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ひたむき  作者: ナトラ
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これから ⑨

「それはきっと大丈夫よ」と、それまで黙っていた森上が言うので、郷大は不思議に思いながらその理由を尋ねてみた。すると「だって私もその予定ですからね」森上があっさりそう答えたので、皆はそれを聞いて思わず「えええ」と声を上げた。


 一同がそうして驚く中、隣にいる湖層が「それって引退なさるって事ですか」と、すかさず声を掛けた。すると森上は少し笑みを浮かべながら「ええ、そうよ、だって私、もう六十歳過ぎるんですもの」とさらりとそう答えた。その話を聞いていた林松は「なんじゃい、俺なんかもうすぐ七十歳だぞ」と意気込んで言うと、森上は「私はね、林松さんの真似なんか出来ませんよ」と言って笑い、後ろへ仰け反った。そして再び姿勢を戻した後、森上は一息ついた後に話を続けて「さっきの名称変更の話も含めてね、後日の会議で話そうと思っていたんだけどさ」そう皆に伝えた後に「それって簡単に言えばOKAMIの社内を見てもわかる、今でも意見が分かれてるでしょ、ならばいっそのこと双方の好きにしてみたら良いんじゃないかってと思うのよ、管理職はいらないという側と、いや必要でしょという側に分かれてね、それで実際にやってみるの、これは簡単じゃないのはわかるけど、でもやれないことはないんじゃないのかってと思うのよ」と言お、湖層の横顔をじっと除き込んだ。それからさらに「私が最後に協力出来ることはきっとそれでしょ、って思ったんだよね」と言い、今もその一点に見続けながら、グラスのおかわりを頼んだ。


「それって具体的には、どうすれば良いんですか」梅川がそう声を上げたので、森上はちらりとその顔を見てから再び話を続けた。「現在、OIDEYASUにどのくらい反対している人がいるのか、私は詳しく知らないけどさ、でも一つ考えられることは」と言うと、再び皆の視点が集まってきた。森上は続けて「それは林松さんのお姉さん、つまり先代の会長さんの頃から働いている人たちはさ、突如として副社長になられた、こちらの方からいきなり管理職廃止だなんて言われた当時、それはそれは多くの方々が戸惑ったことでしょう、現に今もそう思いながら仕事をされている方も少なからずいらっしゃるでしょうから、だからそれも私が反対した理由の一つなのよ」と言った、続けて「でもね、それと同時に皆さんの言い分も良くわかるのよ、だから私が思うのは全員が賛成するようなやり方よりも、逆に反対意見をまとめていく方がよろしいんじゃないかと思ったんですよ、それこそさっき言ったように二手に分けながら進めるやり方でね、もちろんそのリスクは承知の上よ」梅川は一言だけ礼を言うと、その後は黙っていた。


 森上はさらに続けて「その他に考えられるのは、例えば林松さんと私が協力して合併を強引に決めてしまうという手も当然あるかもしれませんね、でも、それはねえ」と言うと、左側にいる林松を見上げた。ちょうどその視線と合った林松は「いや、それはないな」と言い、自身のグラスを飲み干した。それを見ていた森上は、その後「そうですね」と言って一息ついた後、再び梅川の方を見て「なので最終的にどうするか、それはこれからも皆さんと相談して決めていく予定なんですけど、でもこれからもし、それで社員さんが一斉に辞めることになったとしても、さっき話をしたように別れもあるってことよね、新しく始める時には別れもあるの、そういうこと、でもその対策だけは事前にしっかりと準備しておく必要があるってこと」そう言うと緊張の糸が解れたのか「はあ、なんだか眠くなってきちゃった」と言って話を終えた。その後の森上は、自身の額から頬へ流れ出る汗をハンカチでひたすら拭っていた。その隣にいる湖層は、手持ちのバッグからメモとボールペンを取り出し、今も懸命に何かを書き込んでいた。


 そうして普段より饒舌に話す森上の姿は、幹部達にとっては新鮮だった。森上は普段、外出が多いので重要な会議以外、ほとんど参加しなかった。しかし林松の時とは異なるその手法から、社員たちの中には自分たちへの信頼と感じる人もいて、実際にその数が増え始めているところだった。当然、その話は林松の耳へもちらりと入ってきていたので、その矢先にこうして思わぬことを聞いてとても残念に思った。しかしすぐに自らの考えを切り替えて「よしわかった、郷ちゃんと森上社長とは、これからじっくり話を進めていく、でも今日はそのことを抜きにしても、これから何としてでも一年以内の実現を目指し、本格的にまとめていこう」「で、何か他に意見ある人はいるか」と皆に尋ね、誰もいないことを見渡してから「よし、じゃあ決まりだな」と言って、正式にその期限が決定した。いよいよ前に進み始めた実感からか、皆も次第に安堵感が湧いてきた。林松も両肩の力が少し抜けたようで、野菜を焼いた串を持つとすぐそれにかぶりついた。「なんじゃこりゃ、めちゃくちゃうめえな」と言つて、咀嚼しながら外へと出て行った。


 香純はすぐにその真意を確かめようと、森上の座席の後ろへ移動した。そして「一体どうしたんですか、急に引退なんて」と、その背に向かって声を掛けた。すると森上は振り返り「あら」と声を発した後、自身のテーブル上にある皿を少し寄せた。また隣の湖層も同じように自身の体を右側に寄せたので、ちょうど一人分座れるスペースが空いた。「隣へどうぞ」森上がそう言うので香純は二人に礼を言いつつ、その席についた。それから森上はグラスの中身を一息に空けた後、質問に答えた。


「それはさっき言った通りよ、実は去年辺りから考えてたの、驚いたでしょ」森上は顔を赤らめながらそう答えた。その表情は先程とは打って変わり、どこか清々しさもあると香純は感じていた。ただどうしても釈然としないと思いもありつつ、なので香純はまず「そうなんですね」と一言答えてから次の本題に迫った。「ということは、今回の合併話以前から既に引退をお考えだったのですね」それについて、森上は少し視線を上に向けて黙った。数秒後、再び視線を戻すと「まあそうね、こういうのはタイミングなのよ、もちろん一番良いのは全部解決して道筋がきっちりと定まることなんだけど、でもそうするためには先に期限を決めないとね、そうでもしないと人ってなかなか動かないから、あ、これは自分も含めてよ」と言い、それからぎこちなく微笑んだ。


 それに香純は頷いたものの、まだ腑に落ちなかった。そのため次の質問をしようと思ったがmその寸前で止めた。それは自身の退職を決めた時を、たまたま思い出したからだった。森上は年齢を理由とした。しかしきっとそこには何らかの決定的な理由があったのだろうと、その表情を見て何となく思った香純は、話を一旦脇に置いた。それから警備の増永について、自宅に訪れた林松から話を聞いたことや、今日は迎えに来てくれたことなどを伝えた。すると森上は「そうそう」と言って頷き、やがて話が弾んでくると次第にその頬も緩んできた。二人の会話は続いた。「あの人、なかなか感じ良いでしょ」「ええ、そう思います」「長年いろんな人を見てきてるけど、あそこまでの人ってなかなかいないと思うのよね、そうだ、まだ引退のことは誰にも伝えてないのよ、あなた悪いんだけど、もし彼と行き会ったら軽く伝えてみてくれるかしら」その問いに香純は頷き「では、林松さんが次回お見えになった時、もしその時会えたら伝えておきます」そう答えた後「でも、増永さん情報早いですから、その前に多分伝わっていると思いますよ」と付け足した。すると森上は「へえ、そうなの、まあよろしくね、ところで彼は警備も良いんだけどさ、もっと他のことやってもらったらと思うのよね、あ、ごめんなさい、この話はあなたに言う事じゃなかったわね」と言うと、香純の奥にいる湖層に向かって話を振った。それから二人で話を始めたので、香純は静かに立ち上がり自席へ戻った。


 こうして会議が一段落した頃、トクは皆のテーブルに丼と味噌汁を置いて回った。丼にはミサから差し入れの海鮮かき揚げやオクラとナスの天ぷらがあり、味噌汁は蟹が入っていた。綾子が皆へかき揚げは副社長のミサからだと伝えていたが、その時もまだ林松は一人、外の椅子に座って煙草をふかしていた。炭火はもうほとんど燃え、鉄板の下が少しだけ赤く見える程だった。優も焼くのを一息ついた頃だった。それから炭を追加しようとしたものの、でもその前に「まだ何か焼くものありますか」と網戸の奥に見えた綾子に声を上げ、そう尋ねた。すぐ窓辺に来た綾子は「もう沢山ね、ありがとう、片づけは後でいいから、さ、中に入って」と答えて招いた。優はそれに返事をすると、傍にいた林松が「お前、知ってたのか」と尋ねてきた。優は食材を焼く音ではっきりとは聞こえなかったものの、それまでの話は大体は耳に入っていた。その問いに「いや、知りませんでした」と言って少し黙った後、続けて「その可能性はあると日頃から思っていたので、特に驚きませんでした」と、はっきり答えた。すると林松は首を傾げ「何だいそりゃあ、どっか具合でも悪いんかい」と尋ねたが、優はほとんど表情を変えずに「いや、それはないでしょう、体調は問題ないと聞いていますし」と答えた。すると林松は笑い出して「まあ、そうだよな、それなら今も酒なんか飲んでるとこじゃねえもんな」と言って席を立つと、中へ入ろうと誘った。優はそれまで握りしめていたトングを脇に置き、その背中の後を静かに追った。


「ちょっと洗面所お借りします」中に入った後、優がそう言うと綾子がすぐ「はい、どうぞ」と答えた。それから廊下を歩き辿り着いた後に自身の顔を鏡を見ると、炭が付いていた。そのため優は流水で顔をばしゃばしゃと両手で洗った。そして目を瞑ったまま、ズボンの裾からハンカチを取り出そうとしていると、後ろから「はい、これ使って」と急に声がして、それと同時に首周りに布の感触が触れた。それに思わず優は「うわっ」と声を漏らした。それにけたけたと笑いながら、美穂が「使い終わったらその辺に置いといてね」と言い、その場を去った。今までにない美穂からの厚意が嬉しかった優は、なぜそうなったのかまではよくわかなかった。何らかの変化があったのだろうと思いつつ、でもそれは自身が畑の手伝いを依頼したからなのか、それとも単に香純に会えたから機嫌が良いだけなのか。そう一瞬考えたが、今日はそれ以上考えるのをやめにした。


 それから一同は食事を終え、林松と森上、そして湖層の三人で話をしている最中片付けをしていると、二次会の話題が出てきた。梅川が林松に参加の有無を尋ねたところ、林松は「明日、姉ちゃんと打ち合わせがあるから俺は行けないな」と答え、森上と湖層も参加を見送った。郷大は踏ん切りがついたようで、その嬉しさから「よし、これから二次会だ」と大きな声を上げた。そして隣にいる梅川の肩に手を回し、タクシーを呼んでくれと頼んだ。梅川は苦笑いして「わかりましたよ」と返事をした後、電話をしようとした。その時にトクが二人の元へやってきて「すみません、さっき予約しましたので」と一言伝えた。それを聞いた梅川は「さすがトクさんだ、ありがとう」と嬉しさが増してそう言った。一方、その様子を見ていた香純は感心しながら「俺達もそろそろ」と呟いた。既に真純とリンは隣の部屋でうとうとし始めていたので「起こさないようにしたいな」トクにそう耳打ちしていると、綾子がその二人の後ろから薄手のタオルケットを持ってきて「これ使って」と言ってトクに手渡した。トクは礼を言いながらそれを受け取ると、すぐに子どもたちの上にそっとかけた。


「泊っちゃえば」その後、綾子がそう言ったが、トクはすぐにそれに対して「ありがとうございます、でも今日は宿を既に確保してきましたので、すみません」と伝えた。綾子は残念そうな表情を浮かべ「そうね、でも今度、ゆっくりいらっしゃいよ」と言った後、再び台所の方へ戻って行った。二人は改めて礼を伝え、香純はトクに目配せをしてにこりと笑った。そして一言「やるじゃん」と言うと、トクは一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべた後、その意味がわかると微笑み返した。香純はこの時、もはや自分よりもトクは先を読んでいるのかもしれないなと思いつつ、残りの片づけを一人で黙々と済ませていた。その周囲では「皆で片づけると早いね」と言う声が聞こえた。やがて話を終えた上役三人も合流し、全てが順調に終った後に一息ついた。香純は外の椅子に座り、一人静かに煙草の先に火を着けた。


次回より、第二章開始。

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