第二章 第七話
「なぁ」
帰りのバスの中、最後列で隣に座った大志が話しかけてくる。
「うん?」
「言いたくないならいいけどさ、いったい何があったんだよ」
「何のこと?」
「さっき泣いてたじゃん。バレてないと思ってんのかよ」
「さすがに隠せないか」
「隠したいならこれ以上聞かねえよ。でも、そもそも急に花火がしたいとか言い出して、昨日からなんか様子が変だし、話したいことがあるなら聞くぞ」
大志はそう言って、窓にもたれかかった。ぼーっとしながら移り行く外の様子を見ている。
そのまま三十秒くらい経っただろうか。バスが信号で止まると同時に座席が少し揺れ、大志の体がビクンとなった。
「大志って、どうしてよく教会にいるの?」
少し疲れが見える横顔に話しかける。
「前に言っただろ。家にいると親がうるさいんだよ」
「それだけ? 神様は全く信じてないってこと?」
「どうかな。全くって言われると断言できない。クリスマスを祝ったりするし」
いかにも日本人らしい回答だ。
しかし正直なところ、私も似たような感覚だった。
これまでの人生、どちらかといえば神よりも自分の力を信じてここまで来た。
「神様って、孤独を感じたりしないのかしら」
大志が再び目をそらしたタイミングでポツリと呟いた言葉を、彼は聞き逃さなかった。
「はぁ、何言ってんだ。やっぱり昨日から変だぞ。熱でもあるんじゃないか」
大志の少し毛の生えた右手が額に触れる。温かかった。
「急に触らないでよ。びっくりするじゃない」
「はいはい。それで、神様がなんだって?」
「ううん、何でもないわ。そんなことより就職活動の話を聞かせてちょうだいよ」
「なんだそれ。せっかく楽しい気分だったのに、怒るぞ」
口ではそう言ったけれど、大志の穏やかな表情を見ると怒っていないことは明白だった。
とはいえ、聞かれたくないテーマであること自体は本当だったのだろう。
急な静けさの訪れとともに、安易に聞いてしまったことを後悔する。
自分の将来が全く決まらない。来年の今頃、自分がどこで何をしているか、生きているか死んでいるのかすら分からない。
そんなどうしようもない不安を私は知っている。
きっと今の大志も日本に来る前の私のような、複雑な気持ちを抱えているのだろう。
「今度、最終面接を受けられることになった。明後日面接を受けて、今週中には結果が出ると思う」
大志の口から出た言葉は、私が予想していたよりも前向きだった。
「おめでとう。すごいじゃない」
素直に、思ったままの感想を伝える。
「そこそこの規模のIT企業だ。とにかくシステムエンジニアの人手が足りてないらしい。プログラミングなんてやったことないんだが、なぜか二次面接まで突破できた」
「それが、大志のやりたい仕事?」
私が尋ねると、大志はゆっくりと首を横に振った。
「違うね。もう何十社も落ちてる。面接のたびに御社が第一志望ですって言ってるけど、実際にどこが本当の第一志望だったかなんてもう覚えていない。というか、今さらそんなことを気にしてても仕方がない。まずはどこかの会社に入らないと生活できないからな。少しでもチャンスが転がっていたら掴み取るだけだ」
「本当は望んでいない仕事でも、面接では『やる気満々ですよ』という風に語らないといけないってこと?」
「競争に負けるってのはそういうことなんだよ。残り物の中から相対的にマシなものを選ぶしかない。一生拗ねてても始まらないからまずは今の実力を素直に受け入れて、諦めて、妥協して、歯を食いしばって、必死で小さな幸せを探すんだ。そう自分に言い聞かせてる」
「そう。これからも応援してるわ」
本当はもう少し言いたいことや聞きたいことがあったけれど、自重した。
好奇心で深く聞いていい話ではないと感じたし、日本での就労経験がない私にできることは、心の中で応援することだけだろう。
駅前のバス停で一人の男の子が乗ってきた。
小柄な体にリュックサックを背負って眼鏡をかけた、大人しそうな少年がこちらをちらっと見る。
「よう、夏樹」
夏樹と呼ばれた少年は大志の知り合いらしい。
私に遠慮したのか離れた席に座ろうとしていた夏樹が振り返る。
「こんばんは、大志くん」
返事をした夏樹がどこに座るべきか悩んでいる様子だったので、一つ席を横にずれた。
大志と私の間に空席ができる。
「ここ、どうぞ」
私がそう言って合図をしても、夏樹はまだ遠慮がちに私と大志の顔を交互に見た。
「私の名前はオリビア・ランスロット。大志くんの友達、かしら」
「彼女です」
冗談を言う大志を無視して、
「遠慮しなくていいわよ。私たちさっきまでずっと話してたし、もう十分満足したから」
と言うと、夏樹が小さく頭を下げ、素早く私たちの間に座った。
すぐにこちらを向いて、自己紹介してくれる。
「榎本夏樹です。大志くんとは昔将棋教室で知り合って、二人とももう卒業しちゃったんですけど、今でもたまにお世話になってます」
見た目の通り、礼儀正しい少年という印象を受けた。
大志に比べて夏樹の方が、遥かに私の中の将棋棋士のイメージに合致している。
「夏樹、今日は奨励会の帰りか?」
「うん、そうだよ」
「そろそろ昇段できそうか?」
「どうかな。来週の対局次第だと思う」
その後しばらく二人で何やら将棋に関する専門的な話をしていたけれど、私にはよくわからなかった。
唯一わかったのは、夏樹はプロの将棋棋士を目指して県外の養成機関まで通っていて、今がその帰り道だということだけだ。
「こんな時間まで将棋ばっかりしてて、初めてできた彼女とはうまくいってんのか?」
「う、うん。まぁまぁかな」
突然の将棋以外の質問に夏樹が慌てた様子で曖昧な回答をする。
大志が笑いながら私の方を見て、
「あいつだよ。ほら、この前教会に来てた派手なガキ」
と、言った。
「凛子ちゃん?」
「そうそう。意外な組み合わせだよな。俺も初めて聞いた時はびっくりしたもん」
組み合わせもそうだけれど、凛子に彼氏がいたこと自体が私の想像を超えていた。
いろいろ考えすぎていたのは私の方だったかもしれない。
「あ、そういえば夏樹。オリビアも『あの日のアメジスト』が好きらしいぞ」
いまいち話に入っていけない私に気をつかってか、大志が話題を変える。
「えっ、ほんとですか」
夏樹が今日一番の大きな声を出した。
「僕、神原先生の大ファンなんです。新作が出るたびにファンレター書いてるくらいです」
「へぇ、すごい。先生も喜ぶでしょうね。私も書いてみようかしら」
「本当はプレゼントもお渡ししたいんですけどね。神原先生って性別や年齢を公開されていないじゃないですか。だから何を贈ったら喜ばれるかわからなくて、昔一度コーヒーメーカーを贈って以来、たまに手紙を書いてるだけなんです。でも雑誌のインタビューを見たらどうやら僕が贈ったコーヒーメーカーを愛用してくださってるっぽくて、嬉しかったです」
その雑誌がノベルパーティ二千二十三年秋号のことだとすぐにわかった。先ほどまでとは別人のように饒舌になった夏樹を見ながら、年甲斐もなく優越感を噛みしめる。
私は、神原友の正体を知っている。
神原友がどのような思いで日々執筆活動に取り組んでいるか、ほんの一部かもしれないけれど、本人の口から直接聞いたことがある。
杉原拓斗との関係がどうなろうと、私が神原友の一番のファンであることはこれからも変わらない。
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