62-忘却の中起こる暴動
-ヴィンセントサイド-
研究塔が崩れ去ったその瞬間。
アトリエに残ったヴィンセントとリューもまた、その音を聞き異変に気がついた。
「何だ何だぁ!?」
「……この街で、大きい何かが崩れたような感じだね」
慌てて腰を浮かすリューとは対象的に、ヴィンセントは冷静に辺りの様子を伺っている。
至っていつも通り、確実な行動を起こすために観察を。
数秒の沈黙のあと、彼は立ち上がる。
彼らが感じ取った振動はそう遠くない地点で発生したもの。
ヴィンセントはそれを正しく読み取ったようで、速やかに次の行動に移った。
「この感じだと、研究塔かな。俺が様子見に行くから、2人はここで待っててね」
「お、おう」
ヴィンセントはそう言い残すと、速やかに研究塔の方向へと向かった。
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ヴィンセントは大通りに出てしばらくすると、唐突に立ち止まり、辺りを見回し物陰を伺い始める。
その理由は、建物が燃え盛っていたから。
と言っても、アトリエ周辺の木造建築は多くが無事だった。
だから塔が崩れるまで異変に気が付かなかったのだが、少し離れるだけで、その街並みは炎に包まれ始める。
そして同時に、そこかしこで暴動が勃発していたのだ。
塔の崩落だけでなく、これもまた明らかな異常事態。
彼はそれを見ると、慌てて近くの男達に駆け寄って止めに入ろうとし始めた。
「ちょっと、何してるんです!!」
「分かんねぇ……分かんねぇんだ……何も!!」
男達は、ヴィンセントの問いかけに決まってこう答えると、さらにその症状を悪化させる。
例えば近くに落ちている兇器を拾って振り回す、などだ。
もちろんヴィンセントはそれを止めようとするが……
「危ないですって」
「うるせぇ!! 俺は……俺は……こうしないといけないんだ!!」
男達が叫びながら兇器を振り回すので、彼は避けることに徹することになる。
かといって、流石に男達を攻撃するわけにはいかない。
ヴィンセントには、これを止める手段がなかった。
(これはどうすれば……)
暴動を無視する訳にもいかず、彼は思わずその場で立ち止まる。
しかも研究塔までの距離も、アトリエから近いとはいってもまだまだ先だ。
ローズ達の元へ急ぐか、暴動を止める努力をするか。
二つに一つしか選べない。
だが、彼がそんな状況に顔を歪めていると、さらに大きな騒音がその耳に入ってくる。
まるで銃を乱射しているかのような音だ。
しかも、その音は次第に彼のすぐ近くに。
「銃……ってまさか……!!」
彼が音がする方向を見ながら身構えていると、やがて飛び込んできたのは1人の老人。
そしてそれを追うように走ってくるマックスだった。
「マックス!?え、これどういう状況?」
「そいつを止めろヴィンセント!!暴動の元凶だ!!」
「っ!!」
遠くから叫ぶマックスの声を聞き、ヴィンセントは老人への警戒を強める。
老人は白髪に豊かな白髭、そして白い法衣のようなものを身にまとっているという、伝承に残る仙人のような見た目。
そしてさらに……
(……魔人だ)
ヴィンセントが感じ取ったのは、強大な負のオーラ。
全身白いのに、オーラは黒いというちぐはぐな光景だった。
「止まりなさい御老体」
至近距離にまで走ってきた老人に向けて、ヴィンセントはそう呼びかける。
当然彼は言葉で止まるとは思っていなかったのだが、老人は意外にも素直にそれに応じた。
走ってきたのが嘘かのように、その場にピタッと静かな静止だ。
(走っていた割には息が切れてない……)
「……なんじゃね?」
ヴィンセントが訝しげに老人を観察していると、老人は静かに笑みを浮かべそう問いかける。
追われていたはずが、至って冷静に。
だが、それは明らかに立場に合っていない。
ヴィニーはそれを無視して質問を返す。
「あなたは何者です?」
「ふむ。わしは質問をしたんじゃが?」
ヴィニーの質問に、老人はやはり冷静に答えた。
聞きようによっては……いや、追われている人間がこの状況で発する言葉ではない。
ほぼ確実に喧嘩を売っていた。
それには流石のヴィニーも苛立ちを隠せず、声を荒らげて問い詰める。
「いいから答えなさい!!」
そこに来てようやく。
老人は笑みを消し、敵意を露わにこう答えた。
「もちろん、わしは敵じゃよ。狩人に追われている通りに……な」
"流血の魔弾"
そのタイミングで彼に放たれたのは、マックスの銃弾。
神秘を纏った一撃で、年老いているなら一発で重症を負うであろう攻撃。
それは、老人の脳天を撃ち抜き……
「なっ消えた……!?」
老人は、頭蓋から血を吹き出し倒れた。
そう、見えた。
「くそっ、またか」
「どういうこと?」
ヴィンセントは、直後に走ってきたマックスに思わず問いかける。
だが、まさに今振り回されていたのがマックスだ、
当然彼はその質問には答えられない。
「分からない。だが、目の前で暴動を扇動しているのは確認した。この国に入り込んできた悪意だ」
「悪意……」
「ニコライが言うには……な」
「なるほど……つまり今も同じように潜伏しているのかな?」
「いやいや。今も目の前におるじゃろう?」
彼らがそんな会話をしていると、辺りに老人の声が響き渡った。
この空間の、その全ての場所から聞こえてくるかのような響きで、反響のせいで居場所が分からない。
「目の前……」
「おっとすまんな。もう後ろじゃ」
その声と共に、ヴィンセントの真後ろからナイフが突き出される。
彼らの意識の外側から。小さく、だが確かな害意を持って。
「くっ‥」
直前で気づいたヴィンセントだったが、数メートル飛び退くことでどうにか掠るだけにとどめた。
腕を見てみると、服は大きく避けているが体には数センチ赤い線が入っているだけ。
戦闘に問題はなさそうだ。
それだけ確認すると、彼はすぐに老人に目を向ける。
すると老人は、楽しげ笑いながらヴィンセントに声をかけた。
「ホッホッホ。まさかあんなぎりぎりでも避けるとはの」
「あなたは……何なんです?」
「わしはただの眷属じゃよ」
「眷属?」
「そう、偉大なる母に生み出された神秘の子。
その1人がわし……レーテーじゃ」
"失念の霧"
老人……レーテーは、それだけ言うと辺りに霧を発生させる。
その霧は、数メートル先で既に何も見えないほどに濃い。
さらに……
「あれ……ここは?」
「俺は狩りをしてたはずじゃ……?」
レーテーの能力は、忘れること。
その霧を受けた2人は、レーテーの存在どころか自分自身すらも見失ってしまう。
その影響は凄まじく、当然お互いのことも忘れている。
戦闘中だということも忘れているので、レーテーを前にして穏やかに会話を始めてしまう程だ。
「あれ? あなたどこかで会いました?」
「……俺もそんな気はするな」
「わしもそんな気がするのぉ」
レーテーは、そんな2人を見て楽しそうに笑う。
攻撃の最中だというのに、まるで仲間かのように。
だが、目ざとい2人はそのわずかな違和感に反応した。
元々会ったことがある、というくらいの記憶はあったのだ。
見知らぬ老人がいて疑問に思わない訳がない。
すぐにレーテーから離れて警戒を強める。
「あなたが誰かは分かりませんが、知人ですよね?
共闘しましょう」
「もちろんだ。嫌な気配を……ってヴィンセント?」
「え? ……マックス何故ここに?」
気がつくと彼らは、レーテーから離れる内に霧から出ていた。
同時にほとんどの記憶も戻り、それが逆に大きな隙に……
「うぐっ‥」
「マックス!?」
「忘れられるのは悲しいのぉ」
放心してしまっていた2人に近づく影が1つ。
それは当然レーテーで、今度はマックスに対してナイフを突き立てる。
「お前は……!?」
「ホッホッホ。レーテーと名乗ったじゃろうて」
「そうだ……確か、暴動を扇動して‥」
"失念の霧"
マックスがそこまで言いかけると、再び霧がその場に充満する。
それを受けた2人は、再び記憶が消えていく。
「ここは……?」
「ぼんやりせんでくれ。わしとお話しとったじゃろう?」
「そう……だったか?」
「いえ、そんなこと‥」
今度のヴィンセントは、違和感を持ちはしたが敵だとの認識はしなかった。
そのせいで、レーテーが突き出すナイフを腹に深く受けてしまう。
「ぐっ‥」
ヴィンセントが呻きながら後退すると、何故かレーテーは霧を消した。
そして邪悪な笑みを浮かべながら、楽しそうに語りかけ始める。
見た目とは真逆の悪質さだ。
「良くないのぉ良くないのぉ。忘却の泉を前にして、いつまでもそんな調子では死ぬぞい?」
「あなた……は……そうか、記憶ということはリュー達の親代わり……」
「わしはあの子らの記憶を消しただけじゃよ。
人聞きの悪いことを言わんでくれ」
"流血の魔弾"
2人のやり取りを聞き、敵と認識するや否や、マックスはレーテーに向かって銃撃を行う。
狩人らしい素早い判断だが……
「なっ消えた!?」
最初に脳天を撃ち抜かれた時のように、レーテーはその場で掻き消える。
霧とは違った、空気に溶けていくかのような不思議な避け方だ。
それを見ると2人は背中合わせに警戒を始めるが、どこを見てもレーテーは見つけられない。
ニコライとまではいかないが、どちらも相当な実力者。
そんな2人が、全力で探してなお見つけられないのだ。
思わずマックスの口から、苛立ちの言葉が漏れる。
「何なんだ、あいつは!!」
「分からない。分からなすぎる。記憶を消されるせいで観察もできない」
「わしの居場所を忘れたかの?」
「ぐぅぅ‥」
再び彼らはレーテーの居場所を思い出す。
今度は真横。ヴィンセントの脇腹をナイフが貫く。
彼はふらつきながらも、それ以上刺さらないように距離を取り……
"霧雪残光"
今回のヴィンセントは、レーテーの存在は覚えていたので反撃を試みる。
2箇所の負傷があるので、精度に頼らない連続技。
しかし、それでもレーテーは消えていく。
「ホッホッホ。戦いはわしに色々なことを思い出させる。
科学者に奪われたものを……」
ヴィンセント達の周りには、再び濃い霧が。
今度は壁のように動きを阻む。
「くそっ……恐ろしい相手だな」
「覚えていられないとはね……」
霧と共に消える記憶。
彼らは、攻略法の見えない戦いに身を投じることになった。
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