326-第三試合、序列11位
第二回戦は終わり、カムランは再び準備の段階に入る。
エリザベスは樹木を伸ばしてローズとルキウスを回収し、2人の治療を開始し、ライアンはそんな彼女の元へ。
息を呑んで見守っていた反逆者サイドには暗い空気が漂い、家族の負傷を受けてリューすらも顔を上げていた。
だが、円卓サイドの面々からすれば、ルキウスなど他人どころか敵でしかない。勝利は喜ばしいことであるが、彼の負傷などむしろありがたい限りだ。
この結果に大きな反応を示すことなく、一生懸命治療をしているエリザベスを除いて、全員が各々自由に過ごしている。
唯一、続く第三回戦に出るヴィヴィアンを除いて……
「キャハハハハ、よーやく俺の出番だな!!」
直前までアンブローズと言い争いをしていた彼女は、いつの間に移動していたのか、闘技場の真ん中で軽やかにドレスを揺らして笑う。
円卓の前では取り繕おうとしていたが、戦うとなればもうそんなことはどうでもいいらしい。女性らしさなど完全にかなぐり捨てて、薄い胸を張っている。
それを観覧席から見下ろす者達は、整備する間もなく現れた彼女に戸惑うばかりだ。ローズの命を繋いでいたエリザベスは、作業をしながら片手間に問いかける。
『……第一試合は選手のタイミングで始まりましたが、それ以降は治療や整備があります。勝手に出ないでください』
「どうせ今日のメインは、さっきまでやってた序列1位と2位の争奪戦だろ? この後の試合なんざ消化試合でしかねぇんだし、さっさと終わらせちまおうぜ。
それに、整備ならもう終わってる」
会場中に響く注意に、ヴィヴィアンは杖先で地面を打ち鳴らしながら言葉を返す。瞬間、崩れていた闘技場の表面には水が広がり、染み込んだと思うと破損はすべて消えた。
スレンダーな彼女の足元に広がっているのは、モデルが注目を浴びるためにあるようなピカピカな舞台だ。
しかし、闘技場の整備が整ったからと言って、すぐに争奪戦が始められるかと言えばやはりそんなことはない。
三回戦、序列11位をヴィヴィアンと奪い合うことになるのは、今この場にいないヌヌースなのだから。
彼はクリフ達を追いかけていったため、今どこにいるのかすらわからない。
その事実を確認したアンブローズは、暴走するヴィヴィアンになど構っていられない女王の代わりにアナウンスをする。
『けれど、あなたが準備できたからって試合を始められるものでもないでしょう? 対戦相手がいないのだから』
「おいおい、あんたらはちーっとばかり俺を見くびりすぎてやいないか? 俺は湖の乙女、精霊ヴィヴィアンだぜ?」
治療は争奪戦には関係なく、闘技場の整備も終わった。
最後に必要なのは対戦相手で、それを喧嘩相手に指摘された乙女は、再び杖を揺らしながら吐き捨てる。
杖は円を描くように揺ら揺らと。
その動きに連動するかのように、目の前の地面も湖のように揺らめいていた。
直後、その場にはずっと走っていたらしいヌヌースが現れ、勢い余って倒れ込む。どのようにしてかは不明であり、彼も走っていて疲れてはいそうだが……
なにはともあれ、対戦相手は召喚された。
すっかり争奪戦に必要なものを揃えられたことで、もう止める術のないアンブローズは力なく口を開く。
『……そう、なら勝手に始めていてちょうだい。
審判がいなくても、どうせこの場の全員が見ているから』
「はー、自分ずっと族長を追いかけていたはずなんだけど、いつの間にか晒し者? 酷いくない?」
「体力も回復してんだろ? ほら、第三回戦始めるよ」
「はー、いつの間にか時間も経ってる。これは申し訳ないや、びっくりびっくり。うん、戦うしかないんね」
いきなり呼び出され、しばらくキョロキョロしていた細身の優男だったが、ヴィヴィアンに急かされると穏やかに笑いながら立ち上がる。
たとえ女王の守りがあって死なないのだとしても、これから確かな痛みのある殺し合いをするということに変わりない。
だというのに、凄まじいくらいのリラックス具合だ。
精霊は闘技場に湖を映し出しながら杖を構え、細身の優男はそれに応じながらも頼りなく微笑んでいた。
「……」
試合は審判である女王を待つことなく、勝手に始まった。
観覧席は静まり返り、闘技場にも静寂が満ちていく。
その刹那、再び世界の認識は書き換えられる。
"湖の古城"
"野生解放"
自身の身体ほどもある杖を回転させるヴィヴィアンの背後に現れたのは、湖面から浮かび上がってきた古城だ。
それはかなりの歴史を感じさせるもので、水を滴り落としながら神秘的な威容を示す。
同時に、目の前で槍を握っていた細身だったはずの優男は、みるみるその体を膨れ上がらせていた。
小さな丘のように立派になった体躯はふさふさな毛に覆われ、爪や牙を輝かせている。
その姿はまさに熊。変わらぬ穏やかさの中に確かな凶暴性を感じさせながら、彼は古城の前を飛ぶ淑女に向かっていく。
「はー、城の用途は知らないんけど、速攻で行くんよ」
「キャハハハハっ、あんたはパワーファイターか!!
つうことは、11席は捨てたんだなぁ。まぁ、反逆者サイドに俺とやり合えそうなのは少ねぇし、妥当だけどよ」
「はー、自分は全然勝つ気でいるんけど?」
笑うヴィヴィアンめがけて、熊は飛ぶ。
完全に人の形を取った姿が細身だからか、巨体ながらもその機動力はかなりのものだ。
スピードも跳躍力も申し分なく、ヌヌースは残像すら残して彼女に肉薄し、太陽の如き煌めきを纏う槍を振るった。
光熱は敵を間違いなく斬り裂き、その体は水となって飛び散る。そう、水となって。
「いやいや、そういう戦闘スタイルじゃ勝てないんだって。
近接でもやりようによっちゃーいけるだろうが、少なくともあんたみたいな脳筋じゃ無理なんだよ」
空中で水として飛び散ったヴィヴィアンは、闘技場に張った湖から顔を出して笑う。太陽の槍によってやや焦げたような跡は残っているが、基本的に無傷だ。
言葉通り、ヌヌースの戦闘スタイルでは決定打に欠けるようだった。地面に降り立った彼は珍しく悔しそうだが、この先どのように工夫しようと結果は変わらない。
聖人や魔人、獣人などと違って、精霊は自然に意志が宿ったタイプの神秘である。湖の乙女である彼女の本体は湖。
この場にいるのは思念体でしかないため、そもそも本当の意味で死ぬことはない。おまけに、本来の性質によって水の流動性すら持っているのだから。
もちろん、神秘の根幹である意識がここにある以上、思念体を消し飛ばされればしばらく星から消えることにはなるが……
槍に神秘を纏わせるスタイルでは、かなり不利だった。
「はー、元々この席は諦めるって聞いてはいたし、負けること自体は想定通りでしかないんけど……
今のところ、負ける要素もないくない?」
「ばっか、そりゃ俺が様子見してたからだって。
一応、あんたの手の内くらいは見とかねぇとだろ?」
再度、槍を熱しながら向かっていくヌヌースだったが、湖から上がったヴィヴィアンは今度は避けない。
より正確に言えば、攻勢に転じたことで攻撃を避ける必要がなくなったのだ。
"湖面のルーン"
見た目だけは美少女である湖の乙女は、長い杖を湖面と水平になるように真横に向ける。瞬間、彼が走っている湖面は唐突に光り輝き、星空のような様相を示し始めた。
「はー、綺麗な……光?」
「キャハハハハ、幻想的な光景だろ?
実はよ、これ全部がルーン魔術なんだぜ?」
戸惑ってスピードを落とすヌヌースに向かって、湖面からのルーンは星屑の如く放たれていく。
雨や流星とは違って下から上ではあるが、その量だけは確かに豪雨だ。
炎が、雷が、風が、氷が。抑圧や道標の必中などの気配を漂わせながら、巨大な熊という的に炸裂する。
この雨の中では、如何に俊敏であろうとも無傷でいるということはありえない。
受け流す技などを持たない、パワーファイターなのだから、ほとんど避けることもできず様々な属性の塊をその身に受け続けていた。
「くっ、ふっ、うぅ……!!」
「キャハハハハっ、ほらな? やっぱりあんたじゃ無理だ。
そろそろ楽に終わらせてやるよ」
ヌヌースはその巨体からも分かる通り、かなりタフだ。
どれだけのルーン魔術を受け、全身を焦がしたり血を流したりしていても、中々倒れることはない。
槍に纏わせた太陽を一層輝かせながら、まだ隙を窺っている。それを見たヴィヴィアンは、憐れむような目線を向けながらドレスを揺らし、杖を回す。
外野からは『胸は一切揺れないわねー』などとやじが飛んでおり、彼女はカンカンである。より殺意を高めてルーン魔術を発動しようとしていた。
だが、その一瞬だけは確かに意識が外に向いている。
その一瞬が、命取りとなった。
「っ……!? あんた、まだ何がするつもりか!?」
「……はー。自分らは、アストランの民。信仰するは、太陽の化身たる四神である。この争奪戦には助っ人に入っただけで、完全に部外者ではあるけども……太陽の民として、少しでも助けにならないといけないんよ」
太陽の如き熱を纏わされていた槍は、より火力を上げたことで本物と見間違うほどの熱を放つ。もちろん、ルーン魔術を防ぐ効果などはない。ヌヌースの全身には、以前として神秘の塊が雨あられと降り掛かっていた。
しかし、熊としての野生を解放した彼が倒れることはなく。
揺るがぬ小山は、渾身の力を込めた槍を湖と化している地面に突き立てる。
"純白の太陽"
直後、太陽の槍は湖を焼き尽くし、みるみるうちに湖面の水は蒸発していく。水蒸気に埋め尽くされたことで、闘技場の状況は全く見通せない。
1つだけ確かなことは、ルーン魔術を放っていた湖面が消えたことで、その方法での魔術使用ができなくなったことだ。
同時に、湖の乙女たる彼女にはこれ以上ないくらいの責め苦となる。
「あっつッ……!!」
「君は水になるけど、ダメージは入ったくない?
戦いにくいだけで勝てない相手じゃないと思うんよ。
それに、湖面はルーンを放ち、古城はただそこにあるだけ。
湖だけ無くせば逃げ場はないんよね」
どれだけ視界が悪かろうと、彼は獣人だ。
その耳で悲鳴を聞き取り、その目で蒸気の中で薄っすらと見える影を見抜き、その鼻で言動に似合わず女子らしい香りを嗅ぎ取り、その肌や毛先で敵を感じ取る。
巨大な熊となったヌヌースは蒸気を吹き飛ばしながら肉薄し、燃える槍を苦しむ女性に叩きつけた。