本音 ③
独立のために必要な手続きが間もなく完了しようとしていた頃、急に美穂が取り止めの発表をしたことで社員の多くが落胆の色を示した。それと同時に責任を問う声もちらほらと上がり始め、結局のところは竹清の復帰を望む声がやがて多数となった。それぞれ手のひらを返したという程でもないが、元幹部達が中心となり美穂をすぐにでも降ろそうと動き始めた。さらにそれまでは美穂のことを認めていた人たちも、やがてはそうした声を抑え込むまでには至らず、次第にやむを得ないと渋々ながらもそうした側の意見を受け入れ始めていた。しかし全く国内と異なったのは、加盟店から続々と声が上がったことだった。今のやり方で助かっている、このまま独立へ進んでもらいたいとの要望が多数寄せられた他、これまで美穂が中心となって行ってきたことに対する評価もあった。つまり事務所側とはこうした大きな温度差があることが明らかとなり、現在も連日のように問い合わせが入っていた。もし美穂を解任するのなら今すぐの撤退も辞さないと豪語する店も現れ、その数は今も増えてきていた。そうした報告を受けた林松は事態を収拾しようとせず、とあることを考えていた。香純が来た日にそのことを会議の議題へ取り上げた。
「とまあ、ざっと今の海外状況はこのようだ、美穂は既に降りると同意した、何せ荷が重すぎるからな、俺に最終判断を委ねてきたわけだ、久々に褒めてやったよ、多分、学生の時以来だな」
「それでこれからの予定は」
「うん、早速なんだが誰かにサポートを頼みたいんだ、その主な業務は、現在の状況を円滑にまとめ上げること、それからもし相手が交渉に来たらその対応についてもだ、進んでいく方針は国内と同じとし、期間は半年以内の決着を目指す」
「ところで社長、あちらには誰かいないのですか」
「いないから聞いてるんだ」
梅川の問いに対し、林松は珍しく声を強めた。すると香純が挙手したので、湖層が指名するとこう述べた。
「現在の状況を招いたのは、私が勝手に手紙を送付したことによるのかもしれません、申し訳ありませんでした」
香純がそのように謝罪すると、湖層がすかさずこう言った。
「手紙の内容は聞きました、私は特に問題があるものとは思いませんでした、謝る必要はないのでは」
「いやしかし、統括を辞することになるとまでは思いませんでした、何ともたまりません」
「ただ、どうしても伝えたかったのですよね」
「はい」
「覚悟の上で」
「そうです」
「でしたら、別に構わないのでは、ねえ、皆さん」
湖層の呼びかけに、誰一人として反論はいなかった。そこで林松が口を開いた。
「ただな、お前がそう言ってくれたから今、こうして進んでいるんだ、俺は感謝してるよ」
その顔を見てそうではないと思いながら、香純はこう続けた。
「私ではありません、増永さんの言葉があったからこそです」
「あの時か、確かに増の意見は参考になった、お前もかなり響いたようだな」
「はい、全てはそこだと思いました」
「ん、どこだ」
「本音で向き合うことが何よりも大切だと」
「うん、そうだな、皆はどうだい」
すると梅川がこう問いかけた。
「では、香純さんが代役を引き受けられたらどうですか」
香純はその問いに対し、少し考えてからはっきりとこう述べた。
「もちろんそうした覚悟があってのことです、期間限定であればお引き受け致したく存じます」
「そうですか、それでは私からお願い申し上げます、香純さんが現地で業務を担う間、私達も先へ進みましょう、社長、どうですか」
林松は一瞬だけ眉を顰めたが、確かにその通りだと思い直しこう述べた。
「香純、まず二週間である程度のケリを着けよう、銀ちゃんとは既にそのことについて話してある、だが、お前はどうすんだ、本業を中断するというわけにはいかんだろうに」
「ご心配ありがとうございます、実は先日、アルバイトで来てくれている方がもう一人来てくれることになりました、その方も経験がありますので、当日に行うことを伝えれば継続出来るだろうと思っています、しかしながら全く前例がないことですので、果たしてうまくいくかどうかわかりません、しかし全く収穫出来ないということはないでしょう、もし収穫など問題があるようでしたら、早めにご連絡致します」
「わかった、つまり例え今のような質と量とならなくても、この際はやむを得ないということだな」
「はい、そうしなければ私はきっと後悔するでしょう」
皆が今も考え込む中、香純は意外にもはつらつとそう答えた。その姿はまるで何かを吹っ切ったかのようで、美穂が今も感じているであろう強い想いが胸に響いていた。すると林松も力強く頷いてこう言った。
「よおし、香純に頼むわ、皆、異論ないな」
「ありません」
「決まりだ、香純、ありがとな、ちなみに畑のことは心配するな、俺たちも協力するから、早速、募集かけてみるわ」
「本当ですか、助かります」
「俺もだよ、頼んだぞ」
帰宅後、海外に行くことをトクに伝えた。当然のように驚いたトクが義母のフクに伝えたところ、ついに痺れを切らして義父の善市に詰め寄った。
「息子を学校にも入れず、自分は海外へ行くんですって、私はもう我慢できません、子どもたちはうちで引き取ります、そうでなければ私が出て行きます、あなた、どちらか選んでください」
その後に詳しく説明してトクの理解は得られたものの、子どもたちはやはり悲しんでいた。しかし今回は二週間と伝えると、その後は渋々ながらも受け入れた。そしてその翌朝、トクがフクに説明したところそうした話となった。夕方になると真意を尋ねようと、善市が久しぶりに香純達の自宅へ訪れた。
「香純君、今日も本音で話そうよ」
「もちろんです」
「トクのことは今も好きかい」
「はい、変わりありません」
「それじゃなぜ、海外へ行くことにしたんだい」
「恩返しです」
「恩返しか、それも良いが、断る選択肢はなかったのかい」
「ありませんでした」
「そうすると、覚悟の上でということだね」
「申し訳ありません」
「つまり十分、納得して決めたんだね」
「はい、仰る通りです」
善市はこの時、香純からただならぬ空気を感じ取っていた。いかにも腹が据わった様子で香純がそのように答えたので、既に大方は察しがついていた。目は嘘をつかない。つまりその輝きが答えだろうと感じ、善市は帰り際にトクと子どもたちへこう伝えた。
「いいかい、人にはね、どうしても行かなきゃならない時があるものなんだ、お父さんをこれからも応援してやりなさい、そうすればきっとまた笑顔で戻ってくるさ」




