第三章 第七話
学校に行くと、廊下に人だかりができていた。
自分の教室にカバンを置いて、すぐに人が集まる方へと行ってみる。
群衆をかき分けて教室の中の様子を伺うと、割れた窓ガラスと床に飛び散った血痕が見えた。
すぐに尋常じゃない事態だと理解する。
女性教諭が飛び散ったガラスの破片を掃除し、男性教諭が野次馬たちに向かって自分の教室へ戻るように呼び掛けていた。
「あ、凛子。やっと来たのね。榎本くん大変なことになってるわよ」
愛海が駆け寄ってきて言う。
一気に体中の血液が熱くなっていく感覚がした。この教室は、夏樹のクラスだ。
「夏樹は無事なの? 愛海は何があったか知ってるの?」
「落ち着いて」
私が詰め寄ると、愛海が私の両肩を強く抑えた。
「榎本くんは無事よ。あの血は彼のものじゃない」
「夏樹は今、どこにいるの?」
「先生が職員室に連れて行った。榎本くん、クラスメイトを庇って不良に殴られそうになったんだって。で、それをかわした結果があれ」
愛海が割れた窓ガラスの方を指さした。
「ありがとう。ちょっと行ってくる」
愛海に礼を言って、今上ってきたばかりの階段を駆け降りた。
「失礼します」
急いで引き戸を開け、職員室に一歩入って中を見渡す。
夏樹の姿が見当たらない。
不思議そうな目でこちらを見る教師たちを無視して職員室を出たところで、夏樹と出くわした。
隣には夏樹の担任、坂本先生が立っている。
「皐月さん? どうしたの、そんなに焦って」
数週間ぶりに間近で見る夏樹の左頬のあたりには、大きなガーゼが貼ってあった。
「顔、どうしたの? 大丈夫?」
「ああ、ちょっとね。さっき怪我しちゃって、今保健室に行ってきたところなんだ」
夏樹がそう言って、先生の顔をちらっと見た。
「心配してくれてありがとう。僕、これから先生と話があるから」
一言そう言って、私が返事をする前に二人で職員室へと入っていった。
職員室の前で夏樹を待つ。
始業のチャイムが鳴って夏樹が退室してくるまで十分もかからなかったけれど、私にはその何倍もの時間に感じられた。
続々と職員室から出てきた先生たちが各々の教室へ向かう中で、夏樹と坂本先生の姿を見つける。
こちらに気づいた夏樹が、
「すぐに行くので、少しだけ皐月さんと話してもいいですか?」
と断ると、坂本先生は頷いて、一人で歩いて行った。
「待っててくれてありがとう。授業、始まるよ」
夏樹が何事もなかったかのように落ち着いた様子で話しかけてくる。
「殴られたの?」
自分の左目を軽く触わりながら問う。
「うん。同じクラスの山下くん、いつもいじめられてるんだけど、今日はなんかイライラしてたから、いじめっ子を後ろから教科書で叩いたんだ。別に僕自身が何かをされたってわけでもないんだけどね。そうしたらやり返された」
夏樹がらしくないことを言う。
私はこれまで、彼が暴力をふるうところはもちろん、怒っているところを見たことがなかった。
「いきなり叩いたの?」
「うん」
「ガラスが割れてたのは?」
「僕が攻撃をかわしたら、窓に当たったみたい。殴った奴は今も保健室だよ」
久しぶりに、夏樹と二人並んで歩く。
三年生の教室は二階だ。ほとんど話せないまま、すぐに到着してしまうのが残念だった。
「このまま抜け出そうか」
階段を上り切ったあたりで、夏樹が言った。
「えっ」
私が驚いていると、夏樹が二、三段ほど階段を下りて、手を差し出しきた。
「どうする?」
夏樹がいつもと同じ静かな口調で尋ねる。
迷っている時間はない。すぐに彼の手を取って、一緒に走り出した。
遅刻を避けるために必死で走っている生徒たちとすれ違う。
逆走する私たちを周囲の人たち全員が注目している。
はじめは少し恥ずかしかったけれど、中庭を通り抜ける頃にはなんだかおもしろくなってきた。
「僕、一度こういうことしてみたかったんだ」
嬉しそうに語る夏樹の笑顔は、遠くに見える朝日よりも眩しかった。
風を切りながら校門を駆け抜けて、学園から二百メートルくらい離れたところにある公園で、芝生の上に座る。
二人とも運動が得意なタイプではないので、早くも息切れを起こしていた。
「怒られるよ」
私がそう言うと、夏樹は、
「別にいいよ」
と、言った。
「夏樹ってそういうキャラだっけ。もっと優等生なのかと思ってた」
夏樹は問いには答えず、遠い空を眺めていた。そのままの姿勢で、
「皐月さん、どうして職員室まで来てくれたの? 僕たちはもう……」
と、尋ねてくる。
「心配だったから。あと、皐月さんはやめて」
私が答えると、夏樹は少し時間を置いてから、
「ありがとう、凛子ちゃん」
と、言った。
二人で眺める晩秋の空は快晴だった。
赤く染まった葉は既にほとんどが地面へと落ち、木の枝がむき出しになっている。
砂場では幼稚園児くらいの子供が山を作っており、その隣では高齢者が体操とダンスの中間くらいの妙な運動をしていた。
鳥たちは飛んだり休んだりを繰り返しながら、それぞれが気の向くままに纏まりのない動きをしている。
しばらく二人でその様子を見つめていたけれど、先に沈黙を破ったのは夏樹の方だった。
「僕は凛子ちゃんの自由で元気なところが好きだった。何度先生に怒られてもスカートの丈を長くしないところとか、体育会や文化祭を全力で取り組んでるところとか。だからちょっと真似してみたかったんだよね」
「夏樹が思ってるほど自由じゃないよ。こうやって学校をサボったことなんてないし、人を殴ったこともない……こともないけど、滅多にない。本当はいつも周囲の様子を伺いながら生きてるの」
「そっか。慣れないことをすると加減が難しいね。巻き込んじゃったかな」
夏樹の言葉に対し、ゆっくりと首を横に振る。
「ううん。お互い様だから」
「お互い様?」
「あのね。私、後悔してるの。本当はまだ夏樹のことが好きだから」
そう言いながら、しっかりと夏樹の顔を見つめる。
気のせいかもしれないけれど、喧嘩別れをした時よりも少し大人っぽく見えた。
私の視線に気づいた夏樹は少し首をかしげてこちらを向いてくれたけれど、黙ったままだった。
「最近、お姉ちゃんに彼氏ができたの。お姉ちゃんだけじゃなくて、友達の愛海もそう。それで楽しそうな話を聞いてるといろいろ羨ましくなって、焦って、振り回して、夏樹に迷惑かけちゃった。別れたくないのに、別れようって言っちゃった。ごめん」
「悲しかったけど、別に迷惑とは思ってないよ」
「もう、戻れないかな。クリスマス、一緒にデートできないかな」
私がそう言うと、夏樹は、
「少し考えさせて」
と、言った。
本当は、初めて彼に気持ちを伝えた時と同じように今すぐに返事を聞きたくて、せめていつ返事を聞けるかの目安を教えて欲しくて、催促の言葉が喉元まで出かかったけれど、ぐっとこらえた。
二時間目に間に合うように、休み時間の間にこっそり教室へと戻った。
当然そんな誤魔化しがうまくいくはずはなくて、昼休みにしっかり生徒指導室へと呼び出され、二人一緒にお説教されることになった。
後で聞いた話だけれど、夏樹は喧嘩のことも相まって、保護者呼び出しまで食らったらしい。
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