独立 ②
会議が終了した後、幹部達は手分けしてその結果と内容を記載した速報を各部署へ伝え始めていた。「HAYASHIMATUだって、やっぱりねえ」OKAMIに戻った梅川もそうしていると、一人の社員がそう声を挙げた。それから「梅川常務、私、予想当たりましたよ、ところで何を頂けるのですか」と尋ねてきたので、梅川は微笑んで「まあまあ、慌てなくてもちゃんと用意してありますから」と答えた。ただ梅川の手には大きな袋をぶら下がっていたので「それは一体、何ですか」と尋ね、話は続く。「あ、これね、ペン立てですよ、ほら」梅川はそう言いながら、アルミ製の鮮やかな色でOKAMIと印字したものを一つ取り出して見せた。「結構目立ちますね、しかもOKAMIって書いてありますけど」「うん、でもいいんだよ、これからHAYASHIMATUになるけど、これはその時の記念になればと思ってさ」と語った。その話を聞いた社員は「へえ」と答えた後に「それは面白いですね」と言い、その後はそそくさと再び持ち場へと戻って行った。梅川はこれらを自腹で依頼していた。そのことが郷大の耳に届くと、すぐに副社長のミサへ報告した。するとミサは「梅川さんてユニークな方なのね、私からその全ての費用を経費で落とせるように依頼しておきます」と郷大に伝えた。なんて情がある良い上司なんだろうと思いながら郷大は深々と一礼し、その後すぐに退席しようとした。するとミサが声を掛け「あ、そうそう、和香さんにこれを」と紙袋を一つ持ってきた。
まずはすぐに礼を言ってそれを受け取った郷大は、中身は何だろうと思いながら覗いて見た。するとノート一冊と割烹着が入っているのが見えた。そしてミサはこう述べた。「余計なお世話かと思って渡さなかったんだけど、やっぱり何かの助けにになればいいなと思ってね、ノートには常連さんがよく来て下さる時間帯とか、注文することが多い品について書いてあるの、これが仕込みの参考になればいいなと思ってね、和香さんには何かわからないことがあれば連絡頂戴ね、とは言ってあるんだけどまだ何もないのよ、でもきっと大丈夫よね」と言った。心配まではしていないが、その後何も言わないのはなぜかとミサが思っているのだろうと思った郷大は、再び礼を言った後「ええ、今のところは大丈夫みたいです、もし万が一何かありましたら、その時はよろしくお願いします」と言って一礼した。続けてこう質問してから話は続く。「ところでこの割烹着は」「一号店を頼んだわよって、私からのささやかなプレゼントよ」「わかりました、早速、家に帰ったら渡します」「あれ、一緒に住んでるんだっけ」「以前は別々だったんですが家賃がかかりますので、それで昨年、一緒に住もうということになりまして」「あら、そうだったのね、知らなかったわ、よろしくお伝えください、ありがとう」「こちらこそ、ありがとうございます」郷大はそう言って部屋を出た。そしてその場ですぐに天井を見上げ「本当に良い方だ、優しさが滲み出る人柄というのは、まさにこういう時に使う言葉なんだろうな」と小声で呟くと、その後は自室へと戻った。
その数日後、元OKAMIに配達のトラックがやってきて、段ボール箱で十ケース届いた。宛名は香純からで、季節の野菜セットと題して手紙が添えてあった。内容は感謝に始まり、試食後の感想をぜひお聞かせくださいと記してあった。社員は皆喜んで、それぞれビニール袋に入れ始めた。ちょうど人数分行き渡り、帰りは皆でそれを持ちながら家路に着いた。また元OIDEYASUや総重建設、それからけいこへも同様に送り届けた。林松の元へも当然届いたので、綾子が早速その礼を伝えるために受話器を持った。「林松ですけど、あ、トクちゃん、お野菜無事に届いたわ、ありがとねえ」綾子が話をしていると、風呂から上がった林松は「一体、誰と話をしてるんだい」とその後ろから声を掛けた。綾子は電話口を一瞬だけ遮り「トクちゃんよ」と答えた。それはちょうど良いやと思った林松は、綾子に香純が近くにいるかどうか聞いてくれと頼んだ。すると風呂からちょうど出てきたところだというので、何だ俺と一緒じゃねえかと思いながら「ちょっと変わってくれ」と綾子に言った。「何だか話があるみたいなの、待ってて」綾子はトクにそう伝えた後、林松へ素直に受話器を手渡した。林松は耳元に当て「ああトクちゃん、悪いんだがちょっと香純に代わってくれるかい」首筋に流れる汗をタオルで拭きつつそう言った。その数秒後「おおおう、俺だ、明日予定通りそっちに行くから、詳しい話は明日話す、今のところは問題なしだ、じゃあな」と伝えると、すぐ電話を切った。そのため綾子が「何よ、まだトクちゃんと話をしてたのに」と声を強めて言ったものの、林松は既に洗面台へと向かい廊下を歩いているところだった。その背を見ながら「まったくもう」と一言呟いた綾子は、それから再び受話器を手に持って電話をかけた。再びトクが電話に出て「ごめんね、あの人、自分の用事が済むとさっさと切っちゃうんだもの」と言った。林松にそれが聞こえるようにと綾子が声を張り上げていたので、トクは電話の向こう側で笑っていた。そして「それでどうしたの」と綾子が尋ねてから互いに十分ほど話した後、静かに受話器を置いた。
「何だって一生懸命話してんだ」そう言って林松が冷蔵庫の中を覗き込みながら綾子に声を掛けた。「真純君のことよ、学校に行きたくないみたいなのよ」「ほう」「来年から一年生でしょ、だからそろそろ何かと準備を進めているんだけど、肝心の本人が行きたくないって言ってるみたいなのよ」「ふうん」林松は一言だけそう答えた後、話を聞きながら瓶ビールの栓を抜いた。そしてコップに注ぎ入れ、それを一息に飲み干した。それから「で、香純は何だって」「真純君が行きたくないなら別に無理しなくても良いだろうって言ってるんだって、それでトクちゃん、今、相当困ってるみたいなの」林松は笑い出して「全くおもしれえ奴だな、真純も」「ちょっと笑いごとじゃないわよ、どうしたらいいのかしら、私、迂闊に変なこと言えないから、とりあえずトクちゃんの話を聞くだけ聞いたんだけど、あなた、明日香純さんの所へ行くんでしょ、もうちょっと詳しく聞いてきて」それに林松が「はいはい、わかりましたよ」とぶっきらぼうに答えながら、いかとジャガイモの煮物を一口つまんだ。「学校に行きたくねえか、俺も昔は何度もそう思ったことあったなあ」林松はまるで独り言のように呟き始めた。「もし俺が学校行かなかったら、今頃どうなってたかな、でもそれほど困ってねえかも知れねえなあ」それを綾子に伝えるでもなく、単に咀嚼しながら資料に目を落としてそう言うと、再び勢いよくビールを喉に流し込んでにやりとした。
その翌日に香純の家まで着いた林松は、運転してきた増永も中に入るように伝えた。「え、いいんですか、お邪魔して」増永はそう確認したが香純も招き入れたので、三人して土間から和室へ入った。トクと子ども達は実家へ遊びに行っているという。それを聞いた林松は「今日は酒なしでいいや」と香純に伝えた。それから林松は綾子からの依頼を忘れないようにと、内ポケットからメモを取り出して一言書いてそれをテーブルの隅に置いた。香純はそれを見て何だろうと横目で見ていた。すると学校と書いてあったので、なるほど昨夜トクが言ったのだろうとそれを見て腑に落ちた。その後林松は、先日の会議の内容や決定事項などを香純に説明し、また増永についても今は梅川の元で頑張っていることを伝えた。そしてさらに「しかし全く見事としか言いようがないわ、俺はもっと会議が混乱状態になるんだろうと思っていたんだが、数日経過した今、以前よりも皆、前向きに進んでいるようなんだよ、全く不思議だわ、お前はどう思う」と香純に尋ねた。
香純はその前に増永を一度ちらりと見て「増永さん、大変でしょうけど頑張ってね」と一言、エールを送った。増永はそれに礼を述べ「早く一人前になれるよう、精一杯やらせて頂きます」と答えた。香純はそこで「やり過ぎないようにするのも、実は重要なことなんだよ」と言うので、林松も続いて「そうだ、そうだぞ」と声を挙げた。増永は「は、はあ」と、さほどその意味が良くわからなかったものの「では、出来る範囲でやらせて頂きます」と言い直した。すると「そうそう、無理しない方がいいよ」「そうだな、若い頃は誰でもそうなんだよ、いつの間にか無理している時があるからな」と顔を見合わせてそう言った後、二人は笑い合っていた。その姿を見た増永は、きっとこれは二人の長い年月からのアドバイスなのだろうと思い、しっかりそのことを受け止めた。




