本音 ⑤
そのまま手を引かれて最後尾に着くと、座席は回転してあって互いに向き合うようになっていた。
「こちらへどうぞ」
左にいる美穂からの促しで、その中央に座った。右には女性社員とさらに向かいに優、それから数名の社員が席に着いた。
「出発しますよ」
運転手の声の後、車はゆっくりと動き出した。互いに自己紹介を済ませた後、近況について美穂から話があった。その詳しい話は会議の中で予定していると伝え終えると、女性社員の一人が香純に声を掛けていた。それを見た美穂は、すぐさま頬をぷくりと膨らませてこう言った。
「はいはい、あんまり近づかないでね」
その社員の肩を手で軽く押しのけるようなしぐさをして、そう言った姿を見た皆から笑いが起きた。香純は一つ咳払いをし、それからはただ車窓を眺めていた。約三十分程走り続けると会社の前へ停車し、そこには社員が出迎えている姿があった。既に三十名程がずらりと横一線で並んでいたが、その内の数名程はやはりいつものように壁に寄りかかってこちらをじっと眺めているのみだった。香純は拍手の中、そうした意味合いを即座に理解しながら事務所の中へと静かに歩を進めた。
会議が始まると、驚くことに美穂の表情はそれまでとまるで一変していた。そして次々と、問題点を挙げながら現在の状況をわかりやすく説明していた。今日は解決策には踏み込まず、なるべく簡潔な事例を紹介していた。そしてその説明を一通り聞き終えた後、香純は統括補佐の辞令交付を受けた。今回の滞在期間は二週間だが、半年間の任期を了承した。また幹部紹介があった。現在は三名で運営しているとの秘書の木庭から説明があり、それぞれと挨拶を交わしていると一人の女性幹部が近づいてきてこう言った。
「ほんと美穂さんが仰る通り、素敵な方ですね」
「ちょっと奥寺さん、駄目ですよ、奥さんやお子さんがいらっしゃるのですから」
美穂が厳しい眼差しでそう言うと、周囲から再び笑いを誘った。香純は照れ臭くて右指で頭を数回掻きながら、それを聞くとしばし微笑んでいた。
「奥寺さんは全店舗の設備関係、それから最近では営業もやってもらっているんです」
改めてそう聞いた後、香純は再び奥寺を見てみた。すらりとしてスーツがとても良く似合う。その姿はまるで湖層と重なるようだった。年齢は三十歳後半、とてもはっきりした口調が印象的だった。その後には他の幹部の二人とも挨拶を済ませ、ホテルでの食事会のため先程のバスへと再び乗り込んだ。
食事会と言っても大勢ではなく、美穂と奥寺に優と自身を含めた四人だった。また幹部二人については業務の都合により出席できないため、奥寺が代表で出席とのことだった。テーブル席へ案内があり、四人はそれぞれ席に着いた。香純が座る左に美穂がいて、右は優と奥寺が続いた。
「さ、乾杯しましょ」
届いた飲み物を奥寺が配り終えると皆はジョッキやグラスを持ち、その縁を軽く重ね合わせた。一口飲んでから美穂が話始めた。
「実家でやったバーベキュー以来ですね」
「そうだね、かなり昔のことのように感じるよ」
「確かあの頃は、まだ私が統括になる前でしたよね」
「そうだね、それにしてもさっきの会議は驚いた」
「何がですか」
「いや、本当に統括なんだなと思ってね」
「なんですか、まさか私がサボっていたとでも」
「いや、そうじゃないよ、実際にこの眼で見て納得しているって話さ」
「ま、別にいいですけどね、ところで真純くんとリンちゃん、お元気ですか」
「ああ、賑やか過ぎるくらいだよ、二人とも美穂ちゃんに会いたがってたなあ」
「で、トクさんは」
香純はその質問にはすぐに答えず、少しの間を置いてから口を開いた。
「ま、変わらないかな、心配しているんだろう」
「それはそうですよね」
「うん、それと俺のこともね」
そう聞いて美穂は、香純の海外渡航に賛成していないのだろうと感じた。そしてその上でこう続けた。
「香純さん、実は私も今日はこのホテルに泊まることにしたの」
「え、そうなの」
「ええ、たまには息抜きしたくて」
「そ、そうなんだ、あれ、優は」
「明日の朝、早いんですって」
「そうなのか」
香純がそう問いかけると、優はここでようやく口を開いた。
「はい、実は急遽、明日の朝一番で現場に入らなくてはならなくなったので、スタッフが辞めてしまったものですから」
「そりゃあ悪かったな、忙しいのに」
「問題ありません、ただ」
「ただ、何だい」
「い、いえ、何でもありません」
どこか意味深のそう言った後、優はそそくさと視線を落とした。それを見て、香純は一先ず話題を変えようと思いこう尋ねた。
「ところでさ、竹清さんの話は聞いたのかい」
すると美穂がすかさずそれに答えた。
「ええ、手術のご予定とか」
「そうなんだ、実はかなり具合が良くないらしい、ただ俺がお会いした時にはそんな風に見えなかったんだが、全く凄い人だよ」
「まさかと思いました」
「な、美穂ちゃんもそう思う程だもん、きっと痛みをじっと堪えていたんだろうな」
すると奥寺が口を開いた。
「その手術を無事終えられたら、いつか復帰なさるのですよね」
「いや、それはまだ何とも決まっていないみたいだ、その上で事前に十分協議してきたってわけさ」
「そうですか」
「あとは無事、手術が成功すること願いながら、俺たちはそれぞれやるべきことに進むだけってことだな」
その後、優が一旦席を外している間に香純が話を進めた。ライスパン子会社からのアプローチで美穂への面会を申し出てくる可能性があること、それから既存店舗の買収を視野に入れた話し合いを提示してくるかもしれないことなどを伝えた。さらには現在所属している社員の中に、既に相手と内通している者がいるかもしれないといった考えも同時に提示した。それはもちろん林松や竹清との協議結果によるものだった。美穂たちは深く頷き、今後の対策のために明日にでも臨時会議を開くとその場で決定した。
しばらくすると優は戻ってきたが、席に着くなり帰宅すると言い始めた。どうしたのかと香純が問うと、急用が入ったという。
「香純さんと久しぶりにお会い出来ましたのに、申し訳ありません」
「それはいいんだけどさ、体調は大丈夫なのかい」
「それは全く問題ありません、先程申し上げましたが明日の朝が早いので、申し訳ありません、ここでお先に失礼します」
「わかった、迎えは呼んだかい」
「大丈夫です、では、失礼します」
その後は奥寺もタクシーを呼び、やがてホテルを後にした。それから美穂と二人きりとなり、香純は少し緊張しながらグラスを口に当てていた。一方の美穂もどこか落ち着かず、しばしば周囲を見渡す素振りを繰り返していた。まさに絶好の機会だと思った香純は、長年の想い少しずつ溶かすかのように、ゆっくりとした口調でこう話し始めた。
「この間、自分の想いを無理に押し込めてたのかもしれない」
そう聞いた美穂は一瞬、はっとした。そして神妙な面持ちでこう言った。
「それって、まさか私のことですか」
その問いで吹っ切れ、香純は淡々と話を続けた。
「うん、実はトクと結婚した時、これが一番だと思っていたのは本当なんだ、ところが度々、心の中に何か引っかかる部分があって、それが何なのか自分でも良くわからない時期があったんだ、そうして過ごしている中、真純の件があった時にわかったんだ、なるほど俺は美穂ちゃんを、未だ完全に吹っ切れてなかったんだ、ってね」
「え、それって、つまり」
「うん、実はずっと前から、好きだったんだ」
美穂はそれまで冷静に話を聞きながらも、この時はあまりの嬉しさで涙が自然に込み上げた。そしてハンドバッグからハンカチを探し出そうと、右手を突っ込み探しまくっていた。やがて見つけ出して取り出すと、すぐさま目元へ当てた。そしてにこりと笑みを浮かべ、こう言った。
「私のこと、そうやってからかっているんでしょ」
しかし香純は真剣にこう伝えた。
「いや本当さ、でもトクのことも好きなんだ」




