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ひたむき  作者: ナトラ
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花、開いた先に ⑦

「これはどういうことですか」


 先の事項を理事会で決定した数時間後、美穂はテレビを見てこう呟いた。植永元社長を今も支持しているであろう社員一同が、HAYASHIMATU本社前に集合している。皆、プラカードや横断幕を持ち、その中の一人がマイク片手に訴える姿を映していた。


「おかしいだろう、勝手に決めるな、俺たちはANO社ではなく、HAYASHIMATUと一緒に仕事がしたいんだ」


「そうだ、勝手に決めるな」


 この騒ぎを聞きつけ、報道陣はそれまでの話題をよそに各社とも速報を伝え始めた。


「さて、HAYASHIMATUの買収が既に決まったとのことですが、今後彼らは覆せるでしょうか、またそのような秘策があるとすれば、どういったものになるとお考えですか」


女性アナウンサーがそう問いかけたところ、初老の男性コメンテーターが続けた。


「こうなりますと今からではかなり難しいでしょう、現にANO社、つまりライスパンの親会社ですね、そこが全ての可能性を視野に進めているわけです、もし仮にですよ、これからHAYASHIMATUが何かしら訴えたにしても、既にANO社は万全の体制でいる中ではそう言わざるを得ません」


 ちょうどその頃、優の入社と辞令交付式がライスパンで行われていた。


「こうして素晴らしい待遇で迎えていただき、本当に感謝しております、これからご期待に応えられますよう、頑張っていきたいと思います」


 挨拶して辞令を受け取り一礼すると、会場の百名近い社員からは盛大な拍手が鳴り響いた。昨日、帰国したばかりの優は、そうして一区切りつけたことで心はいつになく穏やかだった。式が終わるとすぐに営業部へ行き、部長室の真新しい座席と椅子に腰かけた。そして土地の譲渡手続きを済ませ、それからは上役との打ち合わせに入った。その後は各部署へ挨拶回りしていると、やがて帰宅時間となったので帰りがけに総務へ立ち寄った。新規で作った通帳を受け取り、足早に家路を急いだ。電車のホームに到着すると、空いているベンチに腰掛けてその中身を覗いた。見たこともない数字がひたすら並んでいる。胸を躍らせながら自宅へ着くと、念のためもう一度見てみた。数字を数えてはしばらくにやけ、そうして何度か繰り返してからそれを大切に金庫の中へ入れた。土地の値段は最終的には元値の倍、いや三倍近くとなった。それまでに土地を貸していた賃料と、今回の売却益を合わせて年収の数年分を得ることになった。


 土地明け渡しの数日前のこと。久々に訪れて眺めてみると、美穂と植えた種が芽を出している。既にいくつもの実をつけたものを一つずつ丁寧に収穫していると、急にいつまでもこうして見ていたいという衝動に駆られた。痛烈にそう感じながら、後ろ髪を引かれつつもようやく重い腰を上げてその場を離れた。それからは空港へ行き、手続きを済ませて飛行機に乗った。機内ではポケットに入れたミニトマトを取り出し、その何粒かをまとめて口の中へ放り込んだ。咀嚼した途端、何とも言えない美味が口の中一杯に広がった。噛み締めながら今は我慢するしかない、やらなければならないことがあるんだ。そう思いながら一息に飲み込んだ。甘酸っぱさを感じた後に再度放り込んだ。その数秒後、目元から不思議と涙が溢れた。美穂は最後まで見送りには来なかった。しかしそのことが理由ではなかった。昨夜届いたメールに書いてあったことを今、思い出していた。


「今までお疲れ様、これまでいっぱい助けてくれてありがとう、お互い頑張ろうね、大好きだよ」


優はこの時、心の底から立ち向かうと決心したのであった。



 香純が発表する夕方となり、海外支店はさらに慌ただしさを増していた。


「おい、もうすぐいらっしゃるぞ、それまでに連絡しておかないとな」


「大丈夫、さっき伝えたから」


「ふう、何とか間に合ったか、しっかり頼むぞ、お、来たぜ」


 出入口に姿を見せた三人は、颯爽と事務所内へ歩いてきた。およそ二十名がすぐ立ち上がって迎える中、テレビ局のカメラマンがなぜか柱の袖にいた。一体、どういうことか。美穂がそう尋ねたところ、奥寺は微笑みながら答えた。


「きっと良いご報告だろうと思って、私が勝手に呼んじゃいました」


 それを横耳で聞いた香純は、そうした機動力を感心しながら中央へ黙って歩を進めた。その場に着くと、周囲を軽く見渡して一礼した。そして最初に、本社から届いたばかりの最新情報を伝えた。買収決定と聞き、社員たちは当然のように驚いた。しかし香純は構わずに続けてこう言った。


「正直に申し上げまして、こうして本社が店じまいの準備に入ったのは本当に驚きました、ただ、これで終わったわけではありません、時間もありませんので早速、本題に移ります、このような危機にある今、マイルドさんとあることについて合意に至りました、まずはそのことについて話を進めます」


「以前から林松社長と協議を繰り返してきた結果、残った店舗について利益分を全て還元することが決まりました、このことに賛同いただいたのがマイルドさんの三店舗です。手始めとして明日より、ランチメニュー全てを半額にします、この間にお騒がせしたことや、常日頃からご支持いただいている皆様に対してのものです、さらにこちらの考えとしては、夜間の集客につなげたいということだけです、もし実際に導入した後も好調ならば、今後はさらなる割引等も検討しています、そして最終的な目標は経費を除く利益分、その全てをお客様へ還元していきます、これが実現すれば企業としては当然、成り立たないのは言うまでもありません、しかしながらそれが可能となるのが組合です、よってこれからその移行期間へ入ります」


「私からもお願いがございます、どうか皆様のお力を貸していただきたく思います、私は大した業績を残したわけでもなく、短期間で辞することになりました、しかし現在、このような新たな波が発生している状況にあると思います、私たちは目先の利益を優先するよりも、さらにその先を見ていこうと決めました、誰しもお腹いっぱい食べられるよう、微力ながら努力していきたいと思っています、また現実問題として、金銭的には大企業に全くかないません、しかし私たちにはこれまでに培ってきたノウハウや、多くの方との繋がりがあります、お客様には来店したいと思っていただけるように、皆様とこれから一緒に作り上げていきたいと思っています、よろしくお願いします」


 以上が、そのまま中継で流れた。


「疑惑の二人による発表、明日から三店舗でランチ半額実施予定と」


するとたちまち問い合わせが殺到した。


「はい、明日の昼からとなります、今回は三店舗のみです、申し訳ございません、他店舗は対象外となります」


その頃、国内も足取りを合わせたかのように、一号店と六号店で実施すると湖層が皆へ説明した。また外の報道陣にチラシで配ってしばらくすると、同じように問い合わせが続々と入り始めた。


「そうです、他店舗は対象外となります、申し訳ございません」


 その翌日となり、マイルドの三店舗は昼過ぎも列を作っていた。また国内の一号店と六号店も同様に活況となった。こうして店が存続する限りという条件付きで開始すると、いつしか香純と美穂に対する報道は吹き飛んだかのように続報は止まった。こうして結果的には自社の半額ランチを宣伝した形となり、それはまるでかつての林松が壇上で大笑いした創業式典のようだった。総重建設を引退した植永はそう思いながら目を細め、報道を見ながら口にした。


「香純くんか、肝が据わっているな、かつての林松さんのようだ」


 いつかはその存在を越えてみたい。香純は林松に対して声には出さずとも、心の内ではずっとそう思ってきた。それが今、ようやく花開こうとしている。さらにはそうした報道が流れるやいなや、ANO社でも声が上がった。就任したばかりの優と共にかつての仲間たちが、本社前で同じように訴え始めていた。


「金に物言わせた買収を即座に止めろ」


「そうだ、そうだ」


そう声を上げる精鋭は、最初は十名程度だった。しかし報道を見たのか、その後は次第に数が増えて五十名となり、やがて百名近くが集まった。その様子を総重建設と本社前、それからANO社の合わせて三か所から同時中継となった。また一号店前に並ぶ人へのインタビューでは、ある男性と女性がこう答えた。


「ここに来たきっかけですか、あの不倫疑惑の報道ですね、実際にはそれが事実なのか私にはよくわかりませんが、ランチ半額は事実ですね、食事代が浮くので大変助かります」


「以前からこちらのお店は知っていました、そのような報道があったので一時はどうなるのかなと思っていましたが、全く心配ありませんね、おいしくて半額、とても助かります、夜、都合が良い時にまた来たいと思います、おかみさん、いつもおいしいお料理ありがとうございます」


 この結果を受け、ANO社では緊急会議が開かれることとなった。ライスパンの角末はいつになく堅い表情のまま、重鎮が待つ会議室の扉をそっと静かに開くのであった。


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