃないわ。私はただ神社に訪れる人たちに幸せになって欲しくて、自分にできる範囲のことをしただけよ。あなたが考えたお話がそのために都合がよかったから、利用させてもらったの。虚は実を引くってやつかしら」
「なるほどね。立派な話だ」
恰好を付けて拓斗の小説に出てきた慣用句を使ってみると、外国生活が長いはずのエリックにもしっかりと意味が伝わったようで、嬉しかった。
「皆、朱莉ちゃんに感謝してるんじゃないかな」
「あら、それを言うならエリックだって、オリビアさんや大志くんに感謝されてると思うわよ」
高台まであと数段というところで私がそう言うと、前方にちょうどその二人の姿が見えた。
偶然の出来事に驚いていると、こちらに気づいた大志が近寄ってきた。
「朱莉さんとエリック先生、無事に会えたんですね」
声をかけてきた大志に続き、オリビアも顔を出した。
「朱莉さん、こんばんは。私のこと覚えてますか?」
「ええ。去年の夏祭りの日に少しだけお話ししましたよね」
私が答えると、オリビアは両手を体の前で合わせて、
「嬉しい! 覚えててくれたんですね」
と、言った。
私の方こそ嬉しかった。私から見たオリビアは外国人という珍しい存在だけれど、オリビアから見た私はただの神社の一スタッフに過ぎないはずだ。
「エリック先生、一年くらい前からずっと朱莉さんに会いたがってましたもんね。あ、一年どころじゃないか」
大志がそう言うと、エリックは慌てて、
「宗方さん、それは秘密ですよ」
と、言った。
「あれ、そうなんですか? エリック先生は朱莉さんのことが今も……」
大志は冗談っぽく話を続けたが、それを制止したのはエリックではなく、オリビアだった。
「それ以上は本人が伝えることよ」
オリビアがいたって真面目な顔でそう言うと、大志は素直に黙った。
話題を変えようとしたのか、オリビアが続けて口を開く。
「お二人はどうして高台にいらしたんですか?」
「子供の頃に最後まで上れなかったのが悔しくて、今なら一緒に上れるかなと思ったんです」
私が答えると、エリックも頷いた。
柵の方へと近づいて、遠くを見る。自然と住居が程よく調和した紫水町の美しい街並みが見渡せた。
「そういえば、今年の夏祭りは俺も河原で打ち上げに加わるんです。一か月後にはここからすごい花火が見えますよ。今、家族やスタッフと一緒に気合入れて作ってます」
「大志くんの花火職人デビュー、楽しみね。いい進路が見つかって本当によかったわ」
「はい。ここにいる皆の後押しがあったおかげです。当日は忙しいのかと思いますけど、できれば朱莉さんにもここから俺の花火を見て欲しいです」
大志がそう言って笑う。就職活動がうまくいかずに悩んでいた頃よりも、今の方が何百倍も良い表情をしていた。
オリビアたちが階段を下っていくと、高台には私とエリックだけになった。
私には、彼に言わないといけないことがある。
「あのね、エリック。私、もうすぐ結婚するの」
「実は宗方さんたちから少しだけ話を聞いてた。おめでとう」
「そう。お互い、隠し事はヘタね」
私がそう言うと、エリックは少し悲しそうな顔をしつつも、愛想笑いを返してきた。
「幸平さんっていう別の神社の三男なの。私よりも九歳年上で、真面目で頼りになる方だわ」
しばらく、ここまでの経緯を説明する。兄が出て行ったことと帰ってきたこと、兄には息子がいること、婿養子を取ることは白紙になったものの、結婚の話自体は残っていること。私が丁寧に話を続けている間、エリックは黙って聞いていた。
彼の目が、まるで雨雲が空を覆うように涙で潤んでいることに気づかなかったわけではない。それでも、神社のことや幸平のことの全てを、最後まで話し切った。
私が全て聞き終えたことを確認すると、エリックは小さな声で一言、
「嫌だ」
と、言った。
「え?」
「僕は二十年間、朱莉ちゃんのことがずっと好きだった。両親が離婚して母と国へ帰ることになった時も、その母国で戦争に巻き込まれた時も、母が病気で死んだ時も、日本の会社で同僚とうまくいかずに悩んだ時も、朱莉ちゃんに婚約者がいると聞いた時も、この気持ちは変わらなかった。あれから二十年も経ってしまったけれど、オリビアさんや宗方さんに応援してもらって、ようやくここまで来ることができた。だから僕は諦められない」
後から考えると、この瞬間に私の気持ちは決まったのだと思う。
「ダメよ」
短く答えて、顔を逸らす。
「朱莉ちゃんは、もう僕のこと好きじゃないってことかな。あれから二十年も経ってるんだから、当然か。遅すぎたよね」
エリックが悲しそうな顔をする。
「お願いよエリック、私を困らせないで」
彼の言葉をかき消すようにそう告げると、エリックは静かに、
「今日はありがとう。急に押しかけてごめんね。もうここには来ないって約束する」
と言い、その場に立ち尽くす私を置いて一人で長い階段を下りていった。
「何してるんだろう、私」
エリックの姿が見えなくなったことを確認し、さらに念のためそこからしばらく時間を置いて、階段を下り始める。
下る方が遥かに楽なはずなのに、エリックと二人で上った時よりも足取りは重かった。
上から数えて二百六十一段目、下からだと百二十一段目。ここが幼い日の私たちの最高記録だ。
当時目印にしていた小さな木はすっかり成長して周囲の森と混ざってしまったけれど、百二十一という数字は今でも覚えている。
六十三段目は最初に挑戦した時の記録だ。三十段目でエリックが転んだ時は、その小さな体を抱きしめて慰めてあげたっけ。
一緒に遊んだ期間はたった数か月だったけれど、思い出はいつまでも色あせていない。
今の二人の心情を暗示しているかのように、空からポツリと水滴が落ちてきた。
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