第二章 第二話
人違いでたまたま話しただけの二人。拓斗との関係はそれだけのはずだった。
でも、実際にはそうではなかった。
校舎の屋上で電話している拓斗を見かけて、一度は消え去った疑念が蘇る。
「ふぅん。やっぱりあなたが神原先生だったのね。電話の相手は出版社の編集さんかしら?」
拓斗の背後を左から右へと歩きながら、声をかけた。
「おかしいと思ったのよ。あの夜、『私に出版社の人ですか』って質問したくせに、『神原先生って誰ですか』なんて聞いてくるんだもの。これって、神原先生が小説家だって知ってるにもかかわらずが知らないフリをしてたってことでしょう」
私が問い詰めると、拓斗は、
「ああそうだ、俺が神原友だよ。誰にも言うんじゃねえぞ」
と、あっさり白状した。
「っていうかなぜお前がここにいる」
「こっそりついてきたからよ」
「なぜついてくる」
「そりゃあクラスで唯一の友達だもの」
「こっちは友達になった覚えなんてねぇよ。転校生として特別扱いしてくれているうちに、もっと他の奴らとも仲良くなっておいた方がいいぞ」
「心配してくれるんだ」
「面倒くさがってるんだよ」
拓斗が言葉通りの面倒くさそうな表情をして、その場に座り込む。
「あなただってクラスメイトと話さないじゃない。もしかして机を窓から捨てられたり教科書にシネって落書きされたりしてるの? 噂のジャパニーズいじめ?」
「ちげーよ、おちょくるな」
「ごめんごめん。でも私、神原先生に会えたのが嬉しくって。それに、こんなかっこいい男の子だったなんて」
同級生だと分かって以降すっかりふざけた調子で話していると、拓斗が突然真剣な顔になった。
「もう一回言うけどさ、俺が作家・神原友であることは秘密にしてくれ。頼む」
「どうしてよ」
「どうしてもだ」
「それじゃ納得できないわ」
「バレると面倒なんだよ、いろいろと」
「ふぅん。どうしよっかなぁ。私だけ言いなりになるなんてねぇ」
拓斗の周りをくるくると歩きながら、わざとらしく顔を覗き込んでみる。
「はぁ、わかった、わかりました。なんでも一つ言うことを聞くから黙っていてください。お願いします、オリビアさん」
「なんでも」
私が繰り返すと、拓斗は、
「なんでも」
と、さらに繰り返した。
「じゃあ私の彼氏になってよ」
「それ以外」
「えー、なんでもって言ったのに」
「俺は真剣なんだよ」
拓斗の眉が一気に吊り上がる。
「私だって真剣よ。神原先生に会うためにわざわざ引っ越してきたんだから。でもまぁそうね」
喋りながら拓斗の腰に手を回す。ふらつく彼の身体を少し引き寄せて、唇に三秒ほどキスをした。
「これで許してあげるわ。杉原拓斗くん」
拓斗は数秒ほどぽかんとしていたが、すぐに、
「ちょ、おま、何してくれてんだよ」
と、言った。
「あら、もしかしてファーストキスだった?」
拓斗はまだ何か言いたそうだったけれど、右手を前に出してそっと制止する。
「大丈夫、私、口は堅いから。秘密は絶対に守るし、なんならお仕事手伝うわよ。私にできることって何かある?」
「ねぇよ。っていうか俺はまだお前を信用していない」
「お前って言わないで。私のことは名前で呼んでくれる?」
少し強く言いすぎただろうか。拓斗が少し驚いた顔をする。
「嫌なことを思い出すのよ。まぁいいわ。そんなことより、一つ質問してもいいかしら」
拓斗の前に立ち止まり、アイドルのように整った彼の顔を見た。
「夏祭りの日、高台で何をしていたの?」
黒い瞳をじっと見つめながらそう問うと、拓斗の方から目を逸らした。
「人と会う予定だったんだよ。結局会えなかったけどな」
横を向いた拓斗が、小さな声で言う。
「彼女?」
「違う」
「でも好きなんだ」
「オリビアには関係ないだろ」
「ふぅん。そういうこと言うのね。本当は昼休みに屋上で逢引きするような仲だったりして。今もあそこの扉の影から見てるかもよ」
私がそう言うと、拓斗は面倒くさそうにため息をついた。
「ああ、好きだよ。俺は桃花のことが好きだ」
この素直さがなんだか可愛らしかった。私がイメージしていた神原友そのものといった感じだ。
「素直でよろしい。で、その桃花ちゃんって娘にはもう告白した?」
「してない」
「気持ちは伝えなきゃ」
「今はまだダメなんだよ」
拓斗がおかしなことを言う。
今好きなのに今告白をしないで、いったいいつするつもりなのだろう。
「俺は小説家としてまだ大成していない。吹けば飛ぶような新人だ」
「神原友は必ず世界一の作家になるわ。天才だもの」
「そんな甘い世界じゃないんだよ。新人賞作家だけでも毎年何十人もいる。今の時代、物書きで食っていくのは至難の業なんだ。それに俺は天才なんかじゃない。ずっと練習して、ようやくデビューできたんだよ」
「練習? どんな?」
「例えばさ、映画を観るだろ。そしたらその映画を小説にしてみるわけ。映画じゃなくてテレビドラマや漫画でも、何なら既存の小説を自分の言葉で書き直してみるのでもいい。その場合シナリオ自体はプロが作ってくれてるんだから、面白くて当然だ。でも俺が小説にすると、途端につまらなくなった」
「自分の文章力のみが問われるってことね」
「ああ。もちろん音声や映像なしで表現できることの限界はあるけどな。でも、読者が求めてるのは読めば頭の中に情景が思い浮かぶような、そんな小説だろ」
たしかに神原友の小説は風景や登場人物の動きが丁寧に描写されていて、読むだけで頭の中に情景がイメージできるものが多い。
だからこそ、私は紫水町に憧れてやってきた。
「シナリオや設定を考える方はまだ何とかなるんだよ。俺自身が日々生きてる中で見たことや感じたことをもとに組み立てればいい。でもそれをうまく表現するっていう部分は、日常生活の中にないからな。意識して練習するしかない」
「それが桃花ちゃんとどう関係するの?」
だんだんと話が思いもよらない方向に向かってきたので、軌道修正を図る。
「今のままじゃ桃花を守れない。俺、出席日数もきわどくてさ、下手すりゃ大学進学どころか高校卒業すらできない可能性がある。ここまで来たらもう後戻りはできない。これから死ぬまで小説で食っていくしかないんだよ。なのに最近思うように筆が進まないんだ」
「考えすぎじゃない? 桃花ちゃんは別にあなたに守ってもらおうなんて考えてないかもしれないわ」
「男ってのはそういうものなんだよ」
「真剣なんだ」
「ああ」
短く即答した拓斗の表情からも、真剣であることが読み取れた。
「私、ますます好きになっちゃった。作家の神原友先生も、高校生の杉原拓斗くんも」
意識的に声を高くして明るくそう言うと、拓斗は、
「もう戻るぞ。ここは本来立ち入り禁止なんだよ。二度と来るな」
と言って、私を置いて先に歩き始めた。
校舎の屋上から見える秋の空は、雲一つない快晴だった。
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