恐怖の背景
本作は、語り部たる青年オーブリーが体験した、変わり者の貴族ラッセン卿との交流、及び吸血鬼に受けた害を語る形になっている。オーブリーとラッセン卿の関係が、作者ポリドリとバイロン卿の戯画であるのは訳して直ぐ解ったが、どうもそれだけではない。アテネに着いたオーブリーは、栄光の時代からの遺跡に興奮し、その荒廃を嘆く。
and soon occupied himself in tracing the faded records of ancient glory upon monuments that apparently, ashamed of chronicling the deeds of freemen only before slaves, had hidden themselves beneath the sheltering soil or many colored lichen.
この箇所は、The Bylon Society の Web サイトにある Konstantina Tortomani の論文 The Vampyre as a literary war on the image of Greece にも引用された重大な描写であるが、平井呈一はこれを翻訳して
…やがて、今では色あせた昔の栄えた日の記録を刻んだ、古墳や遺跡めぐりに忙殺されだした。そうした記録は、むろん土中に深く埋めかくされ、あるいは麻布でいくえにも巻かれた、むかし奴隷の前だけで勝手放題をふるまった、公民たちの愚行を記録した恥ずべきものであった。
とする。巷では名訳完璧などと称えられるのに、これはない。lichen をリネンと勘違いしている時点で論外、結果として伝えるべきものが消えてしまったので落第であろう。
トルトマニさんの論文に拠ると、この一文こそ、作者ポリドリがバイロン卿とある感情を共有した現れなのだ。その感情とは、オスマン・トルコへの恐怖反感である。
本作導入部にも見る通り、「ギリシャ」はほぼ「東ローマ」でもあった。「ギリシャ帝国」と呼ばれた時代もあったくらいだ。それが回教徒の国オスマン帝国に服属して久しい、見るべき文明の源泉がすっかり荒廃してしまった…
実際のところ、ポリドリのギリシャに見た荒廃が、果たして史実のオスマン帝国のみ責を負うべきものかどうか、これは大いに議論の余地があろう。そもそもポリドリ自身はギリシャへ行ったことがなく、バイロン卿の作品から想像したに過ぎない。
しかしイギリス人にとって文明の祖であるギリシャの地が、異教徒の支配下にありながら、イギリス議会及び政府が国益追求のためオスマン帝国への敵対を避けて回る現状は、イギリス人一般には苛立たしいものだった。そこを踏まえると、小説『吸血鬼』全体が、「ギリシャの血を吸う化け物」という、国家レベルのアレゴリー(寓話)に他ならない。バイロン卿の姿をした悪役に、オスマン帝国への恐怖を被せた本作は結果として、バイロン卿の痛いところを突くものとなった。バイロン卿がギリシャ独立戦争に加わったのも、これが原因ではないかとトルトマニさんは考えている。
元になる感情は決して褒められたものではなく、今日なら「それは差別だ!」と一蹴されて終わりであろう。しかし、宗教すなわち価値観が絡んでしまうと感情的応酬を産むばかりで、今日なお尾を引くのは、移民問題の解決困難を見れば一目瞭然。
誤訳悪訳というも愚かな平井が本作を評して「作品それ自体は、ポリドリが文学者ではなく、すぐれた怪奇作家でないことを立証して終わった」としているのは、だからある意味当然で。ポリドリが書き大衆が受け入れたのは、単なる怪奇小説ではなかった。だから英米の本では今なお、この作品は単独で、「ジュネーブからの手紙抜粋」「序」「バイロン邸の説明」を添えて売られる。でも売れる小説いずこと鵜の目鷹の目で探していた不実な男に、そんな事はどうでも良かったのだろう。




