364-フェイの暗躍
さて、再び時は遡る。
例によって、これは円卓の席次争奪戦を開幕する2日前。
まだ、ライアン達が13の試合に備えている段階で、クロウ達が地下の審判の間から脱出しようと動き始めていた頃。
処刑王、魔眼王、強欲と憤怒の守護者を円卓サイドに引き込み、傲慢の間も含めた3つの試練をクリア済みにして回っていたフェイは、地上近くの枝から再び審判の間に。
自由落下しながら霧に飲まれ、目的地へと消えていく。
禁域に似つかわしくない小さな体は、溶けるように見えなくなる。
たまたま見かけ、直前まで目を合わせていたククルからも、もうその姿は見えず、どこにいるかは感知できない。
嫉妬、色欲、怠惰、暴食の間を霧となって進み、普通なら誰も近寄らない奥地へと向かっていた。
その場所は、地上に広がるミョル=ヴィドで言うところの首都――キャメロットに当たる地域。地下に広がる審判の間でも、同じく王が住まう黒き終末の大地。
一度、クロウ達がガノやアーハンカールと共に迷い込んだ、厄災の黒竜――ヴォーティガーンが鎮座するエリアだ。
とはいえ、実際にクロウ達が逃げ出せているのだから、もちろん訪れた瞬間に死ぬということはない。
数週間前は勝手にやって来たことで彼ら罪人と戦っていたが、今はもう定位置から動いてもいなかった。
ある意味、この審判の間の守護者であり、支配者でもあると言える黒竜は、変わらずそこで横になっている。
ただし、彼は存在するだけで世界を揺るがす別次元の生命体だ。霧と共にフェイがやって来ると、呼吸や瞬きだけで世界を震わせながら、その深紅の双眸で彼を射抜く。
「……」
「やぁ、ヴォーティガーン。久しぶりだね」
植物など生えていない。動物など入っては来ない。
審判の間の中でも、特に異質な暗闇のみが支配しているこの場所で、フェイは厄災の具現に軽い調子で話しかける。
無言で瞳の赤を輝かせる様は、ただ見られているだけでも、近くにいるというだけでも心臓が止まりそうな程の圧だったが、まったく気にしていないようだ。
その精神力や存在の格を認めたのか、しばらく無言で睨んでいた黒竜は、やがてわずかに身動ぎすると目を閉じた。
恐ろしい口から紡ぎ出されるのは、ボソボソとしていながら妙に響いてはっきり聞こえる声だ。
「……何か用か、リー・ファシアス」
「あはは、用って程でもないけどね。
少し聞きたいことがあるのと、試しにお願いをしに来たよ」
「……」
爽やかに笑っている少年の声を聞いても、ヴォーティガーンは動かない。この数千年間、そもそも役割のないこの場所で、基本的に誰も来ず、何もせずにただ在り続けた終焉は、瞑目したままで質問を肯定していた。
厄災の黒竜、世界の敵、最悪の魔獣、人類を滅ぼしかけた獣の具現、かつての大厄災と同等なるモノ、終末装置。
様々な恐ろしい呼び名があるのに、その割には穏やかで大人しい反応だ。
その様子を見たフェイも、軽く肩をすくめてから言葉を紡ぎ出す。
「ふぅ……ほんと、空っぽの器みたいだね。その沈黙は肯定と見做させてもらうよ。それで、早速本題なんだけど……
君はどういう立ち位置なんだろう? かつての戦争の敗者であり、現在は審判の間に幽閉されている禁域の管理者。
たまに現れる彼と仲がいいことは知っている。
君の役割は、この森で何かを為すことではないのかな?」
「……さてな。我々にとっては、もはやどうでもいいことだ。
わかっていることを、わざわざ口に出す趣味もない……」
「時が来れば、自ずと呼び出されると」
「……」
「かつての救世の英雄は、現人神にルールを求めた。
獣の大厄災を鎮めた後の世で、それに匹敵する格を持った人の大厄災である4人を縛り、この星を守るためのルールを。
だけど、あれは万が一にも備えてもいたはずだ。
火種は絶やさず、最悪の可能性を見据えていた。
僕は君がそれだと理解しているが、今ではないんだね?」
「……我々は、ただ存在していれば良い。
両性具有の女や飢餓を司る獣、自己犠牲の権化、願いを守り続ける夢。あの4つが残る限り、その時は来ないのだから」
「残念ながら、その時は来るみたいだけどね」
「……」
言葉通り、本当に周りのことには興味がないらしく、黒竜は会話の多くを沈黙でやり過ごす。役割を果たさないとならなくなる可能性を示唆されても、反応は変わらなかった。
ただ存在していれば良い。その言葉通り、横たわり続ける。
「まぁ、この国に関係ないのなら別にいいかな。クロノス達はその4つを崩したい、もしくは崩されそうになっても止めに入らないみたいだけど……僕も、維持ばかりが良いとも思わないからね。クロウくんという可能性が現れたのなら、たとえ彼の思惑通りだったとしても乗ろうじゃないか。
秩序の維持は大事だけど、伸ばせば届く未来を否定してまで巨悪を黙認する道理もない。たとえ、円卓が崩壊することになったとしても……今が決断の時だ。
僕達は、箱庭の中の操り人形なんかじゃあない。
彼ではなく、僕達がこの世界を守るために……立ち上がろう」
ヴォーティガーンの立ち位置やただ在り続ければいいという意思を確認したフェイは、力強く微笑み言葉を紡ぐ。
時空の旅人が刻んだ詩を聞き、維持を捨てた。
厄災の黒竜に刻まれた意味を聞き、迷いを捨てた。
瞳には覚悟に満ち溢れた光が宿り、小さな体からはその熱意を体現したかのような霧が漏れ出している。
しかも、その確固たる意志がもたらす影響は、彼自身のみに留まらない。
鬱屈としていたこの場には、生命力が溢れ出す。
動物どころか植物も生えていないはずなのに、周囲に輝かしい植物が生えている程だ。
「そうそう、最後にもう1つ。ルキウス達と同じように、君も解放しようか? ぜひ、円卓争奪戦に参戦してよ」
「……興味がない」
ふと思い出したかのように問いかけてくるフェイに対して、ヴォーティガーンは迷う素振りも見せずに断ってしまう。
取り付く島もない。一貫してこの世の全てに無関心だった。
だが、覚悟を決めた少年も、本当に今思い出したから聞いてみたという訳では無いようだ。他の守護者と同じく、確実に彼を引っ張り出そうと言葉を続ける。
「あはは、これは提案というよりお願いだよ。さっき言ったでしょ? 聞きたいことと、お願いがあるって」
「……好きにすると良い。我々は疲れた。
余計なことを考えたくはないのだ」
「じゃー決まりだね。反逆者側の助っ人として、君を解放するとしよう。彼との縁、利用させてもらうよ。
暴禍の獣は確実に討伐する。維持を、打ち破るために!」
厄災の黒竜――ヴォーティガーンは、他の守護者と同じく円卓争奪戦への参戦を受け入れる。とはいえ、その立場は他とは真逆だ。
クロウも、反逆者サイドを率いているライアンや海音も。
女王であるエリザベスも、円卓サイドの騎士達も。
同じように引っ張り出された獣神や、守護者達も。
誰一人として預かり知らぬことではあるが、たしかに。
世界の敵は今、幸運の味方として表舞台に解き放たれた。