故郷 ②
海外の美穂と優は週末、畑仕事に勤しんでいた。一年を通して暖かい気候ということもあり、作業は順調に進んでようやく種まきを終えた。「どれくらい育つか楽しみだね」と、優の住むマンションのベランダで美穂が大きな背伸びをして言った。あれから二人が正式に付き合い始めたのをきっかけに、同棲する話もあった。しかし平日は仕事のことだけに集中したいという美穂の要望で、週末にはどちらかの家へ行くようにした。そんなある日無事新店舗が立ち上がり、二人はその様子を見に出かけていた。
「ねえ、これ凄いでしょ」店に着くと美穂がそう指を差して優に言った。金色に染まった布が外にある座席の頭上を覆っている。「これ、ちょっと派手じゃないか」「でも綺麗でしょ」「まあね」店に入るとすぐにスタッフが美穂に近寄ってきて話を始めた。夕方の五十席ある約半分が、既に家族連れで賑わっていて上々の様子だ。今までと違うやり方で立ち上げた結果、これまでよりも短期間で準備が出来たのが功を奏し、今ではもう二店程の開業を任されていた。その姿を見ながら優は美穂がこれからどれだけの存在になるのかを、まだこの時はまだはっきりと掴めてはいなかった。
スタッフが既に忙しくしているので、二人は何も食べずに店を後にした。普段から味は良く知っているため他の店に行こうと、それから徒歩で十分程にあるカフェに入った。席に着き注文して、互いに飲み物を口にしながら「ねえ、森上社長が引退したじゃない、何か話したりするの」美穂は何となくそう尋ねた。すると優は「いや、特に」と言って話は続く。「そうなんだ、実はうちのお父さん、何だか最近やけに楽しそうよ」「何でよ」「知らない、でも歳だから無理しないでとは言ったけど」「へえ、うちは元からあんまり話す方じゃないし」「でも夏休みの時に帰国したら、きっといろいろわかるかもね」「まあね、でも俺はあんまり興味ないよ」
「ねえ、優のお母さんてどんな人」「そうだなあ、厳しいけど優しい人かな」「そうなんだ、兄弟はいるんだっけ」「二つ下の弟が一人、もう所帯持ちさ」「そうなんだ、ま、三十歳越えてればね」「うん、美穂は一人っ子だっけ」「そうよ、私も弟いたらと思ったことあるよお」「俺は今こっちに来てるしあんまり話もしない、大人になるとさほど変わらないよ」「ううん、でも小さい頃は一緒に遊んだりしたでしょ」「まあね、でも喧嘩もいっぱいした」「私はいつも一人だったからさ、そういうのいいなあって思ってたよ、でもお母さんと仲良しだから良いけどね」「いいじゃん、美穂のお母さん優しいから」「うん」
それから軽く食事を済ませて店を出た。「そろそろ帰らなきゃ」「明日も忙しいの」「うん、今月二店舗だよ、また一週間経つのがめちゃくちゃ早そう」「頑張って、今日はありがとう、楽しかったよ」「うん、またね」「ああ」自宅まですぐなので美穂は歩き始め、時々振り返って手を振っていた。優も片手でそれに応え、一人元来た道を歩き再び自室へ戻った。こんな近くにいてもとても遠く感じるものだと思いながら、携帯片手に先程撮った畑の画像を覗き込んだ。これからどれだけの作物が実るのか楽しみだと思いつつ、しかし同時に、美穂との付き合いもどうなるかと真剣に考えていた。
二人の付き合いはあの日、優が美穂を抱きしめた時から始まり今も順調だった。しかし週末だけしか会えないもどかしさを、この頃は特にそう感じ始めていた。美穂の仕事のことを考えれば、きっと現状のままの方が良いだろうと思いつつ、でもいつかは一緒に生活できたら良いなと思いながら、窓辺に座って景色を眺めていた。五階建ての三階なので、それ程遠くまでは見渡せない。しかしここからの景観は、優にとって落ち着く場所の一つだった。「慣れ親しんだ場所で生活するのは悪くないな」一人そう呟きながらも、実家の周辺を撮った写真一枚を手にして「故郷か」と呟いた。今の生活には感謝している。ただいつかは、ここを離れることになるかもしれないなと、ふと思ったりもした。既に大金を出して土地を購入したので、そう簡単なことではない。ただ自分の考えを脇に置くのはもうやめにしようと、ここで固く心に決めた。何も焦ることはないさ、軽く一杯やろうと思いながら再び外へ出掛けた。
その翌日、優は野菜の調達先変更について着手していた。上司に相談した結果、それは議題となるから資料を集めておくようにという話となった。これまで各地へ出かけながら直接交渉してきたが、後日会議でその進捗状況の説明の依頼があったので、優は落ち着いて話した。
「今のところ数軒と交渉中ですが、量は全く確保できていません、しかしもしそこが決まれば半数近くは得られるでしょう、ただどうしてもコストがかかりますので、その辺りも含めて現在も検討中です」配布した資料を見ながら出席にした十名、皆が首を傾げた。「残りは自分達で何とかするしかないですね」一人がそう声を挙げ、話は続く。「何とかってどうやるんだよ」「どこか土地を買って栽培するしかないんじゃないですか」「そんなのできるかよ」「やってみなきゃわからないでしょう」そこで責任者の竹清が入室し、それまでの話を秘書から聞きながら席に着いた。「それ、やってみようよ、向こうじゃ既にやれてるんだからさ、うちらだってやれないことはないだろう」という一声で、それまでの形勢は一転した。「そうだよ、やってみないとわからないよ、な」と、それまであった反対意見もあっさりと変化した。美穂はその会議に出席していなかったが、趣旨に賛同するということは既に伝えていた。
「交渉している人たちの協力が得られたら早いんじゃないのか」竹清からの問いに、優が即座に「そうですね、実は土地なら既にあります」「どういうことだい」「実は私、畑をやっているんです」「それは前にちらっと聞いたことあるぞ、でも本当にやってるのかい」「ええ、真剣に」「でもどうなんだい、そこに空いてる土地はあるのかい」「ええ、広すぎるくらいあります」「なら決まりだな、その土地を借りよう、栽培については協力してもらって、これから何とか自社で残りを賄えるように、で、期間はどのくらいをみてるんだ」「最低、数年はかかると思います、なので、それまでどうするかを先に決める必要があると思います」「そうだな、じゃ、すぐに動き始めるしかない、よし引き続き任せるから、これから何とかやってみよう」「わかりました、では細かい話に移ります」
優にとっては何も申し分ない程、スムーズに話が進んだ。二人で栽培を始めた場所以外の土地を、会社に貸し出すということになった。また、その資金を基にした計画が始まると正式に決まった。周囲からは、既にそうなることを見越して買っていたのではないかといった問いもあり、しかし優は自分が好きで始めたことだということを重ねて丁寧に伝えた。また美穂もその話をとても喜んでいた。「凄いじゃない、良かったね」優は確かに一安心していたが、まだまだ始まったばかりだと表情を引き締めた。「急に動き出したから戸惑ったけど、もうやるしかないね」「そうだよ優なら出来るよ、きっと」
その話は林松の元へもすぐに届いた。竹清から話を聞いて「優は本当にやりたいことを見つけたようだな、引き続き応援してやってくれ」と言った。そして「他に何かあればまた連絡してくれよ、頼むぞ」と伝えて電話を切った。林松は美穂が責任者になる日も意外に早そうだと思いつつ、ソファーにもたれながら天井を見上げた。そして以前に美穂からあった電話の内容を思い出していた。
「お父さん、優ね、ここで土地を買うみたいなの」「何、なんでだ」「畑をやりたいって」「香純の真似でもするんかい」「本当にやりたいことなんだって」
その話を森上に伝えると「やっぱり親子なのね、私に似たのかしら」と言い、嬉しそうに話したその横顔は、まるで幼い頃の思い出がよみがえったかのようで父親そのものだった。それを見た林松もそうした感情をどこか懐かしく思った。それからの二人は子どもの頃の夢などを語るようになり、先日香純に伝えた構想へと進むことになる。人は誰しも最初から出来る人はいない。たとえ失敗したとしてもひたむきに進み続ければ、結果は自ずとついてくる。何もしなければそのままだとしても、何かを始めれば動き出す。自分が出来ることをまずは何でもやってみる。林松はその大切さを改めて胸に刻んだ。




