日本の話
「″明李″という名は私がつけたんだよ」
ある日静かにおじいさんは言った。
「門の前に捨てられていた明李を見つけた時、君は泣くでもなくただジッと私を見つめていた。その目は私には諦めたように『もういい』『助けなくていい』と言っているように思えたんだ。その時私は腹が立って君を助けたんだ。だってそうだろう?なにもせずに諦めるなんて馬鹿のすることなんだから。それに人は誰しも嫌だって言われたら意地でもしたくなるだろう?だから君を助けたんだ」
悪戯っ子のするような笑みを浮かべてウインクするそのおじいさんは桃の木園という孤児院の園長で私を拾った人。
「″明李″、李の花言葉を知っているかい?忠実や貞節なんかが有名だけれど″困難″という意味もあるんだ。私はね、明李を初めて見た時にこの子には沢山の″困難″が待っていると思った。だから″困難″はあっても明るく歩んでいけるように」
そう言って皺くちゃな顔を更に皺くちゃにして微笑んだおじいさんはもういない。私が七つの時に急に倒れて救急車で運ばれた。そして結局そのまま帰ってこなかった。
おじいさんが死んでから、園の管理者として後釜に収まったのは親戚だという夫婦。ニタニタと気持ち悪く笑うおじさんと香水臭い化粧の濃いおばさん。
私が最年少で園には私以外に十人の子供がいた。
私は笑わなかったから、園でも小学校でも気持ちが悪いと近づいてくる子供はいなかった。私に唯一話しかけてくるのはおじいさんだけだった。そしてもうおじいさんもいない。喋り方すら分からなくなりそうだった。
おばさんはいつも派手な格好で何処かに出掛けていった。子供達のことはどうでもいいみたいだった。だけど、私にだけは関心がある様で夜中に帰って来ると寝ていた私を引き摺りだして気持ち悪いと罵った。そして痛め付けた。私は声を上げないから好都合なのだろう。
おじさんは園の子供達を見る目が日に日に異常になっていった。人の好い笑顔を浮かべているけど私にはニタニタと舐め回すような気持ちの悪い顔にしか見えなかった。私はこの人になるべく近寄らないように、目につかないように生活した。
中学を卒業し、商業の夜間学校に入学した私は園を出た。昼間は工場とスーパーで働いて夜は学校に通う生活を送った。
夜間時代に貯めたお金と奨学金を借りて私はずっと行きたかった薬学部のある大学に入学した。大学でもアルバイトと勉強ばかりの生活だったけど、ずっとやりたかった事だからどんなに多忙でも楽しかった。
でもどんなに勉学に励んでも私は人に興味が持てなかった。
おじいさんに拾われた日の事は鮮明に覚えている。
恐らく母親だったであろう女に孤児院の前に置いていかれた。
暗かったからきっと夜だったのだろう。
おじいさんが私を見つけたのはしばらく時間が経過してからだ。
あの人は私を見て目を丸くした。
連れて行かれると分かった時、少し残念な気分になった。
私はきっと死ぬことを期待していたのだ。あのまま死んでしまえば苦しまずに済んだと無意識に感じていたのだろう。
おじいさんはきっとそんな事お見通しだったのだろう。すごく意地悪な顔をして「残念、君は生きるんだ」と私に言った。
それからは目まぐるしく生活が変わった。
色んな大人が話を聞きにきたけれど、言葉を知らない私からはなんの情報も得られずじまいで結局おざなりになったようだ。
知らないうちに名前もできていた。
おじいさんは私に何を教えたかったのだろうか。