第二章 第四話
「あなたたち、いつまで続けるつもり?」
連日尾行され続けていることがいい加減鬱陶しくなり、不自然なサングラスをかけた探偵気取りの女の子二人に声をかけた。
「凛子、お前なんでこんなところにいるんだよ」
先を歩いていた拓斗が振り返り、驚いた顔をしている。
「そっちは桃花か?」
拓斗が声をかけた視線の先にいる物静かな女が桃花らしい。
確証はないけれど、拓斗が神原友だと判明したあの日、屋上でこちらを覗いていた少女と似ている気がした。
はっきりとキスシーンを見せつけてやった、恋のライバルだ。
「ねぇ桃花ちゃん。私に用があるのはあなたの方でしょう。こっちのうるさい子は関係ない、そうよね?」
「お姉ちゃんに触らないで」
桃花の顎に少し手を触れただけで、凛子と呼ばれたもう一人の少女が大きな声を出した。
一人前にメイクをして大人っぽい恰好をしているが、よく見ると顔つきがまだ幼い。
「ふぅん。あなたたち姉妹なんだ。ずいぶんと情けないお姉ちゃんね」
そう言った瞬間、凛子に頬を叩かれた。じんわりと広がる痛みを、ゆっくりと噛みしめる。
この数週間、拓斗から身の回りのことに関するたくさんの話を聞いた。
拓斗は桃花のことが好きだということ、桃花のことを守ってやりたいと思っていること、でも肝心の仕事がうまくいっていないことなどだ。
特に、拓斗が比較的簡単だと思って舐めていたシナリオや舞台設定の部分で、編集者と意見が対立しているらしい。一言で言うと、拓斗の書きたいものが現代の流行と合致していないそうだ。
自分が得意だと思っていたことが実はそうではなかったという事実を受け止めるのは、誰にとっても辛い。
そして、拓斗から話を聞けば聞くほど、桃花のことが嫌いになった。
ただ恋のライバルだからというだけではない。拓斗がこんなに真剣に悩んでいることにも気づかず、くだらない誤解と嫉妬で彼を振り回し、神原友の個性を潰すようなアドバイスをして、自分はのほほんと剣道の練習ばかりしている桃花のことが許せなかった。
「あなたはよほど姉想いのようね」
そう言いながら凛子の顔を見ると、彼女の目が潤んでいることが分かった。
今にも零れ落ちそうな涙を必死でこらえながら、できる限りの敵意を持って、私を睨みつけている。
この女は、妹にまでこんな顔をさせるのか。
「それとも、何か他の理由があるのかしら」
思わせぶりなセリフを聞いておじけづいたのか、凛子が一瞬だけ目を逸らした。
そもそも凛子は拓斗の件と直接関係がない。
彼女を無視して、桃花の方へと身体を向けた。
「私、あなたみたいな女が大っ嫌いなのよね。自分では何もせず他人に全てやらせて、守られて、譲らせて、助けられて応援されて察してくれて、そんな甘えた自分を変えたいと思いながらも何もしなくて、結局は反省ごっこをしてるだけ。今日も明日も一年後だって十年後だって同じ、何の成長もせずにのほほんと生きてるだけ。今のうちによく見ておくことね。妹さん、あなたのせいで泣いてるわよ」
言ったことは概ね全て本心だったけれど、後で拓斗に怒られた。
知り合ってまだ一か月弱とはいえ、もう十分すぎるくらい理解している。
彼が本気になるのは仕事のことと桃花のこと、この二つだけだ。
その桃花に対してあんなことを言ってしまった私が彼に嫌われるのは当然だ。後悔が頭をよぎる。
「俺が悪かった。ごめん」
今度は突然謝られた。
「何が? さっきのは私が意地悪しすぎたわ。拓斗が怒るのは当然よ。こちらこそごめんなさい」
「そうじゃない。他人に甘えてるのは俺だ。俺はオリビアに頼りすぎてた。本当なら、自分の能力不足は自分の努力で埋めるべきだ」
「私がマッチングアプリで出会った人から小説のための取材をしてたこと? それとも、ホテルの支配人に頼んで取材用の写真を撮らせてもらったことかしら」
「どっちもだ。それ以外にも」
拓斗の口に人差し指を当てて、話を遮る。
「拓斗は学校に行けないくらい忙しいんだから執筆に集中した方がいいわ。それに、全て私がやりたくて勝手にやったことよ。別に命令されたわけでも泣きつかれたわけでもない。私が、自分のできる範囲のことで、拓斗の助けになりたかっただけ。あと、いくら取材とはいえ未成年のあなたがラブホに出入りするのはまずいでしょう。先生に見つかったら退学よ」
これも本心だった。けれど拓斗は、
「もう、やめてくれ」
と、叫んだ。
「オリビアが神原友のファンで、杉原拓斗のことを好きでいてくれることは十分すぎるくらい伝わった。ありがたいよ。嬉しいよ。それに、たしかにオリビアは頼りになる。おかげでいい小説が書けそうだ」
「だったら私と」
「でも、俺はその気持ちには答えられない。俺が桃花のことを好きだっていう事実は、今後も絶対に覆らない。それから、オリビアの気持ちを知ってるのに、これからも都合よく利用し続けることはできない」
拓斗がゆっくりと、でもはっきりとした口調でそう言い切った。
一つ一つの単語を聞き分けながら、様々な感情が頭の中を駆け巡る。
「そう。わかったわ」
とりあえず相槌を打つのが精一杯だった。
「たしかに桃花はオリビアみたいに強くないし、頼りない。頭がいいわけでもないし、顔やスタイルだって平凡だ。でも、桃花にだっていいところはたくさんあるんだよ。例えばあいつはいつだって一生懸命生きてるんだ。朝はよく自分でお弁当を作って、ときどき俺にも持ってきてくれる。学校の宿題はどれだけ時間がかかっても必ず全部やるし、剣道部の活動だって他の誰よりも頑張ってる。そして、自分に辛いことがあっても俺に優しくしてくれる」
これ以上、拓斗と話を続けるのが辛かった。
私は母国で鉄砲玉の下を潜り抜け、遠い異国で馬鹿にされないよう日本語の細かなイントネーションまでしっかりとマスターし、今だって誰にも頼らず自分の力で憧れの神原先生と仲良くなれるように頑張っている。
そんな私が一生懸命生きていないとでも言いたいのだろうか。
胸が締め付けられるような強い痛みを感じた。言葉が喉に詰まり、何も言えないまま、目の前の光景がぼやけていく。
その後も拓斗は長い間何かを喋っていたけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。
強くなるとは、つまり、寂しくなることだ。
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