第一章 第九話
「ついにたっくんとデートか。ね、来てよかったでしょ。変装も完璧だし」
凛子が大きなサングラスを少しずらして、得意げに胸を張る。
オリビアさんがホテルから出てきたシーンを目撃した日の夜、凛子にはもう尾行はやめようと言ったけれど、彼女は、変装すれば大丈夫だからせめて今週中は続けようと言い張った。
もうオリビアさんがどういう人なのかはだいたい分かったし、凛子の顔もバレてしまったのでこれ以上は危険だと思いつつ、結局押し切られる形で今日に至っている。
「不自然すぎるわよ。せめてもうちょっと距離を取って歩きましょう」
「そんなこと言ってたら見失っちゃうって」
大通りから逸れて路地へと入っていくオリビアさんとお兄ちゃんを追いかけて、角を曲がる。
ドンっという音がして、凛子が倒れ込んだ。同時に、サングラスが滑り落ちる。
「いったーい」
凛子がぶつかった相手は、オリビアさんだった。角を曲がったタイミングを狙って待ち伏せをされていたのだとすぐに気づく。
「あなたたち、いつまで続けるつもり?」
オリビアさんの青く冷たい目が凛子を見下ろす。
風になびく長い金髪の奥からお兄ちゃんが現れ、
「凛子、お前なんでこんなところにいるんだよ」
と、言った。
続いて、こちらの方を見る。
「そっちは桃花か?」
「う、うん」
これ以上は隠せないし、凛子だけを犠牲にすることもできない。諦めて、サングラスを外すことにした。
凛子が立ち上がり、お兄ちゃんの視線から私をかばう様に二人の間へと移動する。
「あのね、たっくん。私たちこの先のケーキ屋さんに行こうと思ってたの。あそこのチーズケーキすごくおいしいんだって。ね、お姉ちゃん」
「え、うん」
追いつめられた私たち姉妹の必死のやりとりは、オリビアさんの、
「ウソね」
という鋭い言葉でかき消された。
「あなたたち、今週ずっと私の後をつけていたでしょう。私が気づいてないとでも思った?」
「あちゃー、バレてたなら仕方ないか」
凛子がわざとらしくそう言って帽子を脱ぎ、ゴムを外して髪を下ろす。
「うん、こっちの方が可愛いね、私」
一人でそう呟いて、大きく息を吸った。
「たっくん、この人が今週何をしてたか知ってる? 毎日違う男とデートしてたのよ。ホテルから出てきた瞬間の写真だってあるんだから。それからね」
まくし立てる凛子の横をすっと通り過ぎたオリビアさんがこちらへと近づき、私の深くかぶった帽子をのツバを上にあげた。
「ねぇ桃花ちゃん。私に用があるのはあなたの方でしょう。こっちのうるさい子は関係ない、そうよね?」
「関係ないって何よ」
凛子がオリビアさんの背中に話しかけるが、彼女は振り返らない。
「ほら、部外者は放っておいて直接お話ししましょうよ。それとも、知らない人とはうまく話せないのかしら?」
オリビアさんの長くて冷たい指が、そっと私の顎に触れる。思わず一歩後ずさりをした。
街路樹が少し揺れて、数枚の落ち葉が頭へと舞い落ちる。
視線を逸らすと何をされるかわからなくて、じっとオリビアさんの高い鼻のあたりを見つめていた。
「お姉ちゃんに触らないで」
凛子が叫びながらオリビアさんの後ろ手をつかんだが、その手はすぐに振りほどかれた。
「ふぅん。あなたたち姉妹なんだ。ずいぶんと情けないお姉ちゃんね」
振り返ったオリビアさんがそう言い切る前に、凛子が彼女の白い左頬を叩いた。
パァンという高い音が静かな路地に響く。
「おい、それはダメだって」
お兄ちゃんが凛子をなだめようと二人の間に割り込む。
オリビアさんは赤くなった自らの頬を左手で軽く触って確認し、
「あなたはよほど姉想いのようね。それとも、何か他の理由があるのかしら」
と、言った。
「まぁいいわ。わざわざ変な格好をして後をつけて来なくたって好きなだけ教えてあげる。あなたたちが物陰から見ている前で一緒にパフェを食べたのは、マッチングアプリで知り合った裕也さん。昨日ホテルに行ったのは青年実業家の和弘さん。和弘さんったらすごいのよ。うふふ、ここからはあなたたちお子様には刺激が強すぎるかしら」
「オリビアもやめとけって」
お兄ちゃんが今度はオリビアさんの手を引く。
「そうね。拓斗、もう行きましょう。こんなくだらないことに付き合ってる時間がもったいないわ」
「待ちなさいよ」
呼び止める凛子の小さな声にオリビアさんは振り返り、凛子ではなく私の方を見た。
「私、あなたみたいな女が大っ嫌いなのよね。自分では何もせず他人に全てやらせて、守られて、譲らせて、助けられて応援されて察してくれて、そんな甘えた自分を変えたいと思いながらも何もしなくて、結局は反省ごっこをしてるだけ。今日も明日も一年後だって十年後だって同じ、何の成長もせずにのほほんと生きてるだけ。今のうちによく見ておくことね。妹さん、あなたのせいで泣いてるわよ」
オリビアさんが喋り終わると、お兄ちゃんがまず私の方を見て、次に凛子に向かって口を開いた。
「ごめん、今は時間がないんだ。あとで必ず連絡する」
速足で二人が去っていく。
後ろ姿が完全に見えなくなるまで、その場で茫然としていた。
私に背を向けたままの凛子が、
「何なのよ。私、泣いてなんかないもん」
と言ったけれど、さすがに隠しきれないことに気づいたのだろう。すぐに、
「これはあいつのせいだもん。お姉ちゃんのせいなんかじゃない」
と、訂正した。小さな背中がぶるぶると小刻みに震えていた。
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