道 ⑧
翌朝、自室では電話の着信音が響き渡っていた。うつ伏せのまま手探りで見つけて耳元に当てた。「おはよう、こっちは大丈夫だよ、そっちは変わりなかったかい、駅でお土産でも買って帰るよ、まず風呂に入ってくるわ」聞き慣れたトクの声がどこか弾んでいた。香純は電話を切った後、大浴場に入り汗を流した。その後、館内にあるバイキングで朝食を済ませ、先日のように駅まで買い物に出かけた。予定の時刻までのんびり過ごした後にチェックアウトし、それから近くの喫茶店で暖を取っていた。
やがて時間となり店を出て駅の前で待っていると、いつもの高級車が現れた。車が停車すると増永が笑顔で降りてきて、後部座席のドアを空けながら「昨日はご挨拶せず帰宅して申し訳ありませんでした」と一言詫びた。香純は「いやいや大丈夫です、今日はありがとう、よろしく」と答えて席に着いた。隣に乗る林松と挨拶を交わすと、昼食でも食べていくかと誘ってきた。そのため高速道路へ向かう環状線の手前にある、一軒の定食屋に寄ることになった。増永も同席し、それぞれ注文を済ませると林松が口を開いた。
「昨日、安に行ったんだろ」「ええ、行きました、おいしかったですよ」「そうだろう、あの店も古くからやっているんだが、この店もなかなか良いんだよ」「楽しみです、昨日はあの後、お二人でどこか寄ったんですか」「いや、すぐ帰ったよ、結構、酔ったからな」その日のランチを注文して味を確かめた。「これで七百円ですか、凄いですね」「ああ、量もあるし味も良い、そりゃ流行るな」増永も頷きながら食べ始めていた。好きなラーメン又はチャーハン、小皿で鶏肉とナッツの炒め物と小エビのサラダ、さらに杏仁豆腐がついていた。大盛りは百円増しで周囲を見ていると注文する客も多い。三人が席に着いた後も次々と押し寄せ、外で待つ人もいる程の盛況ぶりだった。ここでも野菜を中心に味を確かめながら食べ終え、三人は店を後にしようとしたところ「あれ、林松さんじゃないですか」と厨房から声が聞こえた。「ごちそうさん、旨かったよ」「あ、ちょっと待ってて」店主らしき人が鍋を振るいながらそう呼びかけたが、林松は「いや、急ぐからまた来るよ」と言って足早に店を出た。そして三人で車に乗り込もうとしていると、一人の女性が後を追ってきた。「あの、これ渡すようにって」その女性は外に出た増永にそう言い、ビニール袋を一つ手渡した。「悪いね、勝さんによろしく」増永がそれを受け取っていると、後部座席から林松がそう声を掛けた。その敷地を抜ける際、店前を通ると店主が中で手を振っていたので、林松も窓を開け片手を挙げて応えた。
「これは子どもたちへのお土産だな」「ありがとうございます、あの方とのお付き合いは長いのですか」「そうでもないよ、俺が社長になった後だから十年くらいか、俺がへまやった時、綾子とたまたま食べに来たことがあったんだ」「そうだったんですか」「安が今度うちに入ることになったのも、勝が話をしてくれたからなんだ」「ということは、勝さんも」「いや、まずは安が加盟してからだとさ、なかなかだろ」
高速道路に入ると車は加速し、そのまま本線を走った。流れる景色を見ながら香純はふと、湖層から受け取ったノートを拡げてみた。すると一枚の用紙が挟まっていたので、何だろうと取り出して中を見てみた。「この情報がなければ私達は前に進めなかったと思います、本当にありがとう、いつまでもお幸せに」香純は急に目頭が熱くなり、ハンカチを当てた。隣の林松が不思議そうに「何だって」と声を掛けたのでそれを手渡した。「ほほう、確かにな」そう一言呟き、香純の肩にそっと右手を置いた。そして「里香ちゃんは、きっとこれで決めたんだろう」「何をですか」「梅川との結婚だよ」「そうでしょうか」「ああ、そうだと思う」香純は多少落ち着いたので、顔を挙げて林松を見てこう言った。「野菜の出荷の話も奮闘してくれたようですね」「そうだな、俺は全て任せていたから見てるだけだったが、あの時の説明は今も印象に残っている、まるで親戚のようなそんな近い感じだったからな、自分で進む道を決めるのは自分自身、そこから何を選ぶのかはその人次第だと、それを教えてくれたと思ったんだろうよ」
高速を降りてしばらく走ると次第に山々が近づき、それと同時に見慣れた景色が広がってきた。もうじき到着するという少し前、林松の携帯が鳴った。「おおう俺だ、どうした」車内は路面を走るタイヤの音がかすかに聞こえてくる。少しの沈黙後「それでどうしたんだ、なにい、そりゃ明日の話だろう、まあいいや、とりあえずミサに言っといてくれ、俺は香純の家まで来たところなんだ、よろしく頼む」電話を終えた林松は大きく息を一つ吐き出した。「急用ですか」座席に深く寄り掛かったまま、横目でちらりと見て「不動産屋が明日の約束だったんだが、急遽、今日に変更できないかと言ってきたんだと、そうだ、まだその話をしてなかったな」続きはまず自宅へ着いてからということになった。
森上が土地を購入するという話も関係するのだろうか。隣で再び電話を始めた林松を見て、香純は静かに考えていた。




