382-第一の契約
数千年前、地球に栄えていた科学文明は滅びた。無数の光が降り注ぎ、大地は裂けて分かたれ、大海に洗われたのだ。
バラバラに分解されたそれらは結合し、新たな大陸を形作ることになる。新世界に芽生えるは、かつて忘れ去られた神話の時代の神秘。人が支配する時代の、終幕だった。
次に猛威をふるったのは、人の科学文明によって支配され、コントロールされていた多くの獣たち。
それらは人類を滅ぼす勢いで暴れ回り、人々を震え上がらせた。
彼らを守るため、人類の守護者が立った。
多くの勇士が立ち上がった。そのほとんどが、滅び去った。
時代は巡り、やがて生まれるのは救世の英雄。
獣たちは鎮められ、その者は現人神に平和を願う。
新たに生まれた、4人の大厄災――かつての獣に匹敵するほどの人の大厄災によって、世界が滅びないように。
「君は、本当にそれでいいのか?」
「あぁ。個人的には、こんな世界に価値は見いだせないが……あの子はこの世界を愛していた。なら考えるまでもない。
この世界は、美しいんだろ?」
「いいだろう。その望み、承った」
4人はそれぞれ、狂った上で平和を願う維持と、狂気に任せて自他を滅ぼそうとする滅亡に分けられた。
だが、大厄災は戦わない。大厄災は暴れない。
もしも暴走したら、他の大厄災と激突したら、対になる存在が介入してきて、彼らは不利な戦いを強いられるだろう。
現状維持で互角。現人神は維持側につくことは確定しているため、非常時には常に滅亡側の不利となることが確定だ。
そのような縛りを以て、彼らはこの星に共存する。
「君の境遇は理解している。死を許されぬ聖女よ」
「だったら、僕の邪魔をするな……!!」
「いいや、残念ながらそうはいかない。
君は既にルールに組み込まれた。戦うな。暴れるな。
不利な戦いを、強いられたくなければな」
「……」
「君は維持側だ。どうせ異論などなかろう?
我らの契約に従ってもらうぞ」
「うん、いいよ。ぼくは……守らなくちゃ、いけないから」
「君が最後だ。そしてきっと、最初になることだろう。
拒絶は死を意味する。この契約を、受け入れろ」
「オレは、ただ……腹ァ、減った……アァァァァッ……!!」
かくして、現人神を含めた5つの契約は結ばれた。
このルールに逆らうものは、速やかに滅ぼされる。
生きろという呪いを課せられた者達にとって、これは何があろうと破れない絶対的な掟だ。しかし、彼らには同時に楽になりたいという願いがあるのなら……
滅ぼしたい、滅びたい。その葛藤の末に、いずれ止まった時計の針は動き出すのだろう。たった一箇所歯車が欠ければ、綻びは次々に広がっていく。
現人神と、救世の英雄。それらによって、歴史は止まった。
だが、一度でも時計の針が進んでしまえば……止まった歴史は再び動き出し、正しく終着点へと向かう。
止められた大厄災は溢れ出し、時代は滅びへ逆行するのだ。
其は、かつてルールに縛られたモノ。
この時代を動かすきっかけとなる、始まりの契約。
因縁を持ってしまったそれが、己の渇望が限界に来たそれが、もしも倒されてしまったのなら、きっと……
「ようやく時代が動きます。貴方が望んだように」
暴走した暴禍の獣が、見境なくすべてを喰らい尽くそうとしていた頃。他に誰もいない森の中で、白い旅装束の吟遊詩人は1人詠う。
『唯一のプレイヤーはここに
誰に望まれることもなく、かすかな幸運へ己が希望を託すのだ
時計の針は、きっと動き出す
止まった世界は息を吹き返し、物語は加速することだろう
一度動いてしまったのなら もはや誰にも止められない
世界に蔓延る疫災は猛り、不和は興隆し、いずれは維持も、崩れ逝く
すべてが終わり、すべてが始まる
しからばここは、死滅の国
君と私の、物語の終着点』
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「おいおい、戦いはこっからだぜ〜?
最高戦力はまだ揃ってなかったんだからな〜」
「っ……!!」
クロウがいきなり声がした方向へ振り返ると、そこには今まで眠っていたはずの面々がいた。
炎の翼を生やすライアン、純白の翼を生やすケルヌンノス、風で飛んでいるククル、彼に浮かべてもらっているオスカーとクラローテ。神としての格を持つ者達や、超人と呼ばれる規格外の面々だ。
味方がほぼ全滅し、顔に薄っすらと絶望の色を滲ませていたクロウは、頼もしすぎる援軍にパッと表情を輝かせている。
「ライアン! ククルにケルヌンノス、オスカーも!
あと……争奪戦にも出てた、たしかアストランの」
「災いの気配をキャットして、またまた登場お姉さん!
獣人クラローテだぴょん。いざ、フライングキャーッツ!!」
「フラ……なに?」
「ここに集いし精鋭4人、狩人たらんとする者から前に出よ!
強大なる獅子は王者として、鷹のように勇ましく空より舞い降りるがいい! 今こそ、我らの名を知らしめる時!!」
「いや、我らってなんだよ……まぁ、行くけどよ」
風に浮かべてもらっているくせに、クラローテは無茶苦茶な言動を繰り返す。なぜか一括りにして発破をかけられた4人は、戸惑いながらも地上に向かっていった。
目標は当然、すべてを飲み込む海と化しているベヒモスだ。
ククルは風で触手などの壁を貫き、ケルヌンノスとライアンは獣の力を使って削り取り、オスカーは単純な身体能力だけで表面を吹き飛ばしている。
しかし、彼らを連れてきた立役者であり、発破までかけていたクラローテだけは、一向に動かない。
風で浮かべてもらえなくなったのに、借り受けた太陽の熱や蹴りの力で浮かんでいるようだ。
その様子を見たクロウは眉をひそめ、表情の薄いヘズすらも心なしかうるさそうに耳を押さえていた。
「えっと、あんたは戦わないのか……?」
「あたしは危機に駆け付けたファイティングキャーット!
もちろん戦うよ。けど、その前にやることがあるのじゃ」
「そ、そっすか……」
「君、その風は新しく得たばかりの呪いだね?」
「……!!」
さらに困惑を深めたクロウだったが、直後に放たれた言葉を聞いて思わず固まる。新しく得た呪い。
幸運に届く風とはまさしく、彼がついさっきリューから継承したものである。
それを、このふざけた言動の獣人は見抜いていた。
まだ飛んでいるだけでほとんど力を見せていないのに、彼女は今までこの場にはいなかったのに、それを一瞬で見抜いてみせた。
これは間違いなく異常で、あまりにも観察力や感知力が高いと言えるだろう。驚くのも無理はなく、また彼女を見直すには十分だ。
彼は数秒固まってから表情を改めると、真正面から向き合うように彼女に返事をする。
「何でわかったのか不思議だけど、まぁそうだ。
やることってのは、それの確認か?」
「もちろん確認だけじゃにゃい! 獣とは、爪牙を使うものに非ず! 爪牙が自らの一部であるものなり!」
「……はぁ」
「君はその風を使っちゃいけない。風と1つになるんだよ。
魔人や聖人の継承は、同じ心を……想いを持っていることで行われる。その風は既に反転している。守りたいという想いは変わらず、それ以上に恨んでいる。であれば、君は恨むべきなんだ。碧眼を閉じろ。負の感情を忘れるな。
自制して支配するのではなく、受け入れて共生しろ。
君は幸せを呼ぶ青い鳥。君は風となり飛ぶ小鳥」
やたら動き回って言葉を紡ぐクラローテは、やがてクロウの目の前で止まると、胸を鷲掴みにするようにして言い聞かせ始めた。
爪を立てられた少年の心臓は、ドクンドクンと脈打つ。
言われた通り、右の碧眼は閉じられているが……それに抗うように、瞼の隙間からは青いオーラが迸っていた。
それでも、普段よりは断然抑制されたオーラは、さっきまで全身を包んでいたのが嘘のように薄れていく。
比例して表情も険しくなっているものの、危険はない。
青いオーラが場所を譲った隙間には、黒々とした風が渦巻き空白が埋められている。左の琥珀色の目からはまだ涙が流れていたが、風に吹かれてキラキラと霧散していた。
「恐れることなかれ、人の子よ! いざ、獣狩りへ!
ウィーアー、ブレイブキャーッツ!!」
「俺は、あいつを……!!」
凶暴な光を宿した瞳は、強い感情を宿して渦巻く。
背中には力強く優美な風の翼。
全身も鱗状の風で薄っすら鎧のように包まれ、運のみで立ち向かう勇敢な小鳥は、まさに風そのものとなっていた。
"モードブレイブバード:ウインドマン"
「許さない!!」
右の碧眼が開かれ、再び青いオーラは全身を包む。
別々のものだった幸運と強風は、すっかりクロウの体自体に重ね合わされて世界を揺るがしていた。