347-第九試合、序列4位
「魔眼、限定解除。対象、および世界の焼却を開始する」
クリフ達と対峙した魔眼王バロールは、額と左目を隠す眼帯を外すことなく、右目のみを輝かせる。
その眼球にはチラチラと炎が煌めき、視線の先にある物すらもメラメラと燃えていた。
"バロルの単眼"
見るだけで効力を及ぼす、烈火の魔眼。
それはいくら丈夫でも関係なく、目の前の一切を焼き払ってしまうことだろう。たとえ獣の如き身体能力を持ち、大自然の力をその身に宿しているとしても。
だが、今まさにその手にかかろうとしていた獣人達は、まるで意に介すことはない。周囲の空気、足元の床、自分自身。
一瞬で炎は全身にまとわりつくが、慌てるどころか呑気に会話をし始める。
「話には聞いてるぜ。1つ目は世界を燃やし、2つ目はすべてを石っころに変えて殺す。最後の3つ目は死そのもの。
見られただけで即死するってな」
「しかし我らはフライングキャーッツ!!」
「違う、アストランの民!!」
「幾度も滅びを乗り越えた、とっても強いわんこだにゃん」
「犬か猫かハッキリしろよ!! 前半はぁ、合ってるけども」
「いざ、激戦の時だ。それとも死闘をお望みか?」
「どっちも同じだ馬鹿!!」
「じゃれ合うトカゲは大災害の前触れ!
トラ・トラ・トラ。あたしはお腹が空いたぞー」
「すべてにおいて脈絡がねぇな、お前のセリフは!?
奇襲はむしろ受けてる側だしよ!!」
本気で言っているのか、普通にボケているのか。
クラローテの思惑はともかく、事実として彼らは意味不明なやり取りを繰り広げる。
どれだけ炎が燃え上がっていてもお構いなしだ。
恐ろしくズレた漫才じみた会話は続き、そうこうしている間に、すっかり2人共火だるまになってしまっていた。
「……なぁんて」
彼らはいつまで経っても燃え続けており、この炎に対処する術など持っていないかに思われた。
しかし、明らかに余裕を見せていただけあって、やはり無策でお喋りをしていた訳では無かったらしい。
完全に炎に包まれたクリフはポツリと呟き、ぐらりと深めに体を屈める。次の瞬間、その背中には雄々しい翼が生えてきており、炎獄に囚われない自由を与えていた。
"野生解放-グリフォン"
もちろん、変化があったのはクリフだけではなく、隣に立つクラローテにもだ。彼よりもシルエットの変化は少ないが、頭部には確かな角が生え、動きが機敏になっている。
"野生解放-ジャッカロープ"
とはいえ、相変わらず彼らは炎に包まれているためどのような状態なのかは見通せない。一つ確かなことは、身体能力が上がったことと、ライアンのように半分獣に近い姿になっているであろうこと。
つまり野生の本能を解き放ったことで、全身には獣と同じく豊かな体毛が生えて燃えやすくなっているはずなのだが……
身体能力が上がったことにより、その負債を置き去りにしてバロールに接近していく。
「……!!」
その攻撃はまさに奇襲。燃えている輝きで目立つはずなのに、彼らは一瞬で敵を通り過ぎて一撃を加えていた。
だが、まともに食らっているのかと言えばそれは違う。
武器を持たないバロールは、素手で複数の奇襲をすべて受け切って仁王立ちしている。その内訳、腕で太陽の槍を防がれたクリフ、肩に一撃を与えられたクラローテ。そして……
「どぉうわぁ!? 何だあんたら、どっから出てきた!?」
纏わりつく炎を脱ぎつつ着地すると、クリフは全身を覆っている美しい太陽の鎧をなびかせながら驚きの声を上げる。
視線の先にいるのは、咳き込みながらも雷を纏った一閃を胴体に食らわせていた侍――雷閃と、笑顔で放った拳を弾かれている花冠の少年――アーハンカールだ。
クラローテはまったく気にしていないが、突如としてこの場に現れた強者に、彼は度肝を抜かれているようだった。
しかし、当然乱入してきた者たちが驚いたり気にしたりすることはない。
素知らぬ顔でクリフと共に立ち、その叫び声にものんびりとした反応を見せている。
「チャーオー。おれはアーハンカール。
少なくとも、君達の敵ではない獣だよ」
「こんにちは〜。僕は嵯峨雷閃。君達が助けに来たクロウ君の友達で、一緒に審判の間を脱出してきた仲間さ」
「曖昧な言い方……かと思ったらちゃんとハッキリしてんな。
ガキはよくわからんが、あんたの仲間なら味方でいいか?」
乱入はいきなりで、クリフは大いに驚かされた。
とはいえ、2人は見間違いようもなくバロールに攻撃していたし、雷閃はちゃんと相方の分まで取りなしている。
彼の目から見ても、少なくともこの場では味方であることは明らかだ。雷閃が取りなした甲斐もあって、ツッコミつつも冷静に確認を取っていく。
だが、相手はあのルキウスと同レベルの獣で、傲慢である。
格上すら餌とみなすのに、まともに話せる訳がない。
その言葉を聞くと、口をとがらせながら雷閃に先んじて文句を言い始める。
「ちょっとちょっと、このおれと対等に並び立とうだなんて、きみ傲慢すぎるんじゃない?」
「その認識でおっけぃ。地下からは出てこられたけど、結局方針が違うみたいだからね。僕達でこの席を勝ち取ろう」
「傲慢ってなんだよ、傲慢って? お前ガキだろ?
でもまぁ、助太刀はありがてぇわ。こいつ、強ぇし」
傲慢だ何だと言いながらも、恐らくはアーハンカールもそこまで敵味方や対等かどうかに興味などないのだろう。
ツッコミやスルーをされているが、特に何も起こらない。
この間も攻撃を続けていたクラローテを含め、ごく自然に、何となく全員が味方になっていた。
堪らないのは急に敵が2倍になったバロールだ。
彼は目の前のカウガールを燃やしながらいなすと、地面を叩き割って隙を作り、審判を見上げる。
「乱入、事故、不快。貴公はこのまま続けるつもりか、女王よ。試合の前提が崩れていると愚考するが」
滔々と言葉は紡ぎ出され、穏やかな声は森に響き渡る。
この場はしん……と静まり返り、闘技場に立つ戦士達ですら、アヴァロンの支配者たる少女への言葉を聞き、思わず攻撃を止めていた。
いや、より正確に言えば、クラローテだけは相変わらず襲いかかろうとしていたのだが……
やはりいつも通り、幼馴染みに押さえ込まれている。
こうなれば、もう試合は決して動かない。
コロシアムの視線は、女王エリザベスと魔眼王バロールの間へと注がれていた。
『審判の間はクリアされ、罪人は再び楽園へと降り立った。
彼らもまた、己の願いを抱くものであるのだから、我はこのことを問題だとは思いません。裁きがある以上、そこから抜け出す自由もまた、なくてはならないのです。
もちろん、実際にそれを掴み取れるかは別ですが』
「……決裂。汝は、オレ……ひいては、この3日目より参戦する円卓以外の神獣に、不当な扱いをするというのだな」
エリザベスの言葉を受け、闘技場にいるバロールには不穏なオーラがまとわれる。同時に、円卓サイドに座るいくらかの人型の獣からも、暗い感情が発され始めた。
円卓サイド、反逆者サイド、共に慌てる者はいない。
しかし、ここに集まっているのは何も、この争奪戦に参加する戦士ばかりではないのだ。
決して多くはないが、ほとんど娯楽のない国では貴重な行楽として、争奪戦にはそれなりに観客が来ている。
彼らは不穏な空気に怯え、ざわざわと不安そうな声色で喋り始めた。
その不安を払拭するように、女王は溢れんばかりの威厳を取り繕って言葉を紡ぐ。
『では、逆にお聞きしましょう。参加する権利は奪えない、他に充てがえる席もない。割り込ませる以外に方法が?』
「不明。だが、だからといって声をつぐむつもりもない。
これはイレギュラー。ペナルティの1つでも与えるべきだ」
「それはそれで、貴方がた審判の間から上がってきた者達は侮辱などと受け取るはずですが」
「……」
理があるのは、十中八九バロール側だろう。
しかし、我の強い地下の神獣達が受け入れるのかといえば、また別だ。不満はあれど、より揉めることのないのは、確実にエリザベスの方だった。
自分でもそれがよくわかっているからこそ、バロールもついには口を閉じ、観覧席にいる他の面々も黙り込む。
とはいえ、彼女も利敵行為をしておいて、味方の不満を抑え込むだけで終わらせるつもりもないらしい。
コロシアムには不気味な沈黙が満ちた中で、エリザベスは風の音色に声を乗せて、威厳を迸らせる。
『しかし、不公平であることもまた、事実ですね。
もし貴殿が望むのであればですが、現時点で不参加の手勢を数名、残りの試合に投入することも検討します』
「……理解」
その結論を以て、魔眼王は引き下がる。
敵へのペナルティは叶わなかったが、どちらにせよ彼らは自らの面子や誇りによって、ハンデ付きの勝利など容認できなかったことだろう。
この落とし所ですら、人によっては受け入れられないくらいだ。今現在当事者になっているバロールは、この選択により起こる影響を想定し、じっくりと考え込んでいた。
「……結論。オレは貴公の提案に乗ろう。
要求。最高の相方。対象。ドルイドの統括、ダグザ」
しばらくしてから出した結論は、エリザベスのパートナーであり、ドルイドの統括。偉大な神の名を戴いた、騎士の相棒たる神馬の長――ダグザだ。
その要求を聞いたことで、彼女は思わずと言った様子で目を細め、だが何も言うことはない。間髪入れずにカツンと杖を打ち鳴らし、瞑目しながら指令を出す。
『許可します。我がパートナーよ、彼に加勢しなさい』
「承知いたしました、我が主よ」
主の命令を受けたことで、すぐ側に人型で控えていた執事は軽く頭を下げてそれに応じる。
彼は女王の補佐であり、決して騎士のような戦闘要員などではない。しかし、だからといって無力という訳でもなく……
「ご紹介に預かりました通り、ドルイドの統括、ダグザ。
豊穣、知識、生と死に破壊と再生……それらすべてを司る万能神の名の下に、貴方がたを下しましょう」
闘技場に降り立った彼は、守護者や将軍、族長などを前にしても全く臆すことなく、短めな2本の杖を握る。
左右からせめぎ合うかのように迸るのは、それぞれ禍々しいオーラと神々しいオーラだ。しかし、見た目は変わらない。
どこまでいっても、穏やかな雰囲気を持つただの執事だ。
それなのに、多くの強者に挟まれているだけのはずの紳士は、紛れもなく戦場の中心に立っていた。