339-第七試合、序列6位
オスカーとジャルが治療を受けている中で、短い期間ながらも彼らと旅をしていた2人の戦士は対峙する。
ケット・シーでありながらスーツを着て、頭には紳士のようなシルクハット、手には小洒落たステッキを握るキングと。
森に擬態するかのような緑色の外套を纏ったソン。
彼らは見た目通り穏やかに火花を散らしており、闘技場の外からは森がざわめく音が聞こえていた。
あまりにも静まり返っていたことから、キーンという異音すらも聞こえてくるかのようだ。
そんな静寂をかき分けるように、猫の紳士は流れるような動きでステッキを回し舞い、楽師はポロロン……と悲しげな音色を奏でる。
ようやく音が発せられたが、この場の空気は崩れない。
どこまでも静かで、穏やかで。その中心には場違いな舞台があった。
"ストレッチアウト・フェイルノート"
2人の戦士を囲むように現れたのは、日光を反射しキラキラと光る細かい糸の会場だ。外からでも中の光景は見通せるが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた壁は、小さな猫ですら通り抜けることはできないだろう。
キングはもちろんのこと、ソンすらも完璧に囲い込む糸の檻は、全方向から敵を狙う罠として戦場を支配していた。
"流浪楽章"
それに対して、獲物であるキングは周囲の環境に何ら影響を及ぼさない。回るステッキから生み出されるのは、この環境の中で行使される神秘だけだ。
しかし、だからといって太刀打ちできない程に軟弱だという訳でもなかった。光、炎、水、風、岩など、彼の周囲に現れる球体は様々で、無数のエネルギーが楽譜をなぞるように帯状に回転している。
さながら衛星のようであるが、その形状もあって譜面が宙を浮いているという状態に限りなく近い。
環境の書き換えこそしないものの、眩い神秘のベールに硬く守られたキングは、戦況を十分に制していた。
「ケット・シーの器用貧乏さか。
それで私の攻撃を防げるとでも思っているのか?」
「突破できると思うなら、さっさとやればいいじゃん。
ほら、かかって来なよ」
「いいだろう。まずは君の得意な属性を見極めるとしよう」
"ホールイン・フェイルノート"
挑発されたソンは、素直に応じて糸を引く。
瞬間、放たれるのは出どころを問わない無数の矢だ。
糸は壁を作っているのでわかりにくいが、部分部分には太い柱的な役割を持つ場所などもあった。
そこを弓と見立てて、不規則な位置から矢を放っているのである。
しかも、矢は勝手に編み出されているため限りもない。
弾かれるハープボウの弦に連動して、止めどなく連射されていた。
方向も数も、あまりにも出鱈目な行射。
糸は解ければ再利用できるため、ほとんど無駄がなく対処のしようがない戦法だ。大抵の者であれば、この罠にかかった時点で詰みだろう。
だが、譜面のような神秘のベールに包まれているキングは、その限りではなかった。彼がステッキを回すと、様々な色に輝く楽譜も回る。
動かなければ消し飛ばされていたかもしれないが、こうして回り、新たな音符的な球体も生み出されれば、神秘のベールは尽きはしない。矢は炎や水、風などに巻き込まれて次々に消えていく。
「死角からも狙ってくるし、手数も腕じゃ足りない。
これを避けることは、たしかにできないんだろうね。
けど、やっぱりボクには当たらなかったよ。
必ず命中する矢は、すべて自然の流れに溶けた」
飲み込まれた矢は渦と一体化し、眠そうにしている猫の王の周りを回る。それらはもう原型など保っていない。
既にただの神秘の玉だ。
しかし、中にはたしかにソンの行射が込もっていた。
やや威力の増した矢は、燃えたり研がれたりした状態で射手の元へ戻っていく。
「あらら……お返しと思ったけど、消えちゃった」
キングが打ち返した矢は、狙い違わず目標地点を射抜いた。
だが、その場所に既に彼の姿はない。
さっきまではたしかに狩人がいた場所に刺さり、虚しく弱々しい震えを見せている。
「小鳥は弱く、どんな敵でも距離を取る。森林の罠が尽きることはない。弱者は弱者なりの戦い方をするまでだ」
声のする方を見上げてみれば、そこには糸の上に乗っているソンの姿があった。しかも、彼とキングの間には無数の糸が張り巡らされている。
もしも移動の瞬間を捉えていたとしても、罠に阻まれて当たりはしなかっただろう。キングはステッキをコツンと鳴らすと、シルクハットに手を置きながら眠そうに語りかけた。
「小鳥は糸なんて使わないんじゃないかなぁ。
それに、罠も張らずにせっせと逃げるよ」
「それを言うならば、白鳥は水を操らず、獅子も火を吹かない。ジャガーは血を司るものではないし、鹿に霊力など宿りはしない。この時代に問うても詮無きことだ」
「それに、猫も喋らないし魔法っぽい技を持たないね。
人間だって、動物に変身するなんてあり得ない。
ふふ、君と話すのは中々どうして楽しいものだよ」
「ならばあくびはやめ給え」
どうでも良さそうに吐き捨てると同時に、ハープボウはポロロン……と奏でられる。会話の終了を示す合図は、再び無数の矢となってキングに襲いかかっていった。
「ごめんごめん。ボクは猫だからか、どうしても怠惰でね。
王様も呼ばれてるだけで、仕事も放置してたくらいさ」
「今さらなんだ? 私もあの国には行ったのだから、そんなことくらい知っている。猫だからではなく、君だからだが」
「円卓で唯一、自由に旅してる人だもんねぇ。
カナリアだけど」
戦闘中だというのに適当に喋るキングは、ステッキと一緒に尻尾を振りながら身を翻す。さっきとは違って回避のような行動を取っているが、防ぐ方法は変わらない。
やはり弓矢を絡め取りながら、炎や光、岩などの神秘で威力を上げている。背中には、体と同じように小さい翼が生えていた。
「だけど、獅子王くんとの旅は遊びで、彼を助けることは星の存亡に関わるかもしれないこと。楽しみながら、役割も果たすよ。ボクだって鳥だから、飛びながらね」
「君は羽を生やしただけだろう」
「そう言う君は、今人間の体じゃないか」
「本質は変わらない。羽は空を飛び、笛は音色を奏でる。
折れ曲がってもそれは変わらず羽と笛。
小鳥も在るだけで小鳥で、君は猫だ」
「そうだね。だからボクは、王様なんだろう」
"コマンドパレス"
空を飛び始めた猫の王は、取り込んだ矢を勢いよく発射していく。元々それらはソンの武器だが、今ではすっかり王の威光に当てられたかのようだ。完全に制されて、狩人ではなく彼の思うがままに飛んでいる。
おまけに、炎などの属性を付与されていることで、糸の妨害を突破するのもそう難しいことではない。
燃やし、切り裂き、受け流し。神秘の矢は真っ直ぐに標的の元へと殺到していた。
「得たもの、できたこと。それによって本質が固定化されてしまうというのなら、私は常にトラップマスター。
矢は防げても、忍び寄る糸は無理だったか?
接近してきたのは悪手だったな」
矢はソンに向かっていく。その事実は変わらない。しかし、それよりも先に確かになったのは、キングが目で捉えきれないほど極細の糸に絡め取られ、動けなくなっていたことだ。
飛ぶために生えていた翼は完全に拘束され、前進を拒む。
ケット・シーは小さいので、彼の体は手足がわからない位にまん丸な糸の塊と化していた。
「反射してきた矢は防いだぞ。格上に遠慮はしない。
次は私の番だ。すべての糸が君を射抜く」
ステッキも埋もれたことで操作が覚束なくなったのか、矢はすべて間に張り巡らされた糸に弾かれ、解けていく。
火花や飛沫、烈風に雷鳴などが飛び散る中。ハープボウに指をかけるソンは、悲しげな音色を奏でた。
"ティアーァパート・フェイルノート"
ポロロン……と音は響き渡る。布に水が染み渡るかのように、ゆっくりと世界へと広がりを見せる。
その音色に連動して、闘技場を囲う糸は動き出した。
標的になるのは、もちろん空中で動けなくなっているキングだ。止めどなく溢れる弓矢、直接的に切り裂こうとする糸鋸じみたトラップなどが、綺麗な見た目に似合わず処刑器具のように彼めがけて収縮していく。
"流浪楽章"
「っ……!?」
猫の王が拘束されている繭が、無惨にも滅多刺しにされたかに思われた瞬間。繭は今こそ転生の時だ、と言わんばかりの輝きを放つ。閉じられていた球体は花咲くように解け散り、中からは渦巻く光を抱いたキングが現れる。
「ケット・シーは器用貧乏。そこは否定しないよ。
事実、ボクだけの力でとんでもない力を発揮できるかといえば、ノーだからね。みんなはその中で工夫しているようだけど……ボクが使うのは、この星の神秘。そして敵の神秘さ」
彼の腕の中で輝いているのは、回転しながら輝くステッキ。
その動きと連動するように、ソンが放った弓矢や斬撃は流れに飲み込まれていく。
すべての糸を攻撃に転じていたことで、もうこの糸の世界はキングのものだ。キラキラと表面を煌めかせる糸は、根こそぎ神秘の奔流に巻き込まれ、本来の支配者である狩人へと襲いかかっていった。
「ぐっ、あぁぁ……!!」
自らの糸に飲まれ、裂かれ、ソンの気配は消える。
すっかりすべての罠が消えた闘技場の上で浮かんでいるのは、元に戻ったステッキを手に、シルクハットを押さえる猫の王様だけだ。
「……うん。ボクは第5席を担当すべきだったかな。
いや、彼が勝てたかは怪しいし、結果論か」
勝者、キング。壊滅的だった反逆者サイドは、3試合目にしてようやく1勝をもぎ取ることとなった。