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ひたむき  作者: ナトラ
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それから ⑤

 一号店から車で少し走り、最寄り駅の近くにあるホテルに到着した香純達は、受付でチェックインを済ませて香純が荷物を部屋へ搬入している間、トクがトイレで子ども達の用を済ませた。その後は全員で部屋を内覧し、その帰りのエレベーターで香純から部屋のキーを受け取ったトクは、車で待っていた増永と再び合流すると「ちょっと行ってくるね、二人とも良い子にしてるんだよ」と言って増永に軽く会釈し、すぐ近くにある美容院に向かって歩き出した。そのためリンが香純に「おかあちゃん、どこいくの」と尋ねた後、二人のやり取りが続く。「髪の毛を綺麗にしてもらいに美容院へ行くんだよ」「びょういん」「違うよ、びよういんだよ」「ふうん」


 ここで一旦はトクと離れた四人は再び車に乗り込み、林松邸へと向かった。そして予定通り夕方前に到着した。「変わってないなあ」香純はそう言って会社の門を抜けると、やがて見慣れた光景が目に入ってきた。駐車場前に着いてそこへ車を一旦停めると、増永がすかさず「後は私がやりますので」と言って助手席から降りてきた。そのため香純も礼を言って外に出ると、二階からその様子を見ていた綾子と目が合うとすぐに「いらっしゃあい、待ってたよ」と綾子が言い、声を上げて香純達に手を振った。香純もすぐそれに答えると、それからすぐ玄関から綾子がやってきて再会した。こうして会うのは結婚式以来の事だった。素敵な笑顔は今も全く変わらないなと静かに思いつつ、子どもたちに挨拶するようにとその背中を軽く触り合図をした。子ども達は初対面だが、綾子は毎年の年賀状や林松が撮影した動画を見ていたので二人の事を知っていた。「本当に大きくなったねえ、真純君とリンちゃん、いらっしゃい」「だあれ」「お世話になっているおいちゃんのお嫁さんだよ」そうなんだと思った真純が「グローブありがとう」と早速礼を言うと、リンも一言「ありがと」を言った。すると綾子は「まあ偉いわあ、良い子良い子」と喜んで袖をまくり上げた。それから「ところでトクちゃんは来ているの」と全く姿が見えないのでそう尋ねると、リンが「びょういん」と答えた。どこか具合でも悪いのかと真剣な表情で綾子が尋ねるので、ここで香純が慌てて「違うんですよ、美容院、美容院に行ってます」とすぐに答えた。そして香純のズボンの裾を掴んでいるリンの頭をそっと撫でながら「リン、びょういんじゃなくて、びよういんだよ」と言ったところ、隣にいる真純も一緒に「そうだよリン、びよういんだよ」と教えた。しかしリンはきょとんとしたまま、再び「びょういん」と言うので二人は顔を見合わせ笑った。それを隣で見ていた綾子も、ここで腑に落ちたようで「なるほどね、びよういん、美容院か、ああもう本当にびっくりしたわあ」と言って笑うと、静かにその胸を撫で下ろした。それから子ども達に「今日はおいしいもの沢山用意するから、お腹一杯食べてってね」と伝えると真純は嬉しそうに「はあい」と返事をし、それから綾子と一緒に手を繋ぎ、母屋の中へと入って行った。


 その後をついて行った香純は、その玄関前に来て「それじゃあ、まずはお隣に挨拶してくるかな」と言った後、綾子に少しだけ子ども達の見守りを依頼して了解を得て向かった。かつて何度も行き来したことがある、この綺麗な小道を通っていると次第に事務所が見えてきた。しかしその広さは以前と比べて倍近くなっていて「増築したんだな」と思い横目で見ながら会社の玄関前を目指した。しかしこうして明かりはついているものの、一向に人影が見当たらないのは何故だろうか。どうも様子がおかしいなと思いながらも歩を進め、やがてその入り口にあるガラス扉の左側を開けてそこから様子を伺ったが、結局は誰の姿もなかった。「これは何か急用でもあったか、それとも」などと考えていると何やらちらほらと小声が聞こえ、人の気配も感じる。「これはきっとここにいる、いや間違いなくいるな」と確信した香純は、ここで思い切りその場で「おおい」と呼びかけた。


 すると非常口の奥で声を潜めていた社員達は、ここで一斉に扉を開けて次々と姿を現した。そして口々に「おかえりなさい」と言いながら香純を出迎えた。その余りの声量に驚いていた香純は、一本取られたなあと思っていると、「誰もいないと思ったろ」と聞き慣れた声がどこからともなく響いてきた。「しかしこりゃ全く油断したな」と再度小声で呟き苦笑いして、それからようやく「ただいま」と皆に返事をした。それから香純を知っている社員は、当時の懐かしさもあって自然と傍に近寄って互いに挨拶を交していた。その様子を非常口にある階段の五段目辺りに座り、じっとその様子を遠目で眺めていた林松はここで一言「今もこれほど人望があるとはな」と漏らし、すっと立ち上がって裏口から外に出ると、おもむろに煙草を取り出して火を着けた。そうしてベンチに腰掛けながら一服していると、やがて香純がやってきて「懐かしかったですよ、でもまさか皆さんで出迎えてくれるなんて驚きました」と言ってその隣に腰かけた。それから林松と同じように、ジャケットの内ポケットから煙草を一本取り出し、それを口に咥えて火を着けた。林松はそれを見て「はっはっは」と笑ったものの、実際には全く他の事を考えていた。

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