月の光
月の光を浴びて復活するのは、それまでの吸血鬼になかった設定。そもそも伝承上の vampyre は「動く死体」を意味したので(the London Journal, of March, 1732)、最初から死んでいる吸血鬼の「復活」とは意味不明ではある。作者は Vampyre の名を借りつつ、それとは異なる魔物を創作した事になろうか。
カルメ師の本を見ても月光の事など記されず、おそらくはコールリッジ『年寄り船乗り』から持ってきたのだろう。
きつい風が艦に届くことはなく、
それでも艦が動き出す!
あの電光と月の下
死せる者たち呻き上げ。
The loud wind never reached the ship,
Yet now the ship moved on!
Beneath the lightning and the Moon
The dead men gave a groan.
呻いた、動いた、皆立ち上がった、
話すことなく、目も動かずして。
夢にも思わぬ不思議な話、
死者の起きるを目の当たりにして。
They groan'd, they stirr'd, they all uprose,
Nor spake, nor moved their eyes;
It had been strange, even in a dream,
To have seen those dead men rise.
『年寄り船乗り』第5部で起きたこの不思議は、しかし第6部に種明かしがあって
静かな光に入江も白く、
そこに出てくる数多ある、
同じ形が、その影が、
深紅色に来る。
And the bay was white with silent light,
Till rising from the same,
Full many shapes, that shadows were,
In crimson colours came.
舳先からやや離れ
その紅い影が集くから。
甲板のそちらに目を移すと…
おお、神よ!何じゃありゃあ!
A little distance from the prow
Those crimson shadows were:
I turned my eyes upon the deck—
Oh, Christ! what saw I there!
遺体それぞれ横たわり、生命なくして倒れ伏し、
それが、十字架にかけて!
全身光る、熾天使一体、
全ての遺体に立ち給いて。
Each corse lay flat, lifeless and flat,
And, by the holy rood!
A man all light, a seraph-man,
On every corse there stood.
「動く死体」には天使が取り憑いていたのだと、これが月の齎した恩寵奇跡だという訳だ。満月の故郷へ入港し、役目を果たした死体たちは地の底から引き摺られ、船ごと沈んでしまう。だから「死んでも生き返る」という事ではなかった。
『年寄り船乗り』全篇が月明かりの下に進むのは、月夜に暗躍する吸血鬼のイメージに近いところがある。しかし、おどろおどろしいイメージを連続させながら、コールリッジの意図は一貫して祈りと救済にある。
ポリドリの小説『吸血鬼』でも、吸血鬼が復活する描写そのものはなく、ラッセン卿の遺言で月光の当たる山頂に遺体を置いたと山賊が言い分したに過ぎない。まあ、そう言い出すと吸血自体も目撃されては居ないので、ラッセン卿が吸血鬼であるとは必ずしも断言できず、この点は伝承と同じ。
しかしコールリッジの表現とは異なり、「死んだ人間が生き返る」描写はオーブリーの感じた恐怖を読者のものとするのに効果的。キリスト教は「復活」の喜びがセールスポイントの一つだったのに、「望まれざる復活」となるとそれが反転するのだから、生きている人間とは勝手なものである。月の光も、その素は陽光なのに、反射光なので意味が反転してしまうのである。実際、波長が変わり紫外線の一部とか失くなるので、月光で日焼けすることはなく、吸血鬼のように青白い肌をした人にもダメージないのは事実ではある。
倒された吸血鬼が「月光を浴びて生き返る」設定は、マルシュナーのオペラ『吸血鬼』の一場面となって以来、半世紀ほどはネタにされたのに、今では使われなくなった。強力な不死者としての印象が強くなり過ぎたからだろうか。長たらしく読む気がしない『吸血鬼バーニー』などは、これを繰り返して話を引き延ばしたらしいのだが。
手持ちネタはこんなところで、一先ず完結とする。翻訳途中からノセール氏のニコニコ動画及びはてなブログを見つけ、大いに利用させて頂いた。どうも有難う。




