368-楽園を守る棘・前編
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ッ……!! メシィィィッ!!」
突然響き渡った叫び声を受け、俺達は耳を抑えながらそちらに視線を向ける。すると、輝かしい槍が放たれていたはずの場所には、蠢いている暗闇が生まれていた。
あの槍は、円卓の騎士達の力がすべて込められたような代物だったのに。直前までヴォーティガーンがいた場所に現れた黒い球体は、迸るエネルギーを軽々と飲み干してしまう。
それだけに留まらず、闘技場は地面から吹き出す炎によって破壊され、黒い触手に花々や魔術は食べられていく。
……よく思い出せないけど、どこかで見た覚えのある光景だ。
絶対に忘れちゃいけないことだったはずなのに……多分、また忘れてしまった光景だ。頭が、痛い……
「う、ぐ……あいつ、は……?」
「え、大丈夫クロウ?」
「……また、左目からだけ涙出てるが、自覚はねぇのか?」
リューに言われて拭ってみると、たしかに俺の左目からは涙が流れていた。指で触れないと感じ取れない、涙が。
ただでさえ頭が痛いってのに、またこれか。
「そうみたいだ。それより、あいつは?」
「昨日話した、暴禍の獣だよ」
心配そうにしているローズに支えられることで、俺は何とか真っ直ぐ座って闘技場を見つめる。まだはっきりと思い出せないけど、あれが俺達の目標だった魔人らしい。
泥沼から現れたそれは、骨に見えるくらいにガリガリだ。
そんな見た目通りに飢えているようで、触手で周りにあるものをひたすら飲み込んでいた。
中にいるエリザベス達も、結界も、コロシアムに集まっている観客達も。見境なく全てに襲いかかっていく。
雰囲気でしかわからないけど、観覧席にいた円卓の騎士達も触手への対処や避難誘導で手一杯。
俺達も、速く逃げないとヤバいかもな……
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「あなた、は……? あなたが……?」
いきなり現れた暴禍の獣に、星槍を飲み干されたエリザベスは流石にすぐさま対応はできない。
攻撃を放った体勢のまま固まり、目に見えて混乱した様子で疑問を口にしている。
その間も、当然その獣による食事は続いていた。
炎は大地を砕いて食物を生み、触手はのたうち回って瓦礫や花々、ルーンなどを飲み込んでいく。
この場にあるすべてが餌なので、この場にいるすべての者が危険だと言えるだろう。だが、まともに状況把握すらできていないのだから、危険への防御も不可能だ。
それどころか、身構えることすらできていない。
何が起こっているのかわからないまま、マーリンは下半身を食い千切られてしまった。
「……は?」
「マーリン!!」
致命傷を受けた魔術師は落ちていき、女王は切羽詰まった顔で手を伸ばす。しかし、触手は少女の半身だけで満たされることはない。
花びらや岩などとは違って、ようやくまともな食物――人肉を喰らうことができたとしても、まだ足りない。
すべてを飲み込む引力を発生させながら、触手を四方八方へ伸ばしていた。
空間を埋め尽くす程の触手は、仲間を助けるどころか避ける隙すら与えず、その手を消してしまう。
「っ……!! この一瞬で、食べられたの!?」
「エ、リー……」
視線が自身の右腕に引き寄せられたことで、さらに触手へと向けられる意識は減る。警戒は最高潮だとしても、優先順位がダメージに上書きされたのだ。
まともな防御も回避もできず、エリザベスはさらに胴体と足を片方吹き飛ばされた。
「ぐっ……!!」
"Z."
辛うじてルーン魔術で結界を張るが、この状態で張ったものにそこまでの強度はない。マーリンもエリザベスも、バリバリと食われていく透明な壁を、絶望の表情で見つめていた。
"天叢雲剣-神逐"
その間に入っていくのは、彼女達と同じく結界内にいた最後の1人――天坂海音だ。彼女も体の端々を食われているのだが、流石の耐久力を見せている。
巧みな動きで致命傷を避けながら割り込むと、天で斬る斬撃を放って、周りの空気を巻き込んで触手を捩じ切っていた。
「くひゅっ……!! か、海音さん、ありがとう」
「いえ、まだ助かった訳でもありませんから」
食事を一度防いでみせた海音は、そのまま水を纏って伸びた刀の峰で2人を背後に飛ばす。当たり前のように触手は復活し、またも暴雨のように押し寄せてくるが、壁際まで逃げた状態ならば耐えきることは不可能ではない。
自身のみが前面に立ち、体を斜に構えながら刀を振るうことで、迫る触手をすべて叩き斬っていく。
"紫藤門"
とはいえ、触手は無数で刀は一本。間違いなく圧倒的に不利な状態ではあるので、海音はジワジワと体の端々を食われていく。泡のように綺麗な和服は赤く染まり、より鮮烈な泡沫と化していた。
エリザベス達も彼女に回復のルーンをかけているが、自身も満身創痍であるため効果は薄い。特にマーリンは、今にも死にそうなざらついた息を漏らしている。
半身を食われた魔術師に、手足を失った女王。
絶え間なく血を流している侍と、闘技場の一角には濃厚な血の香りが立ち昇り続けて獣の食欲を誘う。
下にいるのはたった3人で、上の観覧席にはもっと大勢の人々がいるというのに、主な標的は間違いなく彼女達だ。
全方位に伸びる触手の大部分が下に引き寄せられていることで、上の観客はまだ被害少なく避難ができていた。
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突如として現れた暴禍の獣とそれの作り出した地獄により、観覧席はパニックに包まれる。
それこそ、より危険な状況にいるのはエリザベス達なのに、円卓の騎士達が触手の対処と避難誘導で手一杯になり、救助にいけないくらいに。
この事態には、反逆者サイドに立ったソフィア達ですら騎士として動いていた。唯一の救いは、フェイが密かに出していた指示によって、一般客が前日よりも減っていただったことだが……
人々がパニックに陥っていることで、大変さは変わりない。
コケる人、触手に襲われている人、逃げる場所を見つけられない人など、様々な人々を騎士達は守っていた。
「落ち着いて、皆さん落ち着いてください! ここには円卓の騎士が揃っています! 身の安全は保障します!」
「その通りです。意見が合わずに離反していた私達も、国の安全のために戻ってきました。心配はありません」
主に指揮を執るのは、最高の騎士であるウィリアムと、最優の騎士であるソフィアだ。
寝ているオスカーの元に危なっかしいビアンカを配置して、残りの面子を動かしていく。
「愚かしく揉めずに影に入れ。道を理解できるのであれば、己らは安全な場所へと辿り着けるだろう」
「へへ、理路整然と歩けば迷いませんぜ。
小生がカムランの外に繋げますよーっと」
「落ち着いて進んでねだってさ!
あたし達が守ってるから、心配せずに順番守ってねーっ」
「森がざわめくと泉の音色は隠れてしまう。
耳を澄ませろ。指針となる星は、空に輝いている」
「はーい、皆さんこちらの籠に乗ってください!
ぼく達がチャリオットで運びます」
「暴れなければ、速やかに運べますからね。
脱出手段も、私達の戦車以外にありますからー」
出入り口から出るというのが、誰にでも思いつける最も確実な方法だ。しかし、ここに集うのは円卓の騎士なのだから、他の手段も豊富である。
例えば、ラークのパートナーであるミディールの影。
例えば、ヘンリーと彼のパートナーであるアリアンロッドのチャリオットや、ソンが編み上げた籠。
そうでなくても、騎士達のパートナー達は皆馬の神獣だ。
バロールが殺したコロシアムの壁から、人々を乗せて逃がすこともできていた。
防御、避難誘導を分担しながら行う彼らは、やがて観客全員を逃がす目処が立ったことで、闘技場内に視線を向ける。
まさに助けに行こうとした、その瞬間……
"ファタ・モルガーナ"
コロシアムの上空から、濃密な霧が湧き上がってきた。
巨大な雲のようなそれは、真っ直ぐに闘技場へ。
女王達の救助にも手を伸ばそうとする騎士達を静止しながら、降りていく。
「ソフィア卿、ウィリアム卿。あの獣は僕達に任せて。
まだ逃がすべき人々はいるだろう?」
「フェイ様!」
「わかりました。万全の討伐態勢を整えるためにも、あなた方に任せましょう。楽園を守る棘様と、守護者達」
空から伸びてきた霧は、観覧席の一部にも手を伸ばしてから闘技場に降り立った。すっかり霧が晴れた頃。
エリザベス達を守るようにそこに立っていたのは、彼女の兄であるフェイと、7人の守護者達だった。