これから ③
「お金の話で大変恐縮ですが」香純はそう前置きして話を続けた。「我が家の五年間の収支を振り返ってみると、まずグループ解散により当初予定額から四分の一が削減となりました。それ以降は正直言って余裕は全くありませんでした。ただそれも出荷が始まるまでの辛抱と思いつつ、ただ沢山のご協力があった事で何とかここまで辿り着きました、その感謝の気持ちとして、これから収穫した野菜をお送りしたいと思っています、今年の出荷時期は不定期となりますが、品物到着後に実際に食べた感想なども教えて頂ければと思います、そしてもしご評価頂けた際には、当初決定額へ戻す事を検討して頂けたらと思うのですが」香純はあまり期待せずにそう伝えてみたところ、幹部達からは次々と労いの声が聞こえてきた。そして林松も「そうだよな、まずはそれを謝らなければならなかった、すまなかった」と一言詫びを入れた。それからすぐに「なあ、今すぐにでも最初の金額に戻せるかな、どう思う」と周囲にいる皆に尋ねた。すると郷大が「食べてからなら誰も文句ないでしょ」と早速声を上げ、続いて湖層も「私もそう思う」と言い、さらに梅川も「賛成です」と答えた。しかし森上は渋っていた。
そして「私はね、輝来さんの事はもちろん嫌いじゃないのよ、でも中には特別扱いだと言う人もいるし、だから私は正式に出荷日が決まったらそうした方が良いと思うのよね」と森上は言い、今は大変だろうけどもう少し様子を見た方が良いだろうと後に伝えた。香純はそうした皆の意見を聞くと、嬉しさが滲み出てきた。そしてそれを抑えながらもまずは礼を言い、こう続けた。「まず現状をお伝えしたかったので、今日はそれが出来て良かったです、今後ぜひご検討頂けたら嬉しいです、今日は沢山持ってきたので、ぜひ食べてみて下さい」と言うと外に出て、車庫の軒下に出しておいた二箱を重ねて運び、それを鉄板の傍にあるテーブルの横へ置いた。箱を開けると夏野菜がびっしりと入っていて、そこから丁寧に手に取りながら皆に見せた。トマト、キュウリ、ナス、オクラ、そしてホウレンソウにサツマイモなど合わせて十種類以上ある。それを見ていた郷大が頷きながら「ほほう、これは凄いねえ、真純君も手伝うのかい」隣にいた真純はその問いが嬉しくて、今日一番の大きな声で「うん」と答えた。
「お金の話はこれで終わりです、後は会社の事ですが」香純はそう言うと首を傾げた。少し経ってから再び話を始め「会社を離れて随分久しいので、まずそこはご了承願いたいのですが」と前置きし、その後は急に表情を引き締めた後に話を進めた。「率直に申し上げますと、まずアンケート実施予定のお話ですが、それは結構な時間や手間を要するでしょう、そして先ほどのご意見でもありましたように、これによって表面化する事になりますよね」そこまで話すと林松は一瞬、意外な表情を浮かべてから「そりゃそうだわ、簡単にはいかねえよ」と言った。香純はそれに頷きながらも、再び話を進め「ええ、そうでしょう、ただこのノートを見れば、そうした事は簡略化出来るだろうと思うのですが、これは私が判断するよりも皆さんの方が詳しいと思いますので、まずはこれを見て頂きたい」と言い、手持ちのバッグの中からあの一冊のノートを取り出した。そして「これもお礼の品です」と言って皆に広げて見せた。
林松以外の幹部達が取り囲むように集まり、皆で上からそれを覗き込んでいた。そしてまず森上が手に取り目を通してから「これは何ですか」と香純に尋ねた。香純は林松に伝えたように、これは主にこれまで自宅に来訪してきた社員の記録だと答えた後にこう続けた。「これがアンケートの代わりになるとは思っていませんが、それでもまずはこの中身をじっくり御覧になり、判断されると良いかと思います」と言って一旦その場を離れると、台所にいるトクのところへと向かった。それからしばらくして他の幹部が目を通し終えると、林松も「どれどれまた覗いてみるか」と言って読み始めた。それから幹部達の口々からは「え」「まさか」「あの人も」「本当かよ」という言葉が次々と出始めた。するとここで急に森上が笑い出して「あなたってこういう事するんですね」と、香純に対して特有の誉め言葉を投げかけた。その後、周囲へ「な、なかなか鋭いわよねえ」幾分たじろぎながら、そう問いかけた。
そのノートには「仕方ないですよ」「そうそう林松さんだからね」「ま、自分達は上が決めた事に従うしかないですから」「ま、あまり期待してませんよ」などという諦めの言葉と、それを発言した人達を赤丸で示していた。そのため本人を知る人がこれを見れば反対している人達について、何らかの傾向をつかめるかもしれないと香純は密かに思っていた。解散からこの数年間、これを誰にも言わず一人で戦略を練ってきた証だ、そう思いながら皆の様子をその場からじっと眺めていた。すると森上以外の幹部達は興味を示し始めて「あれえこの人、この間は賛成のような事を言ってたよな」「確かに、でも反対の人達はやっぱりOIDEYASUの人達が多いんですね」「そりゃそうだよ、あの時は話が急だったし」「それはそうですけど」「OKAMIの社員は意外と賛成が多いみたいだな」「確かにそうですね、でも」などと郷大と梅川が話をしていると、そこへ再び香純が戻ってきた。そして和室で遊んでいた真純とリンも、互いに手をつなぎながら皆がいるリビングへと入ってきた。
その姿を見ると香純は「大事なお話し中だから、お母ちゃんのところに行ってなさい」と二人に声を掛けた。すると二人は珍しく、素直にそのまま台所へと無言で向かって行った。それから再び席に着いた香純は「さて、大体御覧になりましたか」と皆に問いかけた。すると湖層はとても険しい表情で「これは林松社長の指示なの」と問いかけたが、きっとそうした問いがあるだろうと事前に予想していた香純は、一先ず落ち着いてから「いや、これは私が勝手に記録したものなので林松さんの指示ではありません、林松さんにはつい先日、我が家でお見せしたばかりですので」と、それを明確に否定した。すると湖層はその大きな目で、林松の方をぎろっと見て「そうなんですね」と静かに尋ねたが本人はいつもと変わらないままソファーに腰かけ「そうだよ、香純が言った通りだ」と答えた。そして左手で持っているグラスを口元に近づけて飲み干した。すると湖層は少し落ち着いたようで「じゃ、これは非公式書類ということになりますね」と再び尋ねたところ「うん、そうなるね」と林松が答え、それに香純も「もちろんそうですよ」と続いた。そして「私は貴社と雇用関係にありませんので、ただこれは個人的なものでして、またこの数年に対するお礼の意味もあるのです」と付け加えた。すると湖層は少し考えた後に「そうなのね、じゃ、これは当社への善意なる情報提供と言うことで問題ないかしら」と問いかけ、香純はそれに対し明確に「はい」と答えた。湖層はそれに「わかったわ、ならちょっとじっくり目を通してみたいので、このノート、悪いけどしばらく貸してもらえるかしら」と言うので、香純は右手を伸ばして「どうぞどうぞ」と答えた。
香純が湖層と話をしている間も落ち着かない森上は、隣にいる林松に対してそれまでとは全く関係ない話をなどを持ち掛けていた。その様子を見た香純は、多少酔ったせいで口数が増えたのだろうと思っていた。また郷大と梅川も驚きを隠せないまま「いやいや驚いたわ、ただここにある全てが本音だとは思わないけど、いやでも大体はこの通りかな」郷大がそう言うと、梅川もこう続いた。「そうですよね、確かにそれはあります、でももし自分なら思っていることをそのまま話したでしょうから、仕方ないというか、それが事実ですからね」その二人の話を耳にした香純は「私が既に会社の従業員ではないというのも、ある意味良かったと思います、林松さんですからねという意味を相手がどう受け取るか、本題はそこですから、ただこれは自分なりに考えた上での事で、これがこれから先へ進むきっかけになると良いなと思いながら独断で決めてきた事です、これは誘導ではないにせよ、でも一つの作戦の内ではありますね」まるで当時の想いが戻ったかのように熱く説明した。
林松はそうした香純の長年の想いを感じると、ここで急に声を張り上げたくなり「よおし、他に何かあるか、香純」と威勢良く問いかけた。香純は一息ついて「いえ、ありませんよ」と落ち着いて答えたが、まだ胸の鼓動は収まっていなかった。それに構わず林松が「よおし、じゃあ次の議題に入る前に腹ごしらえだ」と皆に呼びかけた瞬間、庭先が一瞬だけ光ると勢い良く一台の車が敷地に入ってきた。そしてその車は香純が借りていた車の横に並んだ後、すぐにエンジン音を消した。「お、帰ってきたな」そう言って林松はまずは落ち着こうと外の椅子まで行き、そこへゆっくりと腰かけた。




