合併 ⑨
その翌日、美穂と優が再び海外へ飛び立つ日のこと。前日の夜、綾子から二人を見送るように頼まれた林松は、増永の運転で仕方なく空港まで来ていた。所定の位置に車を停めた後、美穂が降り「お父さん、次に会うのは結婚式だね」と言った。「誰の」「私のよ」林松が「ふうん」とそっけなく答えると、また優も「どうかそれまでお元気で」とその後に続いた。林松はそれはあたかも二人は付き合い始めましたよと言っているようなものだなと思ったが、二人はその場からただ手を振っていた。それなので車内から「何だ、お前ら結婚するつもりか」と咄嗟に声を掛けると、美穂は「まだ内緒」と言って笑みを浮かべて答えた。昨日は二人でどこかに出かけたという。まあ若い者同士、仲良くやるのは良いことだとは思いながらも林松は、それ以上のことを尋ねようとしなかった。そしてその二人の背中に「元気でやれよ」とだけ声を掛けてやった。
既に荷物の入ったバックを片手で引き歩き出していた二人は、その声が聞こえてくると再び互いに手を振った。そして次第に建物の中へ入って行くと、やがてその姿は見えなくなった。その後、増永が「かわいいお嬢さんですね」と言って話は続く。「この親父に全く似てないだろ」林松の問いに少しだけ考えてからこう言った。「見た目は確かにそうですね、しかし性格はそっくりですよね」林松はそれに大笑いして「そうなんだよ、実は歳とったせいか、娘が誰かに似てるなって思う時は大抵、俺に似てるんだなって腑に落ちる時が最近は本当によくあるんだよ」と言った。次に会うのは結婚式か。多分、娘は俺に心配しないでと言いたかったのだろう。自分と良く似た性格だから、その言葉は親に対して今言える精一杯の表現だったのだろうな。林松はそう思いながら会社に戻る前に、どこかで飯でも食べようと増永を誘った。それから二人は近くのラーメン屋へ立ち寄った。
「ところで仕事はもう慣れたかい」「いや、まだまだです、今も梅川常務にお世話になりっぱなしで」「そういえばこの間、森上社長が皆の前でお前のことを言ったらしいじゃねえか」「何をですか」「お前は管理職撤廃に賛成しているぞとな、こりゃパワハラか」「はあ、私は別に何とも思いませんが」「何でよ」「昔からそんなことばかりでしたから」「そうなんか」「ええ、そうですよ、何かあるとすぐに上司が皆に伝えるからなと言ってくる職場でしたので、私は既にその免疫がありますからへっちゃらです」「しかし大した奴だな、お前も」「他に誰かいらっしゃるのですか」「まあ最近なら特に香純だな、びくともせんわ、あいつを好きだと言うお前もなかなかのもんだな、ま、頑張れよ、当面、OIDEYASUの仕事は俺の送迎だけだろうから、ま、今後ともよろしく頼むよ」
増永は秘書の経験がある梅川から学び始めていた。梅川は空いた時間にそれらについて教え、また増永は送迎も含め、自分の出来る範囲で梅川の仕事を手伝っていた。また林松の警備については、今では増永が専属と言っても良いような状況になっていた。それぞれが注文した品を食べ終えた後、あることを思い出した増永が林松にこう尋ねた。「ところで社長、次に香純さんのご自宅に伺うのは来週でしたよね」林松はすぐに「そうだ、頼むぞ」と言って答えた後、きっとその頃には既にアンケートの結果がわかっているだろうから、俺もようやく一息つけるな。そう思いながら煙草を一本取り出し、口に咥えた。
ちょうどその頃、香純達は皆へ送る野菜を箱に詰めていた。そして全ての準備が終わり「これが届く頃には、やっと一息つけるな」香純がトクにそう言うと「そうね、でもまだやることは沢山あるよ」と言ってそれに答えた。そこで香純が「まあな、でも何とかなるだろう、そうだ、久しぶりに青野さんのところで、皆で甘いものでも食べてこようか」「あ、それ良いね、そうしよ」トクはそう言って嬉しそうに、子どもが昼寝をしている寝室へ向かった。
「どうしたの、急に半休なんて」と綾子が尋ねた。林松は「たまには良いもんだな、平日の昼間の休みも」そう言いながら、縁側に座ってお茶を啜っていた。しばらくすると携帯電話が鳴り、林松はそれを耳元へ当てた。「ああ俺だ、よしわかった、じゃあ午後は予定通りだな、OKAMIの皆とそっちに向かうよ、はいはい、後は頼んだよ」そうして湖層からの報告を受けた後、さて昼飯でも食べていくかと時間を見るとまだ十一時手前だった。しかし林松は「ちょっと早いけど昼飯食べてくわ」と綾子に言い、「はいよ」と答えてから簡単に準備を済ませた綾子がそれらを食卓に並べていると、林松は渋い表情で「今日の午後、直近で一番大事な全体会議があるんだわ」と言った。
その後も二人のやりとりは続き「そうなの、いつもとはどう違うの」「これからのほとんどが今日決まるんだ」「例えばどんなこと」「そうだな、会社が一つになる、けど」「けど、何」「また二つになるだろう」「何それ、意味がよくわかんないね」林松は笑いながら野菜スープを一口飲み、その後カレーライスを口に運んだ。「このお野菜本当においしいわ、香純さんもトクちゃんも頑張っているのが良く分かる」と綾子は感心しながらそう言っていた。林松それに頷きながら水を飲んだ。そして「これなら店に出しても喜んでもらえそうだな」と言うと綾子は「ええ、きっと、私が保証するわ」と言って胸を張った。会話は続き「美穂と優にも渡してやったのか」「ええ、向こうの皆と食べたいからってね、ところでさあ美穂、何か雰囲気変わったのよ、帰りに何か言ってたかしら」林松が先程のやり取りを伝えると「それは冗談じゃないでしょ、来年、結婚するなんて突然言ってきたりしてね」綾子は笑ってそう言った。「相手は誰だと思う」と林松が尋ねると綾子は「優君じゃないかしら、もしくは向こうにいるボーイフレンドとか、でも美穂は見る目あるからきっと大丈夫よ」だって香純さんを好きになったことがあるんですもの、綾子はそこまでは伝えず、自らの内に留めた。
食事を終えて一休みしていると、玄関からチャイムが鳴った。綾子が急いで玄関口に向かいそのドアを開けると、訪ねてきたのはミサだった。二人はその瞬間に顔を見て、すぐさま手を取ってしばらく互いに抱き合った。「元気だった」「もちろん元気よ、綾ちゃんは」「私も」「ごめんね、来るの遅くなっちゃって、お店、忙しくてなかなか来られなかったのよ」「いいのいいの、話は聞いてるから、さ、上がって」綾子はそう言って客間へ案内した後、自分は台所へ行きお茶の用意を始めた。林松はその声を居間で聞いたので、それから移動してミサを迎えた。現れた林松を見たミサが「ごめんなさいね、午前中お休みだってさっき聞いたんだけど、でも綾ちゃんにどうしても会いたいから来ちゃった」と言うので林松は全然構わないよと答えた後、それから林松は結果速報と本日の会議について話を始めた。後にお茶を持ってきた綾子も配って席に着いた。
「こうして三人揃うのなんて、いつ振りでしょうね」「皆して歳を取ったわね」「そうだな」「いろいろあったけど今が一番良いわ、はやしさん、綾ちゃん、本当にありがとう」「これから大変みたいね、ミサ、あんまり無理しないでね」「大丈夫よ、はやしさんが手伝ってくれるから、ね」「う、ううん、あ、そうだ、夜のバイトは見つかったかい」「それがねえ、郷大さんが和香さんに頼んでくれて、急遽来てくれることになったのよ、助かったわ」「じゃ、和香ちゃんは六号店と兼任か」「そうなのよ、でもきっと大変だとは思う、だって私よりうんと若いんだもの、きっと大丈夫よ、本当に助かったわ」「この際、もう店は誰かに任せれば良いんじゃないか」「いやよ、私はおかみだもん、お客さんがいてくれるのわかるでしょう、はやしさん」
綾子はその会話を聞きながら、当時林松を巡って何度も真剣にミサとぶつかり合ったことを思い出していた。ミサが感謝を伝えたように綾子もまたそう思っていた。きっとミサがいなければ今の自分はいないだろう。若い頃は特に、自分の好きな人を独占したいとか自分だけの傍にいて欲しい、また自分以外の女性に関わって欲しくないと思うことは常だった。しかし二人の結婚式の後にミサが言ったその一言が、綾子の胸に今も響いて忘れることはなかった。
「綾ちゃん、結婚おめでとう、でも私ね、何度考えてみても、やっぱりはやしさんのことが今も大好きなの、多分これからもずっと好きよ、ねえ綾ちゃん、私どうしたら良いのかな、綾ちゃんのことをこれから嫌いになるしかないのかな」その当時の綾子は、既にそうなるだろうと常々考えていたので「ミサ、私も明人が大好きで結婚するの、ただミサのことも大好きよ、私もどうしたら良いのかな」と言い、綾子もミサにそう尋ねた。それを聞いてミサはそれからしばらく泣きじゃくった。晴れやかな舞台の中、突如として起きたその一幕に何があったのかと驚いた周囲は、ただその成り行きを見守っていた。そのことに勘づいた林松は、咄嗟に己のタキシードの袖を振い始めて二人の姿を覆うように皆の前に立ちはだかった。
その後ろで「大好きだよ、綾ちゃん、おめでとう」「ありがとうミサ、私も大好き、これから歳をとっても、またいつか三人で旅行に行こうね、約束よ」と言い合い、互いの小指を絡ませていた。そしてミサが「約束よ、私、忘れないから」と力強くさらに鋭い眼差しでそう言うと、綾子もその姿をじっと見つめながら受け止めた。そして林松の袖の裏から立ち上がってミサの右肩を両手で引き上げると、ミサが涙を拭いながら静かに立ち上がった。するとその三人の前に突如現れたカメラマンが、絶妙な瞬間を捉えるためにアングルを決めに来ていた。そこで綾子は、咄嗟に持っていたハンカチをミサに預けた。それでふいに目元を押さえ拭ったミサは、その後はもうこれ以上はないという程の笑顔をカメラに向けた。それから何度も細かなシャッターが鳴り響き、それと共に周囲は何事もなかったかのように舞台にいる三人に対して拍手を送っていた。
次回、独立 ①




