第二章 合併 ①
皆と再会を誓い別れた後、香純達は迎えに来たタクシーに乗り込んでホテルへと戻った。そしてすぐに子ども達をベッドに寝かせ、それからもう一度シャワーを浴びようとジャケットを脱いでいると、胸元の携帯電話が鳴った。香純は慌ててすぐ音を消し、表示名を見て耳元に当てながら小声で返事をした。すると「ああ、俺だけどよ、さっき言うのを忘れちまったんだが、急ですまないが明日の朝七時半頃、ちょっと姉ちゃんの家まで付き合ってくれんか、時間は大してかからんし迎えに行くから、お前だけで構わん、チェックアウト前までには必ず戻れるようにするから、じゃ、明日ホテルに着いたら連絡するわ、トクちゃんによろしくな」林松はそう言って電話を切ろうとした。しかしあまりの早口でそもそも行先がよく分からなかった香純は「ちょっと待ってくださいよ、どこに行くんですか」と尋ねると、林松は「だから姉ちゃんのところだよ、じゃ頼むわ」と言ってすぐに電話を切った。「相変わらず勝手だなあ」と思ったが、その林松の声は会社員時代に聞いた頃のように弾んでいた。「まあいいか」と言いながらトクの顔を見た。「声大きいから聞こえたよ、いいよ、わたしは子ども達と朝ごはん食べて待ってるから行ってきなよ」「すまないな、今は大事な時期だから勘弁して」と言い、衣服を全て脱いでバスルームへ入った。
一汗流した香純が出たのでトクは「私もお風呂行ってこようかな」と言って、手持ちのバッグを片手にソファーから立ち上がった。続けて「でもさ、なんだか凄い一日だったよね」としみじみ言うので、香純は体を拭きながら「おつかれさん、今日も本当、良くやってくれたよ」と労った。トクはそれに頷くと「でもさ、これから一体どうなるんだろうね」と言い、二人の会話は続く。「ま、大丈夫だよ、何か心配かい」「ううん、でも森上さん引退するんでしょ、だから会社は大丈夫なのかなと思って」その後、トクは一瞬だけ子どもたちの寝顔に目をやった。それから「俺も確かに驚いたよ、でも林松さんなら大丈夫だよ、きっと」香純はそう言うと、冷蔵庫から缶ビールを取り出して蓋を開けた。トクはその自信に満ちた横顔を見て、自身もそうかも知れないと思えて部屋を出た。
トクが部屋を出た後、香純はソファーに腰かけて一息ついた。そして持っている缶を口元へ当て、それからぐいっと喉の奥へ流し込んで「本当に動き始めたな」と呟いた。ここでふと林松の言葉がよぎった。「焦がさないようにひっくり返す、か」小声でそう呟くと、不思議に笑みがこぼれた。また郷大についても思った。「あれから相当な負担だったんだろうな」と言い、「でもそれも含め、今があるんだよな」そう皆への感謝が湧いてくる中、これからがいよいよ正念場だと思った。そして先程、皆で撮ったばかりの画像を眺めた。その中の一枚を見て「しかし美穂ちゃんには驚いた、まさに若い頃の湖層さんだな」と呟いた後、窓辺に立ち外を眺めた。駅のホームには人通りが少ないものの、まだ電車が何本も入ってきていた。それから林松邸の方角に目をやるとふと思い出し、朝六時にアラームをセットした。
風呂から帰ってきたトクは真純が言っていたように、広くて綺麗な大きい風呂がとても良かったと喜んでいた。その弾んだトクの様子を見て、表には出さずともそれだけで香純は嬉しかった。それから二人で軽く一杯重ね、今日の出来事を改めて振り返っていた。その後はさすがに疲れもあり、早々に床へ就いた。その夜中、いつものようにリンがぐずって何度か目を覚ましたが、比較的良く眠れた。時刻はまだ五時半で、香純はアラームを解除すると起き上がって、洗顔後に身支度を整えた。替えの白シャツと黒い薄手のジャケットを羽織り、また黒のスラックスを履いた自分の姿を備え付けの鏡で眺めた。それから髪も整え、髭を剃った。全ての準備が終わり部屋を出ようとした時、目を擦りながらトクが起きてきた。「え、もう行くの」「いや、駅まで散歩してくるよ」トクにそう伝えた。隣にいる子ども達は今も気持ち良さそうに眠っていた。それから静かに部屋を出ると、周囲はまだしんとしていた。エレベーターに乗ってロビーを抜け外へ出ると、気温は程良いものの湿度は高かった。これは今日もまだまだ暑くなるだろうと思いつつ、会社員時代から通り慣れた道を歩いて駅の売店を目指した。やがて辿り着くと、まずは朝食になりそうないくつかのものを適当に買い、その後は駅の改札近くにある券売機へ行って乗車券を購入した。そして再び元来た道を戻った。すれ違う人達はこれから出社する人や、これから旅行なのか家族連れの人達もいる。そうした対称的な表情を横目で見ていると、当時の自分はこうして日々この場所を通っていたんだな、と思い出しながらとても不思議に思った。それから黙々と歩を進め、再びホテルのロビーへ着いた。
部屋に戻ると、真純はふかふかの布団からまだ出たくないようで「いやだ、まだ寝てる」と言いながら顔を一旦は外へ出したが、再びすぐ布団の中へ潜った。リンは両手両足を広げ、今もまだ良く眠っている。トクは二人を起こすのをそこでやめ、帰ってきた香純に「おかえり」と言って出迎えた。その後、湯を沸かすスイッチを入れた。「はいこれ、おみやげ」香純はトクにビニール袋一つを手渡しながらそう言い、その後は先に取り出したサンドイッチを食べながら今日の予定について話始めた。「チェックアウトは十時までだから、それまでには帰ってくるよ、帰りは新幹線で帰ろう、乗車券はさっき買ってきた、でも帰ったらやることたくさんだな、ま、のんびりやろう」などと話していると、トクはお茶を入れたマグカップをテーブルの端に置き「そうね、その間にくつろいでおくわ」と言った。そして手を伸ばして、自分も一口食べた。二人の話は続き「何か変わったことがあったらすぐに連絡するから」「なあに、何か変更になりそうなの」「ないとは言えないよ、だって林松さんだよ」「あら、昨日の話は覚えてるの、もしかして酔っぱらってた」トクがわざわざそう言うと、香純は首を左右に振って「酔ってない、酔ってないよ、ちゃんと覚えてるよ、大丈夫、でも念のためさ」「どんな可能性があるの、例えばもう一泊とか」「いやいや、それはない、そうだなあ、今考えられるのはどこかに寄って行こうとか」トクはそれはあるかもなと思いつつ、黙ったままお茶を一口啜った。
香純が食べ終わってしばらく食休みしていると、増永が運転する車の後部座席から林松が連絡を入れた。「おおう、俺だ、あと五分位で到着するから、はいはい、よろしく」と言って電話を切った。「今日は悪かったな、急で」増永へそう声を掛けた。「全然大丈夫ですよ、むしろありがたいです」増永がそう答えると、香純に再び会える嬉しさから声が弾んでいた。二人の会話は続き「少し大きい車の運転は大丈夫か」「問題ないですね、自家用車がそうですから」「それにしても随分と嬉しそうじゃないか」「そりゃあもう、次いつ会えるのかと思ってましたから」「あいつのどこが良いんだい」「なんか恰好良いんですよ、あ、社長言っときますけど、こっちじゃないですからね」と言い、一瞬だけ左手の甲を右の頬に当てた。それを見た林松が笑っているとホテルが見えてきた。「よしよし、もうすぐだ、このままもうちょっと走ってくれ」その時、ちょうどロビーから出てきた香純を見つけたので、林松は増永に「一回、鳴らしてくれ」と頼んだ。そこで増永が一回だけパアンと鳴らすと、それを見た香純はすぐに駆け寄った。「よし、ここで停まってくれ」増永はそこで停め、香純を出迎えようと車を降りると林松は窓を開けた。「香純さん、おはようございます」増永が笑顔で迎え、林松も「おはようさん」と声を掛けた。香純も二人へ挨拶し、増永の案内で運転席の真後ろへ座った。
増永はその後運転席に座り、カーナビを操作して「ええと、これから向かうのは元会長のお宅ですよね」と林松に尋ねた。「そうだ、会長宅で入っとるじゃろ」「ありました」とセットを終え、三人を乗せた車はゆっくりと走り出し、ホテルのエントランスを後にした。「大きいホテルですね」「今回は奮発したよ、でも素泊まりだけどね」林松は何となくそうだろうと思っていたので「悪かったなあ、でも帰りは皆で飯でも食っていこう」と言った。香純は「いやいや、大丈夫ですよ」と軽く断ったものの、林松は遠慮するなと言って増永に「帰りはあそこに寄ってくれ」と言った。香純は少し焦って「嬉しいんですけど、チェックアウトもまだしてないんで」と言った後も話は続き、「もちろん皆でだよ、トクちゃんや子どもたちも一緒にさ」「この車の定員は七人、大人四人の子ども二人だから大丈夫だろ、チャイルドシートも積んできたんだよな」「ええ、準備万端です」すっかり忘れてた香純は「うわあ、すっかり忘れた、助かりました」と二人に礼を述べた。「この車に全員乗れるだろう」「全然、余裕ですね」「子どもの定員は大人の三分の二なんだってな」「そうですね」「まあ全員大人でも乗れるから大丈夫だな、やっぱり大きい車で来て良かったな」
昨日の森上からの依頼をここでふと思い出した香純は、まず林松にこう投げかけた。「全く驚きましたね、昨日は」




