情熱 ④
一方で、会議は今も続いていた。香純の賛成にも竹清は全く動じず、その後にこう述べた。
「私は反対です、しかしながら訂正受付期間中のため、もしかしたら考えが変わるかもしれません」
「竹清さん、しばらくこちらにいらっしゃるのですよね」
「ええ、まあ今のところはですが、さて、打ち合わせに入りましょうか」
阪上からの問いに竹清がそう答えた。すると梅川も早速
「香純さん、私たちもそうしましょう、さ、こちらへ」
と誘った。香純は軽く頷き、その後に梅川がいる右隣の席へ移動した。ちょうどその時に林松が再び戻ってきた。そしてドアを開けるとすぐに声を上げた。
「皆、ライスパン代表から連絡があったぞ」
それに驚く人と、いよいよ来たかと分かれる中でこう続けた。
「近いうちに会うことになった、場所はここだ、日時は一週間後の十三時、後の対応はよろしく頼む」
林松はそう言って席へ着いた。少しざわついたが、その後は双方とも協議を始めた。
「きっと副社長に賛成するだろうなと思ってましたよ」
梅川は真顔でそう言った。これは対する側へ示しているのかもしれないと思いながら、香純は軽く頷いてこう述べた。
「竹清さんが先程仰いましたように、私も変わるかもしれませんよ」
その意味を即座に理解し、梅川は一瞬だけ笑みを浮かべた。しかし直後は一転し、集まった皆へ真剣に話を進めた。そして小一時間経過し、それぞれの意見を出し合うことになった。まず湖層から、移行期間中の手続きについて詳細があり、また梅川は専門家への相談と、植永社長と先代けいこから直接アドバイスを求めていく旨を伝えた。ただ両者とも当面は事業継続を最優先で動くことで一致し、会議を終了した。
また海外にも速報が届いた。美穂は情報を受け取ると、不慣れながらも的確な指示を出し始めた。まずは即座に食材等の供給を優先、その上で資金調達も先手を打ち確保した。そのため今のところは通常通りに見えたが、その話が広がるにつれて次第に社員のモチベーションが低下していった。そして日ごとの客数低下がやがて顕著となり、さらに懸念していた退職希望者が出始める事態となった。
「このまま働きたかったのですが、退職することにしました」
美穂は毅然とした態度で聞き入れ、彼らを引き止めようとはしなかった。その後も数名続けて退職する予定が決まったので、それだけでも事態が緊迫していた。独立に向けてこれから本格化する矢先に、これからどう対処していこうかと連日のように検討している最中だった。美穂はそうした報告も兼ね、林松へ連絡した。
「美穂か、どうした」
「聞いたよ、本社が危ないかもしれないって」
「ああ、竹清や香純にも手伝ってもらっているんだが、かなり厳しいな、そっちはどうだい」
「こっちも何人か辞めるけど、今のところは何とかやってる、前に本社から来た人たちが話を聞いて、しばらくそっちへ応援に行こうかと言ってくれたんだ、でもそんな余裕ないから断ったよ」
「それは助かる話がもう決めたんだ、これから組合を立ち上げる」
「そう、じゃあもう既に準備を始めているってことよね」
「まあ始まったばかりだけどな、それでそっちの独立についてだが、このまま進めるとしても本社からの援助はもはや期待できないぞ、手伝ってやりたくても自分らのことだけで今や精一杯だ、お前に全てを任せる前に一つ聞いておきたい、これからどうすんだい、それでもやっていくのか」
これほどまで静かな林松の口調は、まるで聞き覚えがなかった。かつてない程の相当なプレッシャーがあるのだろうと思いながら、美穂は一息つきこう答えた。
「一度やると決めたからね、ただ、もしこっちにその話が来ていたら考えるかも、もちろん自分一人では決められないけど、もしかしたら良い機会かも知れないって」
「つまり、俺がこれからやろうとする意味がわかるというわけだな」
「うん、金銭だけじゃなくて、これから本当に一緒に働きたい人と新たに始めるのは興味あるな、ただ、今のところは現状維持優先で行くよ、少しずつ慣れてきたところだし」
「わかった、じゃあまた連絡くれや」
美穂はそれに答え、静かに受話器を置いた。林松の覚悟が伝わってきた。美穂はすぐに臨時会議を開くと幹部に連絡し、本社の状況報告と独立について再度検討する時間を設けた。
一方で本社は、黒野辺が来る当日を迎えていた。十三時少し前になると、超が付く程の高級車一台がエントランスへ横付けした。それを見ていた社員数名が出迎え、林松や幹部に伝えた。その連絡を受け、林松は階下へ移動し始めた。車から運転手が降りて後部座席のドアを開けた。すると大きな体格の男性が座席にいるのが見えたが、足がなかなか外へ出てこない。小刻みで腰の位置を変え、何度かそう繰り返しているうちにようやく片足が地面に着き、ゆっくりと立ち上がった。身長はさほど高くない。するとその男性は周囲を見回してこう言った。
「ご苦労さん、社長はいらっしゃるかい」
体もそうだが声も太く、低音でよく響いた。林松がエレベーターを出ると、既に幹部達も集まっていた。そして林松がその姿を見るや否や、すぐさまこう言った。
「黒野辺さんですか、林松です、さ、こちらへどうぞ」
黒野辺はぽかんと口を開け、その後に笑い始めてこう言った。
「おおう、これはこれはわざわざお出迎えすみませんねえ、あなたが社長さんですか、黒野辺です、よろしくどうぞ」
警護二名と、先日来た営業統括の直中もいる中、互いに握手した。そして近くの応接室へと、林松が自ら案内した。中へ入ってそれぞれが席に着くと、黒野辺がこう尋ねた。
「いやあ、良い会社ですね、感じの良さが伝わります、林松さんになって何年くらいですか」
「六年です、そう言えば姉から聞きました、覚えているようです」
「わはは、そうですか、二十年以上も全くお会いしていないのでね、どうぞよろしくお伝えください」
「ええ、それで本日のご用件は」
「先日、隣の直中がこちらでお話したと思うのですが、お聞きになりましたか」
「はい、グループへのお誘いでしたね」
「そうです、どうやら説明不足があったようで、林松社長さんにうまく伝わらなかったようなので、そこでもう一度、私から直接お伝えしようと思いましてね」
「そうですか、それはわざわざご足労おかけました、しかし既にそちらの方の説明は理解しています、その上でお答えしたわけです、私達は自分たちのやり方で進めています、先にお伝えした意見は今も何ら変わりありません」
そう言って林松はお茶を一口飲み、けいことの話を思い出していた。
「黒野辺、聞いたことあるわね、黒野辺、黒野辺、あ、思い出した、確か店舗の責任者だわ、もう随分前だけど、何、その人が今、ライスパンの社長なの」
「やっぱりうちにいたことがあったんだな、今、調べてもらっているんだが、まだ詳しくわかってないんだ、そうだ、本人がそう言っている」
「かなり初期よ、そんなに長くはいなかったな、確か二、三年で辞めて、他に行ったと思う」
「そうなんだ、ま、もうじき詳細が上がってくると思うけど」
「それで何、その黒野辺さん、うちに何か用があるみたいね」
「大ありだ、切り崩しに掛かってきているのは、ほぼ確定だな」
「何か問題があって辞めたわけじゃないと思うけど、もしそれが原因じゃないなら、そのやり方は他に意味がありそうね」
「そうなんだ、結局ライバル店とみなすという通告してきた以上、大手資本の協力の元でうちへの買収策を進めようとしているところだな」
「さてどうするか、総重の植永さんはどうなの」
「姉ちゃんと同じように憤慨したよ、今も手当たり次第、知り合いに連絡しているらしい」
「そんなの当然よ、よし、私も動く」
「いや姉ちゃん、ちょっと待ってくれ、俺に任せてくれねえか」
「その前に、ライスパンの後ろにいる大手のことは調べたの」
「ああ、巨大で関連会社は数知れず、そこにはあの有名な会社も絡んでる」
「どこよ」
「俺や森上と郷大、それに里香ちゃんと香純がいた会社だ」
「何だって」
「全く驚くよ、今まで何の音沙汰もなし、ま、俺らもあれっきり何の関わりもなかったが、ここへ来てこんな接点があるとはな、正直、俺も驚いているんだ」
その後、しばらく話し合った結果、けいこは既に林松へ全て任せている以上、何も口を挟まず手出しはしないとようやくながら同意した。そして最後に林松から一点依頼した。植永からも同じく理解が得られるように協力してほしいと伝え、自宅を後にした。




