370-死者は語らう
「ここは……」
ゆっくりと瞼を開いたフェイは、見覚えのない草原のただ中に立って困惑した様子でつぶやく。
周囲に敵の姿はない。さっきまでは突如として現れた暴禍の獣が暴れまわっていたはずなのに、彼自身もあれに喰われていたはずなのに。
あの獣に堕ちた男どころか、共に立ち向かっていた守護者達やその遺体、コロシアムの壁や水の結界すらなかった。
つまりは当然、彼が必死に守っていたエリザベスやクロウ、円卓の騎士達も1人もいないということで……
ここはカムランではなく、見覚えがない以上アヴァロンの中ですらないということだ。
現在地もどうやって来たのかも、まるきりすべてが不明。
唯一わかるのは、ここに危険はないということ。
全知のだった少年は、それだけ理解すると再び目を閉じて天を仰ぐ。
直前まで地獄の中にいたとは、死にかけていたとは思えないような穏やかな空気。頬を撫でる風に、彼はぼんやりと身を任せている。
周囲にあるのは広々とした草原と、果てしなく澄み渡った空だ。少し眺めただけでわかるくらいに、ここには恵みが溢れている。
目を閉じていても、その世界は変わらない。鼻には甘い香りや温かな香りが、これでもかという程詰め込まれていく。
有り余るくらいの、恵み……つまりはここは、恵みの国。
ローズの故郷であり、既に滅びたクロウの村もあった国でもあるフラーだった。
「……僕は、君の招待を受けたと思って良いのかな?」
しばらく爽やかな風を感じた後、少年は瞑目したまま誰かに声をかける。目を開けると、視界に飛び込んできたのは草原には明らかに場違いなテーブルだ。
もちろん、庭にテーブルを置いたりすること自体は別におかしくないのだが……ここは果てしなく広がる草原である。
そんな中にポツンとあるのは、やはり異質だと言わざるを得ない。
椅子は4つ用意されており、そのうちの1つ……フェイから見て一番奥の席には、優雅に紅茶を飲んでいる人物がいた。
これがドレス姿の美女やスーツ姿の紳士などであれば、それもまだ違和感がないだろう。
しかし、その人物は優雅なティータイムをするような人物には見えないくらい、ボロボロのローブに身を包んでいた。
ポツンと置かれていることに加えて、座る人物の不審さ。
この2つが合わさったことで、より異質な空気を生んでいるのである。
「ハハッ、随分と落ち着いてるじゃねーの。
俺に呼ばれることを予想でもしてたのか?」
「この光景を見れば、まともな世界じゃないことは理解できるからね。クロノスとはもう会ったし、後は君でしょ」
「……」
フードを深く被っているからか、顔がまったく見えないモヤのような姿だが、声的にその人物は男性だ。
クロノスの名前を聞いて黙り込む彼を気にせず、フェイは向かい合うように席につく。
「それで、なぜ僕は呼ばれたのかな?」
「全知なら言うまでもないんじゃないか?」
「ここはアヴァロンじゃない。今の僕はただの少年さ」
「ただの少年なら、もっと取り乱すべきだわな」
「なら、少し理知的な少年かな」
「じゃあ、その理知的な少年はこの状況をどう見る?」
テーブルで向かい合った2人は、紅茶やクッキーなどを楽しみながら歓談を始める。
とはいえ、こんな不思議な場所で顔を合わせるだけあって、やり取りはお互いに探りを入れるような気の抜けないものだ。
交渉のテーブルにでも着いているかのような、このやり取り自体が戦いなんだと言うような。張り詰めた緊張感の中で、彼らは油断のない目で笑い合う。
もっとも、モヤのようなローブの人物は、顔が一切見えないので目もまったく見えていないのだが……
ともかくとして、楽しげなモヤと対峙しているフェイ少年は、微笑みながらも油断なく目を光らせていた。
「君はすべてを見られるはずだ。僕はアヴァロンで起こったことしか知ることができないけれど、君は知るよりも確実に見ることができる。だから、まず間違いなく暴禍の獣との戦いについて聞きたい訳ではない。あってる?」
「そうだな。俺はたしかに聞く必要がない」
「この場には席が4つあるし、他の誰かに聞かせて欲しいってところかな。たしか彼の中には、他にも魂があったね。
誰か知らないけど、この席に座るのはその子だね?」
「ハハッ、その通り。流石だぜ楽園を守る棘様」
モヤが笑うと同時に、フェイの隣の席には1人の少年が現れる。まだ15歳程度に感じられる彼は、ローブの人物と同じでやはり朧気だ。はっきりとしない輪郭のまま、口を開く。
「……僕は、君達ほど多くを知れない。教えて、今の状況を。
彼らが無事に生き残れるのかどうかを」
「いいよ。一応僕がやっていたことから教えてあげる」
少年の要請を受けたフェイは、今までほどすべてを理解できないままで、これまでの話を始める。
様々なきっかけや経験作り、時間稼ぎのために少年を審判の間に落としたが、適当な理由で護衛をつけたこと。
少年を理由に円卓争奪戦を開催し、侵入者もこの国の強者も、全員を一箇所に集めたこと。
試練の間をクリア状態にし、少年の援護をしたこと。
負けを理由に残りの守護者も従えたこと。
アヴァロン、アストラン、ケット・シー、旅人たちで大厄災を迎え撃つ態勢を整えたこと。
彼がしてきた暗躍の内容を知ったことで、わずかに警戒の色が見えていた少年も、最終的に信じることになった。
「こんな感じで、迎え撃つ準備は万端だよ」
「でも、避難誘導とかに向かった人もいたよね?」
「そこも気にすんのかよ? お前、把握してるか?」
「……どうかな。あの時点では全知だったけど、戦いに意識を向けていたからね。自信はない……けど、任せて」
重ねて告げられる少年の要求に、フェイ達はわずかに顔を曇らせた。だが、すぐに表情を改めると、不安などまったく感じさせない態度で言葉を紡ぐ。
「とりあえず、この森に集まった戦力をおさらいしようか。
まず、円卓の騎士……女王のエリザベスを筆頭に、オスカー、ウィリアム、ソン、テオドーラ、アルム、ビアンカ、ラークの8人に加えて、離反したソフィア、シャーロット、ヘンリーにガノの4人。パートナーはそれぞれにいるけど……戦力になる者で言うと、ダグザ、ルー、ヌアザ、ミディール辺りかな。
この中で、避難誘導に向かったのがパートナーの大多数と、ソン、テオドーラ、ラーク、シャーロット、ヘンリー。
戦えるのが、寝ているオスカーを除いた面子……
治っていればエリザベス、ソフィア、ウィリアム、アルム、ビアンカ、ルー、ヌアザ。これに加えて、一応ガノくん。
あと、半分円卓ほとんどドルイドのマーリンもいるし、精霊ヴィヴィアンは無傷だ。総勢10名?」
「勝てるの?」
「慌てないで、他にもいるから。何のための暗躍かって話だよ。処刑王、魔眼王も追加だ。バロールは両腕がないけど……彼の本領は目だからね。期待大だよ。獣神も、本当にマズくなったら起きてくるはず。さらに、もちろん異国の戦士達……彼らは全員参加かな。寝ているライアン、ククル、セタンタと、村長の家にいるアストラン勢は除くけど」
「つまり……」
「ローズ、ヴィンセント、リュー、フー、海音。
キング、クイーン、ヴァイカウンテス、バロン。
クロウ、ロロ、雷閃、ヘズ。総勢13名。これに円卓と審判の間を加えれば、25名。まだ不安がある?」
「……すごい規模の戦いだね。たった1人を相手に」
「君はあの獣の恐ろしさをよく知ってるでしょ?
納得の布陣だと思うけどね。ともかく、避難に割いた面子を除いても、これだけの戦力だ。心配はいらないよ。
僕はあれを殺すために動いてたんだから」
段々と霧に包まれながら、フェイはそう締めくくる。
この場所がどういう場所なのかは未だ不明だが、とりあえず彼の役割は終わったらしい。
彼の体が少しずつ薄れていく中で、モヤの男とモヤの少年は気にせず自分達の会話を続けていた。
「それなら、まだあの子は思い出す必要がないね」
「は? 俺が助けるかどうかだけじゃねぇのかよ。手を出さないのに動かしもしねぇとか、何のための試練だ?」
「僕は、あの子に苦しんでほしくないんだ」
「ふん……仕方ねぇな。それじゃそこは戦うとしようぜ」
夢のように穏やかな草原の世界から、幻のような楽園から、フェイの姿は完全に消え失せる。
盤面整理は完了だ。少年は男の一手を拒絶し、舞台は再び死が渦巻く決戦の地カムランへと戻っていった。