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ひたむき  作者: ナトラ
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花、開いた先に ②

 次の日の朝、美穂はいつもよりもかなり早く家を出た。まだ誰もいない会社に到着すると、まず施錠を外して静かに中へ入った。そして統括室のドアを開けてデスクにふと目をやると、何かが置いてあるのが見えた。ドアを閉めてすぐに傍へ駆け寄り、椅子を引き出して座った。そこには一枚の紙が置いてあり、何やら大きな文字で書いてある。それを手にして、見出しを覗き込むようにじっと見つめた。


「HAYASHIMATUの若き女性統括、林松美穂氏がまさかの不倫か」


それを見た途端に鼻先をピンと立て、それからは見下ろすようにして読み進めた。



「お相手は元上司、現統括補佐で農家の輝来香純氏か」


そこで思わずぷっと吹き出した。


「お相手ねえ、香純さんにはこちらから無理を言ってお願いしてますのに」


 そうこぼすと、それを近くにあるソファーの上に向かってひょいと投げた。それからしばらくすると次々に社員が出勤してきて、同時に外の様子も賑やかになってきた。社員たちは皆、周囲の異変を感じているようで、出社するやいなや慌ただしく動き始めた。どうやら周辺に待機している車が多数いる。そう小耳に挟んだ直後から、次第に電話の音が鳴り始めた。取引先などから問い合わせが、フロアに響き渡っている。そうした中で一呼吸整えてから内線を入れ、くれぐれも冷静な対応をと事務へ依頼した。そして机の上で右腕を突っ伏したまま頭を載せ、続けてこう伝えた。


「そう、それで良いですよ、今日はこれから香純さんと出かけると伝えてみてください、私はもうこの際、相手にどう思われようと全く構いませんので」


そう電話越しに聞いた社員は、ただ目を丸くした。美穂がそう言ったものの納得はしていないが、仕方なく了解した上でそれを相手へ説明した。また同時に他の社員にもそのことを伝えていると、程なく香純も到着した。こうした状況から既に察し、フロアに入ったところで別の社員からすぐに報告があった。


「やっぱりな、あの日の警告通りだ、その案、良いかも、よし、いっそのこと二人で温泉旅行に行く予定とでも言ってみようか」


香純が笑って答えていると、自室からやってきた美穂も軽く挨拶した後に強く頷いた。そして再びその場からすぐに依頼した。


 既に周辺は人だかりで溢れていた。大きなカメラを持つ人や、マイクを片手に取材しているレポーターがいる。こんな朝から大変だと思いつつ、香純は窓越しに見ながらフロア中央へと移動した。そしてテレビの電源を押したところ、ちょうどコマーシャルが流れていた。



「ねえねえ、ANO社って知ってる」


「知ってるよ、ライスパンの会社でしょ」


「そうそう、今では他にもたくさんあるの」


「そうなんだ、ところでどうしてANOなの」


「それを知りたいなら、ここへアクセス」


 そう流れた瞬間、近くの数名と共に声を上げて笑った。


「面白い、こうやって広めていくのですね」


奥寺が意味深に言うと、香純も何度か相槌を打ってからこう言った。


「さあて、それじゃ旅行の準備でもするかな」


そうしたやり取りを見ていた一人の女性が、やけに心配そうに二人へ声を掛けた。


「あのう、本当に行かれるのですか」


香純はその問いにさっと振り向き、いつになく笑顔でこう答えた。


「さあ、どうでしょう、本当に行くかもしれませんよ」


「行っちゃいましょうか」


美穂が再びやってきて、その後ろから声を掛けた。少し離れた所でその様子を見ていた優が、急に勢いよく席を立ちあがった。そして大きな声を張り上げた。


「あの、今日で辞めます」


 その声に皆は唖然とし、一斉に視線を向けた。


「え、どうしてですか」


事務の女性たちが次々と声が挙げた。


「もう耐えられません、こうして見ているのが」


それまで笑っていた美穂は、いつになく真剣な表情でこう尋ねた。


「それが本音なの」


その問いに対してもはや一切見ようとしないまま、優はただ俯きながらとぼとぼ歩き出した。するとある社員がそうした小さな背に向かって声を掛けた。


「あの、私に任せていただけませんか」


優はそれに何も反応せず、二人はその場から離れていった。


 林松の事前予想により、既に察しがついていた二人は改めて驚かなかった。しかしながらこの時点で、土地売却がほぼ決定したことは重く受け止めていた。


「しかしまあ、これでまた先に進んだね」


「おかげさまで」


「後は外の連中と電話対応か、さて、どうするか」


「温泉は冗談にしても、彼らを引きつけてみるのはどうですか」


「そうだね、そうしよう、ここに閉じこもっているわけにもいかないし、やってみよう」


「車、用意します」


「うん、ただその前にちょっとだけ先に流しておこう、朝礼が終わったらすぐ外出する予定あり、とか」


「良いですね、それも合わせて伝えておきます」


 それから程なくして朝礼が始まった。まず香純からやましいことは一つもないと伝え、その後にこう続けた。


「今日はいつも以上に電話対応などで忙しくなり何かと大変ですが、あと三日だけご辛抱いただきたい、その後、あることを発表する予定です、詳細につきましては、前日の夕方に伝えます」


そう話をしている最中に、秘書の木庭が美穂へそっと耳打ちした。


「あの、ライという人から電話が入っているそうです」


美穂はそう聞くとしっかり頷き、すぐさま香純に声を掛けた。


「お話の途中に申し訳ありませんが、後は私が引き継いでお伝えします」


木庭の手招きで察した香純はそこで話を止め、向かい側で手を挙げている女性社員の元に小走りで向かった。


「ライという方からお電話です」


香純は電話を受け取ると耳に当て、保留ボタンを解除した。


「ミスターカスミ、今日から予定通り開始します、残念ですがもはや時間切れです、今週残りの二、三日以内で全てがまとまるでしょう、あ、それとミスターユウのことですが、条件付きで我々に土地を譲ってくれることになりました」


「それはそれは、わざわざご苦労さまです、つい先程、本人の口より退職の意思ありと聞いたばかりでして、ちなみその条件とは何でしょうか」


「知りたいですか、もはや勝敗が決まったようなものなので、特別に良いでしょう、実はこちらへの転職と、役職就任であれば応じるとお話がありました」


「ほう、役職は何ですか」


「最低でも部長職以上とのことです」


「わかりました、ありがとうございます、それで数日以内で決着とのことですが、こちらもそのつもりだとお伝えしておきます、それでは対応などで忙しいので、この辺で失礼します」


 すぐに受話器を置いた。優が役職を希望していると聞き、まるで本社にいた元専務のようだと思いながらフロア中央へ戻った。既に朝礼は終了し、それぞれが持ち場へ戻っていた。そこへ美穂が近寄ってきて、混乱もなく無事伝えたと聞いた。一先ず胸を撫で下したものの、香純は先に優のことを進めるかどうか思案していた。美穂はその表情を見て察したのか、電話の内容について何も尋ねなかった。そのため先程の話を伝えたところ、全く変わりないまま一度だけ頷くのみだった。もはや引き止めるつもりは全くない。口には出さずとも、そう感じながら階下の駐車へと歩き出した。

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