本音 ⑨
「ついうっかり、か」
香純は優の言い分を聞き入れた。そして意図的なものではなかったと、美穂や幹部達に説明した。また林松へも同様にし、処遇については口頭警告のみとすることを双方で正式に決定した。美穂は安堵していた。しかしなぜ一言でも相談してくれなかったのかと思いつつ、ある程度の察しはついていた。
滞在二日目となった夜、宿泊先は会社から程近くにあるホテルだった。チェックインを済ませ、夕飯のため外へ出た。しばらく街中を歩き、マイルドが管理している他店舗に立ち寄った。視察を兼ねながらそこで済ませようと、いざ中へ入った。店内の空席はほとんどなく、家族連れが大半を占めていた。香純はカウンターに座ると、野菜を中心とした料理をいくつか店員に注文し、届いた順からそれぞれ食べ終えた。満足して食後にコーヒーを飲んでいると、近くの席から声が聞こえてきた。
「ここ、閉店しないってさ、さっきお店の人が言ってた、まだまだ頑張るからこれからも応援してね、だってさ、ねえ、また来ようよ」
それから会計を済ませた後、店員へ手書きの伝言を託して店を出た。元来た道を戻る途中、ちょうど会社の前の通りに差し掛かった。二十時を過ぎ、今も事務所の灯りは煌々と眩しさを放っている。少しだけ覗いて行こうと思い、階段を上って中へ入った。フロアにはまだ十名程がいて、香純の姿を見ると皆は一斉に立ち上がって一礼した。またある社員はすぐに統括室へ案内を始め、ドアをノックしたところ中から返答があった。ドアを開けると、電話しながら美穂が片手を振っていた。社員が立ち去った後、香純は中へ静かに入って行った。
「いつも何時まで仕事してるんだ」
「そうですね、最近はずっとお昼前です、あ、お昼と言っても、夜中の零時のことですよ」
「毎日のようにそれじゃ、体のことも考えないと」
「ありがとうございます、ただ、そうも言ってられませんので」
「わかった、俺も手伝うよ、飯は食って来たけど酒は飲んでないし、休憩して来たらどうだい」
「本当ですか、じゃ、お言葉に甘えて、これとこれをパソコンに打ち込んでおいて頂けると助かります」
「わかった、やっておくね」
「ありがとうございます、リフレッシュしてきます」
「ああ、どうぞごゆっくり」
美穂は嬉しそうに軽くステップを踏み、自室を後にした。先程まで美穂がいたところに座り、パソコン画面を見つめて作業を始めた。それから小一時間程続け、しばしの休憩を挟んだ。そして何となく画面を見ていると、デスクトップに未送信重要書類と題したファイルがあった。これは勝手に見てはいけないと思ったので、見なかったことにしようと一度やり過ごした。しかしながら今や統括補佐である。会社にあるパソコンの情報なら、共有しても全く差し支えないと判断した上でクリックした。すると親愛なるあなたへとの題目が現れた。それからゆっくりとカーソルを進めていった。
「親愛なるあなたへ」
「私、林松美穂は香純さんを愛しています、あなたは既に結婚し、今では大切な家族がいらっしゃるのは知っています、あなたの笑顔をこれからも見ていたい、ただあなたの奥さんやお子さんのことも好き、この状態が今は一番良いのかなと思っています、そう、もうかれこれ十年以上になります、私が高校生だった頃、あなたが父に呼ばれて自宅を訪れた際、私の胸は高まりました、あの興奮を今も忘れません、そして今回です、この苦境を自ら買って頂いたことには、感謝の言葉しかありません、本当にありがとうございます、まだまだ未熟ですが、香純さんの手紙を読んで思いました、己の本音というのは、何ら他に隠す必要はないものだということを、渡航の無事を祈りつつ、その日が来るのを楽しみにしております」
それを読み終えた香純は両手を上げ、携帯電話でトクに連絡を入れた。
「どうだい、そっちは変わりないかい」
「うん、皆さん良くやってくれているから大丈夫だよ、そっちはどう」
「昨日も言ったけどさ、大変だよ」
「そう、でも頑張ってね」
「ありがとう、子どもたちは寝たのかい」
「うん、さっきまで起きてたんだけど、いつの間にか寝ちゃったわ」
「そっか」
「ねえ、美穂ちゃんはどう」
「ん、どうって、何が」
「その、変わりないのかなと思って」
「うん、皆に会いたがっているよ」
「良かった、私も会いたいって伝えておいてくれる」
「わかったよ、伝えとくね」
「おやすみ、また明日ね」
「うん、ああ、ちょっと待って」
「なあに」
「何か変わったことがあったら、いつでも連絡してくれるかい」
「いいけど、なんかあったの」
「うん、いや大した事じゃないんだけど、もしかしたら自宅にも連絡してくるかもしれないと思ってね」
「何、どういうこと」
「俺と美穂ちゃんのツーショット写真を撮っていった人がいてさ」
「それで」
「実はライスパンの連中でさ、それでもしかしたらそのことで連絡が入るかもしれないと思ってね、念のため」
「昨日聞いたから驚かないけど、でもそんなことまでしてくるのかな」
「あり得ると思う、だからこうして先回りして今、本当の話を伝えているんだ」
「私は二人を信じるわ、それで良いかしら」
「ありがとう、トク、愛してるよ」
「うん」
トクと電話を終えた後、すぐ美穂から連絡があった。
「今から会えませんか」
「いいよ、どこにする」
トクに伝えた言葉を噛み締めつつ、香純は待ち合わせ場所へ向かったのであった。




