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化心  作者: 榛原朔
三章 審判の国
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376-風は絶え

視界がちらつく。赤い色が瞬く。

もう前を見ていられないし、体を起こしているのも億劫だ。


……頭が、痛い。割れそうなどころか、もうとっくに割れているような気さえする。ただ試合を観ていただけだったのに、暴禍の獣(ベヒモス)が現れただけなのに。

俺はどうかしちまったのか?


ローズに支えてもらわなきゃ、身を守るどころかここにいることすら難しい。何度も拭われているから、きっとまた涙を流しているのに、その反応でしかわからない。


俺はもう、何もわからない。

目の前で繰り広げられているのは、戦闘のはずだ。

円卓の2人が死んで、もう1人が荒々しい青年と一緒に搬送されてきて、でも女王が消耗してて回復できていない。


その損害を埋めるために、ヴィニー達が加わっている。

俺は意識を保つだけでも精一杯なのに、みんなはあの大厄災を滅ぼすために頑張っていた。


頭が痛い。視界が粉々になっている。

チカチカ光って、赤色が煌めく。

俺がしないといけなかったことで、俺がしたいと思っていたらしいことなのに……俺だけが、こんな状態で。


隣りにいる少女に支えられながら、おれは前を見た。

真っ赤に染まった闘技場の中で、執事や騎士っぽい人達が剣を握って飛び回っている。


蛇みたいな線が地上で蠢き、空中で飛び回り、彼らを追って食べようとしている。脈絡もなく現れている禍々しい球体が、人でも地面でも気にせず食べてしまう。


腹の音が鳴り響き、連動するように地面が壊れて下から炎が吹き出す。そこは間違いなく、戦場だった。

だけど、おかしいな。視界がチカチカと揺れ、ひび割れているからか、違うものが見えている。


倒れているおじさん、おばさん。

どこかで会ったことがあるようなお兄さん、お姉さん。

倒壊する家。ひっくり返された畑。


ここは戦場だから家なんてなく、なぜか水が飲み込んでいて死体もない。でも、おれの目には真っ赤な血の色が染み付いていて。あまりにも多い赤は、死体の幻覚を見せてくる。


走り回っているあの人達は、誰だっけ?

隣で支えてくれている女の子は、誰だっけ?


あぁ……頭が痛い。視界が真っ赤で、ひび割れたみたいだ。

吐き気がする。拭われる液体は涙?

何もわからない。おれには何も、わからない。


ここはどこ? あの自然災害みたいな獣は、何?

何もわからない。ただ、理由もなくひたすら怖い。

ぼくがいなければよかったのに。もう、早く死にたい。


「あの暴禍の獣(ベヒモス)のことだけじゃなくて、私やみんなのことも忘れちゃったの、クロウ……!?」


隣で支えてくれていた女の子が、肩を強く掴んできた。

あの怖い獣はわからないけど、この子はぼくのことを知っているみたいだ。


ほとんど強制的に向き合うことになり、女の子が辛いことを我慢しているような、何かを取り戻そうとしているような、必死な表情をしているのが見える。


頭がいたい。視界がちらついていて、彼女の顔も時々歪む。

瞬く赤色は闘技場の血ではなかったのか、今も細かに世界に悲しみをぶちまけていた。


「私の名前はローズマリー・リー・フォード!!

あなたの家族!! 下で戦ってるのも、大切な家族や仲間達!!

どうしてこんなことになっちゃったの……!?

暴禍の獣(ベヒモス)と本気で争っちゃダメだったの……!?」


頭痛に耐えながら、ぼんやり女の子を見ていると、妙に鋭い目をした猫もその頭上で厳しい表情をしているのが見えた。


どうやら記憶がおかしくなっているみたいだけど、ごめんなさい。今は、頭痛を耐えるだけで精一杯なんだ。

こうして支えられてないと、立つどころか座っていることもできないし。


「ごめん、ローズちゃん。あたしは元々、精神的な部分ってあんまり得意じゃなくって……何かを現実にする、みたいなことだったら多分何でもできるんだけど、人格とか記憶とか、目に見えない部分は全知……お兄ちゃんの領分で……」

「ううん、それでなくてもエリーは消耗してるし、お兄さんも亡くなっちゃって……気力が削られてるでしょ?

気にしないで、大丈夫だよ……」


女の子は何処かから聞こえてきた声と話しているけど、頭が痛いから相手の姿は確認できない。声でその子も女の子だとわかるくらいだ。


ぼくはただ痛みに耐え続け、ふと気づいたら女の子――ローズマリーさんに抱きしめられていた。

まったく覚えていないけど……いや、あんまり覚えてはいないけど、家族みたいだし警戒しなくてもいいかな。


なんとなく、安心感はあるし……今はこの痛みを我慢するだけで精一杯だから。その後も何か話しているけれど、もう気にする余裕もない。オロオロし始めた猫にペシペシ頭を撫でられながら、崩れていく視界に身を任せる。


もう、闘技場や真っ赤に染まった地面を見てもいないのに、どこかに倒れている人の姿が見える気がする。

多分、幻覚。それか、ほとんど気絶している状態で、夢でも見ているのかもしれない。


どっちにしても、もうろくに現実を見ていられないことには変わりはないのかな。段々と、意識が泥沼に引きずり込まれているような……ガンガン響く頭が、また違う世界のことのようだ。


「おい、ローズ!! そいつどうしたんだ!?」


突然強い風の音が聞こえ、同時に誰かが怒鳴っているような声が聞こえてきた。

崩れていく視界を無理やり開くと、手すりのところに立って触手の波を防いでいるのは、大剣を手にした男の子だ。


ローズマリーさんも茨を操っている様子だけど、触手は壁なんか簡単に食い破ってくる。防御じゃなくて、攻撃じゃないと無駄みたい。そのギリギリの間に、彼は凄まじい強風を吹き荒らしながら割り込んできたようだった。


しかも、竜みたいな鱗が生えている……?

もしかしたら、普通の人ではないのかも。


……いや、違う。普通の人だった。おれは、彼を知っている。

ローズマリーと同じで、俺を守るために動いている彼のことを、俺はちゃんと知っているはずだ。


「チッ……!! お前も記憶弄られてんのか?

どこのどいつか知らねぇが、胸糞悪ぃ。

けど、今はそんなこと言ってる場合じゃ、ねぇなぁ!!」

「ごめん、私はこの子を運んで避難する!

もう大丈夫だから、リューもすぐ逃げて!」


今度は防ぐだけの壁ではなく、触手を断ち切る刃物ように茨を操りながら、ローズは俺を運び出す。

手を握ったまま、茨で体を持ち上げて。


避難する準備はできていた。エリザベス達は最初から担がれていたから、もうとっくに避難を始めている。

なのに、リューは逃げようとしない。


壁無しでフーが逃げ切れなかったところを見ているからか、妹で肝を冷やした分を埋めるかのように全力で強風を纏っていく。


「茨で運ぶスピードなんざ高が知れてる。

目の前で殺させる訳ねぇだろ、バカが。

俺は、故郷を滅ぼした魔獣が嫌いだ。でもそれ以上に……

俺はもう、何も守れずに失いたくねぇんだよ!!」


"野生解放(リベラシオン)-竜人化"


魔人に見えたのに、実は聖人だったリュー。

その割に振り回してばっかりで、ミョル=ヴィドを旅している間に本当に魔人に変わっていたリュー。


彼は叫ぶと同時に全身の鱗をさらに増し、鬼人と変わらないくらいに竜そのもののような姿に……竜人になっていた。

俺が壊れちまってるばっかりに、俺が足手まといなばっかりに……!! 


「リュー、俺は……」

「前も言ったな、クロウ!! 何かを得たのなら、そこには必ず当人の意思がある!! その意志を持つには何かきっかけ……過去があるってよ!! 獣を恨んだ俺も、俺ら兄妹を弄った科学者共を恨んだ俺も。始まりはただ、妹を守りたいだけの男だった!! 俺は……ちゃんと家族を守りたかったんだ……!!」


いつの間にか黒っぽいオーラが見えていた風は、ここに来て再び白っぽいオーラに変わる。魔人に反転していた神秘は、変化の是非はどうあれ、今は守るために迸っていた。


俺だってあいつのことを大切に思っているのに、あいつ含めみんなを守りたいと思っているのに。

リューは明らかに自分を犠牲にしようとしていた。


手を伸ばしても、決して彼には届かない。

茨に包まれたまま、段々とマシになってきた頭痛のせいで、この状況をはっきりと脳に刻みつけられる。


"ドラゴンランペイジ"


竜人と化した彼を守るように、強風が竜の巣のように渦巻いていく。それは壁であり、触手を引き裂く攻撃でもあった。


バチバチと雷すら感じさせながら渦巻き続け、迫りくる触手や捕食空間、そのすべてを防いでいる。

だが、世界へと手を伸ばす飢餓には勝てない。


あの大厄災には、決して勝てないのだ……

やがて竜の嵐は喰い破られ、リューの体に次々と喰らいついていく。胴体にも深く突き刺さっており、確認するまでもなく致命傷だった。


それでも、リューは鱗を軋ませながら嵐を迸らせる。

この食事を、止めるために。


「落ちろ、獣……渦巻け、竜嵐……あの神の、螺旋のように。

吹っ飛べぇぇぇッ……!!」


コロシアムを包み込んだ嵐は、そこら中に手を伸ばしていた触手を引き剥がし、引き裂いていく。


リューに喰らいついたものは、あいつが元凶だとわかっているのか中々離れず、むしろ追加で喰らいついていくが……

世界に伸びた食事は消し飛び、辺り一帯は竜人の嵐によって押し潰された。


「っ……!! リュー……」


暴禍の獣(ベヒモス)の食事を制圧したリューは、風を地上に叩きつけた勢いで吹き飛び、高い所に避難していた俺の目の前に落ちてくる。


大剣はばっくり削り喰われ、腕もない。

足は途中までしか喰われていなくて、まだ無事だと言えるが……肝心の胴体は、心臓部までくり抜かれ喰われていた。


首も今にも千切れそうだし、顔も……半分ない。

全快のエリザベスのような、回復が得意な神秘じゃなければ助けられない状態だ。


神秘には寿命がない。おまけに普通の人よりも遥かに丈夫で、そう簡単に死ぬこともない。


だけど……殺されれば、死ぬ。首を切られたり、体のほとんどがなくなったり、心臓を潰されたり。

徹底的に生命維持に必要な部分を終わらせれば、即死しなくても直に死んでしまう。


今のエリザベスに、これを治すだけの余力が残ってない以上、リューは……


「お前が、その呪いを得た、理由は……なんだろうな?

俺にも、わかんねぇけど……少なくとも、お前も……家族を守りたいって、思ってんだろ? クロウ……」


俺が何も言えずに彼を見つめていると、リューは口から血を溢れさせながら言葉を紡ぐ。


俺は他のみんなとは違って、自分が魔人に成った自覚すらなかった。さっきも記憶に異常があったように、成った理由も覚えちゃいない。けど、今俺にあるのは間違いなく彼と同じ気持ちだ。


元々、俺は村に誰もいなくて孤独だから旅に出たんだから。

暴禍の獣(ベヒモス)のようなのがいると知って、生き残るために強くなりたいと思ったけど……


ずっと一緒にいる、みんなは家族だ。生き残りたい以上に、俺はみんなを守りたい。守りたいに、決まってる。


「当たり前、だろ……俺は、お前だって……守りたかったんだ」

「……今まで、ごめんな。ファナって科学者やプセウドスって神父に、人格を弄られてて……今でも、どういう俺が本当の俺なのか、わかんねぇんだ……」

「……」

「結構迷惑かけたけど……頼んで良いことじゃ、ねぇのかもしれねぇけど……俺がいなくなっちまうから、頼まねぇ訳にも、いかねぇんだ。妹を……フー、頼むわぁ」

「ッ……!!」

「赤ん坊の時は、何もできずにみんな殺されちまったけど……

俺、最後はみんなを……お前らを守れて、よかったよ」


リューの目から光が消え、声が消えた。

俺もローズも黙り込んだことで、地上で既に戦い始めている音が聞こえてくる。


それほどに、静かで……リューの死は確かなものだった。

旅に出て、せっかく、家族ができたと思ったのに……

また俺の周りで、人が死んだ。


けど、そのショックのせいか、頭痛は完全に治まっている。

ちゃんと俺は、リューの意志を刻み込むことができている。


せめて俺は、あいつに報いよう。

フーを守って、家族を守って、俺自身も生き残る。

あぁ、こんな時でも涙が流れている感覚がない。


覚悟を決めたのに、視界が揺れていた。

段々と暗く、どこか夢境にでもいるかのような浮遊感だ。

意識が……落ち、る。



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