誓約を求める亡霊
作者は『吸血鬼』記述に当たり、その題名のみならず多くのネタを利用している。「月の光を浴びて生き返る」のは、コールリッジ『年寄り船乗り』第3部で殺された船員たちが、第5部で帰港すべく立ち上がる場面の描写だし、超能力で相手の行動を縛るのは、『年寄り船乗り』冒頭と『クリスタベル姫』第1部終わり近く。拙訳を参照されたい。
束縛の描写は、当時流行したメスメリズムの影響がある。ドイツ人の医師フランツ・アントン・メスメルまたはメスマー(独: Franz Anton Mesmer, 仏: Frédéric-Antoine Mesmer, 1734年5月23日 - 1815年3月5日)が提唱した動物磁気説(magnétisme animal)を、他の人たちはメスメリズム (mesmerism) と呼んだ。
始まったばかりの電磁気学は、ガルバーニ電気など、電気生理学と結びついており、電気または磁気が生体の運動に関わる可能性が論じられていた。『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス』では、死体に電気を掛けて生き返らせており、怪奇小説でありながらSFに近い。
さてメスメルは、発見したことを患者の治療に使い、今で言う催眠療法のような事をした。膝を突き合わせて座り、目を合わせ、両手でそれぞれ親指を握り、おもむろに下丹田の辺りへ手を当て、じっとしているなど。補助的に磁石装置を使い、「磁気流体」が流れ込むことで治療とした。当時は宇宙論としてもエーテル仮説が唱えられ、空間が流体に満たされているとする認識は一般的だったのである。メスメル自身は科学をやっている積りだったが、概念としては東洋の「氣」に近いオカルティックな力を操るものと見做されたようだ。これが血液を「生気を担う流体」と見る風潮と合わさっても不思議はない。
コールリッジによるメスメリズムらしき描写は、先ず『年寄り船乗り』冒頭に
ぎらつく眼差し纏わりつく故
招待客は突っ立ったまま
話を聞くこと3歳児のよう
変な船乗りのなすがまま。
He holds him with his glittering eye—
The Wedding-Guest stood still,
And listens like a three years child:
The Mariner hath his will.
と、船乗りの視線だけで若者を束縛してしまう。ただ、これは話が終わるまで視線を離さずに居るので、一時的なものに過ぎない。
これが『クリスタベル姫』第1部終わりには
この胸へ触れるに於て掛かる呪い、
それはクリスタベル、貴女の言葉の支配!
今宵、貴女が知った、明日も、知る事になる
この悲しみの封、この恥辱の印。
In the touch of this bosom there worketh a spell,
Which is lord of thy utterance, Christabel!
Thou knowest to-night, and wilt know to-morrow
This mark of my shame, this seal of my sorrow;
抵抗しても無駄、
もう貴女は自分では
ただこれしか言えなくなる、
それは暗い森の中
貴女は低いうめきを聞いて、
非常に美しく輝ける女性を見つけました。
愛と慈悲に満ちた貴女は連れて帰って、
服を着せ、湿った空気から彼女を保護しました、と。
But vainly thou warrest,
For this is alone in
Thy power to declare,
That in the dim forest
Thou heard'st a low moaning,
And found'st a bright lady, surpassingly fair:
And didst bring her home with thee in love and in charity,
To shield her and shelter her from the damp air.
と、ジェラルディン姫がクリスタベル姫の言葉を呪縛するのは、ラッセン卿がオーブリーに誓約させる事で制約をかけるのに似る。他でもない、ディオタディ荘でバイロン卿が暗誦し、パーシー·シェリーが錯乱した曰く付きの箇所である。
ところが、拙訳に示した通り、胸及び脇腹の傷とは聖痕を意味する。つまりジェラルディン姫は復活に至らざるジーザスであり、万人の罪を担う聖人であるのだから、その呪縛は聖なる試練の始まりに他ならない。対して吸血鬼は、聖人ではなく幽霊の類である。では、どこから持ってきた場面なのか。
ハムレット: 今宵見たこと、決して口外するな。
ホレイショとマーセラス:殿下、そのような事はしません。
ハムレット:であろうな、しかし、誓い給え。
ホレイショ:我が誠実をもちまして、殿下、致しません。
マーセラス:手前もです、殿下、信義に於きまして。
ハムレット∶我が剣に手を。[剣を差し出す
マーセラス∶もう誓っておりますとも。
ハムレット∶改めて、我が剣にかけて、だ。
亡霊∶(地下から)誓え。
Hamlet: Never make known what you have seen to-night.
Horatio:
Marcellus:My lord, we will not.
Hamlet: Nay, but swear't.
Horatio: In faith, My lord, not I.
Marcellus: Nor I, my lord, in faith.
Hamlet: Upon my sword.
Marcellus: We have sworn, my lord, already.
Hamlet: Indeed, upon my sword, indeed.
Ghost: [Beneath] Swear.
ハムレット王子が父の亡霊に遭遇して後、仲間に口止めする時、剣にかけて誓いを求める。亡霊も求める。
王子は干渉を嫌って場所を変えるが、その度に亡霊がついてくる。[Beneath] とは、2階建てになっていた劇場の舞台を利用し、地階を地下にみなした演出。
ハムレット:うは、まさか!そなたまで?という事は、まだそこに?
いざ、諸君。奈落にあるこの男の声を聞いたな?
宣誓に同意し給え。
ホレイショ:誓言は如何しましょう、殿下。
ハムレット: これに見たもの、公言すべからず。
我が剣に誓って。
亡霊∶(地下から)誓え。
ハムレット∶何処なりとも霊おはすとな?では、場所を移ろうか。
こっちだ、紳士諸君。
ではもう一度、我が剣に皆の手を置いて。
聞いてしまった事共を、決して人に洩らさぬように。
この剣にかけて誓え。
亡霊∶(地下から)誓え。
ハムレット:やるな、歳経た土竜殿!地中をそんなに速く動けるのか?
大した工兵だこと!もう一度だ、よき友達よ。
ホレイショ: なんと生きてこの世に、斯くも見知らぬ不思議驚き!
ハムレット: であるから、見知らぬ者として歓迎してやろうではないか。
天と地の間には、計り知れぬものがあるのだよ、ホレイショ。
哲学の夢想にもないことが、な。
はてさて、
これより、これまで無かった程にも、諸君の慈悲を乞わねばならぬ。
如何にも奇妙奇天烈に振る舞ってみせようとも、
この先、もしかしなくても巫山戯た真似に
自分から走ってみせたりもしよう。
そういう時にだ、僕と会っても君等は決して
こう、腕を組んだり、こんなに頭を振ったり、
怪しげな文句を呟いてはならない。
「はいはい、わかっていますとも」とか、「やろうとすれば、できなくはないが」とか。
あるいは「話そうと思えば」とか、「それは、あるかもしれない」とか、
あるいは、そんな適当な言い方で人目を引くとかして、
我が身の上を知るものとは、一切これ気取られるべからず。
願わくは恩寵と慈悲、そなたら真に乞うべき時に有らんことを。
誓え。
亡霊∶(地下から)誓え。(皆が誓う)
Hamlet: Ah, ha, boy! say'st thou so? art thou there, truepenny?
Come on--you hear this fellow in the cellarage--
Consent to swear.
Horatio: Propose the oath, my lord.
Hamlet: Never to speak of this that you have seen, Swear by my sword.
Ghost: [Beneath] Swear.
Hamlet: Hic et ubique? then we'll shift our ground.
Come hither, gentlemen,
And lay your hands again upon my sword:
Never to speak of this that you have heard,
Swear by my sword.
Ghost: [Beneath] Swear.
Hamlet: Well said, old mole! canst work i' the earth so fast?
A worthy pioner! Once more remove, good friends.
Horatio: O day and night, but this is wondrous strange!
Hamlet: And therefore as a stranger give it welcome.
There are more things in heaven and earth, Horatio,
Than are dreamt of in your philosophy. But come;
Here, as before, never, so help you mercy,
How strange or odd soe'er I bear myself,
As I perchance hereafter shall think meet
To put an antic disposition on,
That you, at such times seeing me, never shall,
With arms encumber'd thus, or this headshake,
Or by pronouncing of some doubtful phrase,
As 'Well, well, we know,' or 'We could, an if we would,'
Or 'If we list to speak,' or 'There be, an if they might,'
Or such ambiguous giving out, to note
That you know aught of me: this not to do,
So grace and mercy at your most need help you, Swear.
Ghost: [Beneath] Swear.
Hamlet: Rest, rest, perturbed spirit!
They swear
なぜハムレット王子は、剣に誓っての口止めを求めるのか。幽霊はこのとき既に、宗教的政治的に存在してはならなかったからである。
ヘンリー8世がローマ・カトリックと決別し(1534)、イギリス国教会が新教と化して以来、戯曲『ハムレット』(1601頃)まで半世紀以上が経過。シェイクスピア自身はカトリック信仰を引き摺っていても表向き、妻子にもそれとは言えない立場にあった。
そして宗教改革の始まりとなるマルチン・ルターの抗議は、贖宥状(免罪符)販売に関わるもので、贖宥状とは煉獄へ行った亡霊の成仏を願うものであった。これを否定する新教徒には、煉獄も亡霊も有り得ない事になる。
ハムレット王子自身は、そのルターが在籍し「95か条の論題」を貼り出したヴィッテンベルクに留学したのだから、その立場は新教徒以外の何者でもない。だからハムレット父の亡霊は「昼は煉獄で責め苦、夜は当て所なく彷徨い、夜が明ければ消えねばならぬ」などと、くどくど言い訳しなければならなかった。幽霊の一種である吸血鬼も当然、彼の設定を引き継ぐ。
そう考えると、昼間にも平気で活動できる幽霊とは有り得ない話で。そこは映画化されて以降の吸血鬼が、太陽の光に消滅する方が、まだ幽霊の伝統を守るもののように見える。幽霊を収容する『煉獄』の概念が薄れてしまい、「煉獄から出てくる」「煉獄に戻る」といった描写が見られないのは残念で、南米とか旧教徒の国が演ってくれないものだろうか。
いくら『煉獄』『幽霊』を否定しようとも、彼等が「死」の表象である以上。死すべき定めにある人間がその手を逃れられる筈はなく、ハムレット父の亡霊は今なお「有ってはならない(not to be)から消えろ」とも言われず、舞台を伸し歩くに至るのだから。
イギリス人やフランス人なら、知らぬ者はないほど有名な演劇であり場面であるから、読者は直ちにこれを連想したであろう。ロマンチストのオーブリーも、これを思って誓約したのだが、それだけにその結果には、騙された実感がひしひしと伝わる仕組みな訳である。
映画『ハムレット』でローレンス·オリヴィエの演技を観れるのは有難い事ながら、この場面が端折られたのは残念でならない。
但し幽霊譚としての『ハムレット』解釈及び翻訳は、木原誠氏の著作以外に見られない。氏による「『ハムレット』と中世都市伝説 ―煉獄は存在するのか否か、それが問題である―」がPDFで公開されているから、一読を薦める。これを収めた書籍『煉獄のアイルランド』を、訳者は辛うじて入手できたが、既に廃版のようだ。




