あれから ①
「これは大まかな話となりますが、まず現状は湖層副社長を支持する側と、そうでない側に分かれたわけです。だからと言って、仕事内容はこれまでとさほど変わりなく比較的順調なのだろうとは思います。しかしこのまま二手に分かれた状況では、いつか再び表面化するかもしれません。そこで今回こうしてわざわざ我が家を尋ねて下さった皆さんの本音が、少しでも垣間見えたのは大いに参考となるのです。ええと、例えばですね」と言い、香純は後ろの棚に置いてあるノートに手を伸ばした。そしてその中を探しながら「結構あるんですよ、ほらこの日とか。あ、この日もだ」と言ってその部分を指差して見せ、その後も次々にページをめくった。
「まあ、林松さんですからね」
香純は訪れた客全員に対してそう言い続けてきた。どのような反応を示したかなど、そうした内容をまとめた詳細を記録してきた。林松はその木製のテーブルの上にある香純の自筆ノートに視線を落とし、時々唸りながら何度も頷いた。一通り説明した後、香純はお猪口を口元へ当てて一息に飲み干した。それから「社員全員が管理職撤廃を反対しているわけではないでしょう。これまでに接してきた感覚では少なくともOKAMI創業メンバーの八割は、現在も好意的に見ているのではないかと思いますが」と伝えた。
当時、管理職撤廃を湖層へ指示してからというものの、じわじわと社員間の業務に支障が出始めているという話が出始めていた。やがて次第に連日のように林松の耳元にも届くようになってきた。そのためこれらを何とか収束すべく、一旦は全てを白紙に戻すしかないと決めた林松は、ここで一度湖層へそのことを依頼したが、もはや撤回しか方法がないという状況の最中にあった。そのため足早に会長職を降りることにしたのが、それでもOIDEYASUの社長であることには変わらない。何かがすぐにでも変化することはなかったが、とにかく今は皆をまとめていく方法を探すだけだと躍起となり、それからずっと模索し続けてきた。同時に香純の退職がかなり響いていた。林松自身が想像していた以上であり、その影響があちこち出始めていた。確かに郷大を筆頭に香純の後を担った人達は、これまで皆が良くやってくれている。しかし正直にその代役となる人物は、現時点において未だ見つかっていない状況が続いていた。そのためこうして月に一度、表向きには農場視察として香純の意見を直接聞きに来ているのが、実際にはそれを快く思わない社員が数名いることは当然知っている。それでも林松は他に変わりがいないのだから仕方ないと、心底そう思っていた。
香純からその話を聞いた林松は、ゆっくりと高い天井を見上げてこれまでを思い出していた。このように自分と同じ視点で見ることが出来る側近は、残念ながら今のところ他に誰もいない。そう思いながら痛感した。それもあって「お前なあ、しかし良く見てるわな。関心すらあ」と、嬉しさからそう口にしたが、同時に思わず笑いが吹き出した。香純は冷静に「でもね、林松さん。これは単なる予想ですので。実際のところはわからないですよ」と言って一応の念を押したが、林松は構うことなく「お前がそう言うんだからきっとそうなんだろう、がはははは」と、さらに上機嫌で「トクちゃん。悪いがもう一本」と、その場で声を上げた。台所にいたトクはそれが聞こえるとすぐに「はあい」と、いつものように答えた。出来上がった品をそれぞれ盆の上へ並べている最中のことだった。「しかし相変わらず良い返事だなあ、酒が進むわ。がはははは」林松は本音でそう言うと再び笑った。
しばらくそうしていると何か思い出した林松は、急に真顔で「そうだった、今日はこうやって笑っている場合じゃなかったわ」と呟いて、再度じっくり香純の顔を覗き込んだ。続けて「実はな、うちの美穂が海外から帰ってくるんだと」そう口にすると、香純は一瞬「え」と驚いて声を漏らした。すぐに「そうなんですか」と落ち着いて答えたが、その声はどことなく少し弾んでいた。それを横目で見ていた林松はやや不満そうにし、眉間にしわを寄せて「何だい、もっと驚くと思ったんだが。まあ良いわ」と言った後、続けて「先週、美穂から電話があってよ。今月末に帰るから迎えに来てくれとな」それに「へえ」と適当に相槌を打った香純は懐かしく思い、同時に「じゃあ優もですか」と問い返した。すると林松は「いや、予定では美穂だけと言っていたぞ」と答えた。香純は一度にやりとして「では、そう言っておきながら実は帰ってくるという可能性もあるかもしれないですねえ、優が森上社長を驚かそうと思って」と予想した。そう聞いた林松は「しかし、お前本当に勘が良すぎるわ。俺もそうだろうと踏んでいたところだ」とそうして顔を見合わせて納得すると、互いに笑いが込み上げてきた。「がはははは。な、きっとそうだろうよ。調べれば今すぐわかるが、まあいちいちそんなことせんでも良かろう」




