第四章 第一話
「あれ、拓斗くん?」
さっき神社の中へ入っていったばかりの拓斗が再び目の前を通り過ぎ、外から中へと鳥居をくぐっていく。
不思議に思ったので人混みをかき分けて後を追い、小さくなっていく後姿をよく見ると、彼は拓斗よりも身長が高く明るい髪色をしていた。
上は薄い水色のシャツ、下は紺のズボン。服装はよく似ているけれど、ただの別人だったらしい。
「お姉ちゃん。こんばんは」
再び掃除に戻ったタイミングで、桃花が話しかけてきた。
リボンで髪を結びオレンジ色の浴衣に身を包んだその姿は、普段のボーイッシュな彼女とは別人のようだった。
それでも、掃除を手伝おうかと聞いてくれた優しさはいつもの桃花のままだ。
もちろん、夏祭りを楽しみに来てくれたお客様にそんなことをさせるわけにはいかないので、掃除の申し出は断った。
拓斗や桃花だけではない。見覚えのある顔が次々と鳥居をくぐっていく。
普段から頻繁に神社まで来てくれる人もいれば、毎年この日と初詣の時くらいしか来ない人もいる。
それでも久しぶりに会えば、以前と変わらず気さくに話してくれる人が多かった。
紫水町の住人たちが成長し変わっていく姿を見続けるのが、笹川神社の一人娘である私の密かな楽しみだ。
「俺はガキには興味ねぇんだよ。お前とはもう別れる。さっさと失せろ」
鳥居の中から男性の激しい言葉が聞こえる。それに反発するように、女性の高い声も響いてきた。
人混みをかきわけて声の方へと近づくと、派手な恰好をした大学生くらいの男性が凛子と口論している姿が見えた。
会話の内容から二人は付き合っていて別れ話の真っ最中なのだと推測ができる。
別れ話自体は仕方のないことだけれど、夏祭り中の神社で周囲に迷惑をかけることは避けて欲しかった。
それに、よく神社にボランティアに来てくれる凛子のことが心配だ。
そろそろ仲裁に入った方がよいかと思い始めたタイミングで、二人は静かになって別々の方向へと去っていった。
気が付くと、目の前に高めのハイヒールを履いたワンピース姿の女性がいた。どうやら外国人のようだ。
「あら、見慣れない顔ですね。何かお探しですか?」
きょろきょろと周囲をの様子を伺っている女性に声をかける。
彼女は神社の奥へと続く階段が気になっているようだったので、高台の伝説とともに花火がもうすぐ始まることを伝えた。
午後八時。時間ぴったりにドンという音が鳴り、花火が始まった。
今から二十分間は、誰もが立ち止まって花火にだけ注目している。それは私にとっての短い休憩時間を意味していた。
「ふぅ……」
休憩室の椅子に座り、屋台で買ったラムネを一人で飲んだ。さすがに全身に疲れがたまっていることを実感する。
夏祭りに向けて一か月以上前から準備をして、当日は掃除や困っている人への声掛けをするのが私の仕事だ。
もちろん期間限定のアルバイトやボランティアもたくさん入ってくれていたけれど、当日は彼らにも思う存分夏祭りを楽しんで欲しかったので、必要最小限のスタッフだけを残して、準備メンバーは解散した。
ふと目の前の机を見ると、十年ほど前に拓斗と桃花が貼ったシールが目に入った。
ということは……その二つ隣の机のところまで移動して、別の古びたシールを確認する。
これは私が二十年くらい前に幼馴染のエリックと共に貼ったシールだ。その証拠に、シールのそばにEとAのイニシャルが彫られている。
エリックにアルファベットを教えてもらいながらハサミで無理矢理机に傷をつけたものであり、母にこっぴどく叱られたことも懐かしい思い出だ。
シールは色が完全に剥がれ落ちていて、もともと何の絵が描かれていたものだったのか判別できなくなっている。私自身も、シールの絵柄は既に忘れてしまった。
けれど、いまだに残っているイニシャルを見るたびに、二十年前に一緒に遊んだ男の子のことを思い出すことができた。
エリックは私よりも二歳年下で、私たちは出会ってすぐに友達になった。
神社の娘ということもあり和風なものに囲まれてきた私にとって、エリックと遊んでいるときが唯一異国文化を感じる時間だった。
私が小学校に入ったばかり頃、背負った真っ赤なランドセルを見て、エリックは可愛いと言ってくれた。
本当はラベンダー色のものが欲しかったけれど、その日以来、赤も悪くないなと思えた。
エリックは自分も二年後には買ってもらえるんだと楽しみにしていたが、その夢は叶わないまま引っ越していった。
エリックが引っ越していく直前、私たちは結婚の約束をした。
もちろん、そんな約束を信じていつまでも待っているほど私は子供ではない。
この二十年間の間に幾人かの男性とお付き合いをして、本気で好きになって、そして破局してきた。
今でもエリックが好きだなんていうロマンチックな気持ちはないし、そもそも大人になったエリックがどんな格好をしてどこで何をしているかすらわからない。
仮に今のエリックが笹川神社を訪れたとしても、気づくことはないだろう。
「朱莉、こんなところにいたのか」
突然かけられた声の方へと振り返ると、笹川神社の第二十六代神主、すなわち私の父が立っていた。素早くラムネの瓶で机の上のイニシャルを隠す。
「ちょっと休憩していたの。何かあった?」
「幸平くんが来てる。今は応接室で待ってもらってる」
「そう。あいさつしておかないとね。教えてくれてありがとう」
私がそう言うと、父は私の隣に座った。
「朱莉には無理を言って申し訳ないと思ってる。でも、四百年前から続いているこの笹川神社を私の代で終わらせるわけにはいかないんだ」
もう何度この言葉を聞いただろう。数年前に兄が突然家を出て行ってから、何度も繰り返し聞かされた言葉だ。
「わかってるわ。私が婿養子を取ってこの家を継ぐから安心して。それに、幸平さんはとっても優しくて頼りになる方だもの。何の不満もないわよ」
「申し訳ない。健吾さえ戻ってくれば……」
「いつまでもそんなこと言ってないで元気出してよ。神主はみんなを笑顔にするのが仕事でしょう?」
私がそう言うと、父は、
「そうだな」
と、言って、ぎこちなく笑った。
「それに、今さら兄さんが帰ってきても遅いわよ。この広い神社はぜーんぶ私のものになるんだから」
私が大げさに腕を広げながらそう言うと、父は頷きながら何度も「ありがとう」と繰り返した。
【応援よろしくお願いいたします】
「面白かった!」「続きを読みたい!」
と思ってくださった方は、下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援お願いいたします。
もちろん、あまり満足ができなかった方は☆1つや2つでも構いません。
また、ブックマークや感想コメントもいただけると本当に嬉しく思います。
既に最後まで書き終わっているので、できるだけ速やかに全話投稿していきます。




