317-黒竜との遭遇
ライアン達がアヴァロンに侵入開始する数週間前。
彼らがまだ、仲間集めに奔走していた頃。
思わぬ幸運で、一足先に太古の森ミョル=ヴィドに侵入を果たしていたクロウ達は、霧に惑わされて森の地下に広がる場所に迷い込んでいた。
同行者は敵だったはずのアーハンカールと、ガノにロロ。
雷閃やヘズなど頼りになる仲間はおらず、直前まで殺し合いをしていた少年に信じきれない円卓と敵だらけである。
おまけに、いつ移動したのかは記憶にない。
どうやってこの場所に移動してきたのかも不明だ。
しかし1つだけ確かなのは、目の前にはこの審判の間どころかミョル=ヴィド全体でも会ったことがないような化け物がいたこと。
アヴァロンの王であるエリザベスや序列1位のオスカー、一時的に味方になってくれた獣神ケルヌンノスに、処刑王や魔眼のバロール。
神獣の国で様々な強者に出会った上で、なお生物としての格が違うと断言できるような存在と遭遇していることだ。
それは、太古の森の地下に広がる審判の間で、守護者をしていない4体の神秘のうちの1つ。
かつて女王"神森を統べる王"と麾下にある円卓の騎士が総力を上げ、ようやく退けられた最悪の魔獣。
もし救世の英雄が生まれていなければ、真に人類を滅ぼしてたであろう獣の具現、かつての大厄災と同等なるモノ。
厄災の黒竜――ヴォーティガーン。
「待て、待て待て待て。レイドバトルって……
お前、本気で言ってるのか? これは、違う」
直前の言葉通り、本当に格上が相手でも余裕の態度を崩さないアーハンカールの言葉に、俺はほとんど無意識に呟く。
その間も、目の前にいるヴォーティガーンからは目を離せない。体が震える。視界がチカチカする。息が苦しい。
見ているだけでも気が狂いそうになるし、心臓の鼓動は地面くらい砕けそうなくらい激しく爆発的だ。
だというのに、それの刺々しい鱗や爪牙、こちらを射抜いてくる深紅の双眸から目を離せなかった。
瞬きの1つで、軽く爪を動かすだけで、呼吸の流れに沿って、世界は揺らいでいる。
巨大な黒竜はその場にいるだけで、それ以上に強大な神秘を振りまいて周囲を侵食していく。俺の目には、もはやガノやアーハンカールの姿など映らない。
あいつらなんか、ゴミのような存在にしか思えない。
クロウはこれまでの旅で初めて死を覚悟した。
呼吸や瞬きしかしておらず、動いているのは呼吸で上下する胸や肩、弄ばれる爪くらいなのに。
クロウはここで、もう既に死んだ。
周りの奴らがなにか言っているような気がするけど、なにもわからない。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。
どこにいるかもわからない仲間へ、言葉を紡ぐ。
「生物として格が違う。存在が違う。あらゆる規格が違う。
あれが振りまくのは、死どころかこの星自体の滅亡だ。
頭がおかしくなるくらいに、滅亡そのものだ。
正気じゃない、正気でいられない。
かつての大厄災と同等? それなら俺は、生まれて始めて本来の意味での厄災に出会ったよ。ヒマリと大嶽丸。
これまで全力で戦った2人なんか、ただの人間でしかない」
クロウの目はヴォーティガーンの双眸に固定される。
みんなの姿は見えず、声も聞こえない。
ほとんどの情報を受け取れず、ただ一方的に思いを叩きつけることしかできない。
だが、ふと気がつくと俺の思考も視界も晴れていた。
肩には口をモゴモゴさせているロロが乗っていて、隣には目に見えて苛立った様子のガノがいる。目の前で笑っているのは、不遜なアーハンカールだ。
「……え? 俺、どうなってたんだ? というか、なんか右目が熱い。左目でわかるくらいに、青い……」
「臆してたけど落ち着いたろ? もうやる気満々じゃん」
「チルはもう出てこないのに、それでも死なせてはくれないんだな。でも、倒すのは無理だぞ。絶対に無理だ」
「それはあれに聞くしかないですよぉ?
ほとんど動かないのは、別に攻撃の意思がないからではありません。そんな状態でも、殺せるというだけのこと」
俺の宣言を受けたガノは、油断なく黒竜を見つめながら凶暴に笑う。その瞬間、彼の言葉通りにヴォーティガーンは紅い瞳を輝かせ……
"蝕"
世界は、瞬く間に侵食されていく。それはまったく動いていない。さっきまでと同じように、ただ生きているだけだ。
何もしていないはずなのに、霧が薄れた薄暗い地下にはさらなる闇が蔓延っていた。これがどういう力かはわからないけど……少なくとも、触れていいものでないことはわかる。
こんな得体が知れないもの、絶対に当たっちゃだめだ。
俺はすべての力を振り絞り、全力で後退しながら叫び返す。
「わかっ……てるよッ!! 適当に戦って、逃げる隙を作る!!」
「ククッ、わかってんならいいですよぉ!!
こんなのに殺られるつもりはねぇ!! 暴れてやんぜ!!」
「えぇ〜? せっかくのご飯なのに、バカ言わないでよ」
「馬鹿言ってんのはお前だ馬鹿!!」
反射で止めるが、アーハンカールは構わず向かっていく。
黒竜の瘴気を浴びて乾いた大地を巻き上げながら、まったく臆さず全力で。
どうやらあいつは、思ってた以上に傲慢なやつのようだ。
自分でも勝てないと宣言していたというのに、普通に殺す気だった。
傲慢の間の守護者らしいといえば、らしいけど……
どう考えても今じゃない!!
今は生き残るため、敵味方関係なく協力する状況なはずなのに……!! 俺の周りにはこんな奴らしか集まらねぇのか……!?
幸いなことに、ガノは暴走する様子がない。
ロロは戦力外だが、1人いるだけまだマシだろう。
無防備に背を向けたら死ぬ。ちゃんと、隙を作らないと。
"モードブレイブバード"
勝手に溢れ出る青い光を感じながら、俺は全身に力を纏う。
近寄ったらそれだけで死んでしまいそうではあるけど……
アーハンカールは流血しながらも進み続けているので、どうやら即死はしないようだ。つまり、助かるには短時間で隙を生み出すしかない。
それも、近寄るだけで弱って血を吐きながら。くっそ……圧倒的すぎて泣けてくる。だけど、それでもやらないと。
ロロには離れてもらって、アーハンカールを囮にガノと2人で連携するのが最善。速やかに意思疎通をして、俺達は黒竜に向かっていく。
「あいつは何でもありだと思っていいぜ!! さっきから振りまいているような呪い、単純な火力やパワー、疫病やら飢餓やらの不調、何でもありだ!! 文字通り、災害を起こすことだってあるからなぁ!!」
「了解。けど、俺達がやれることなんて変わらねぇよ!!
アーハンカールが潰れた隙に左右から!!」
「ギャハハ、任せな!!」
目の前では、勝手に向かっていったアーハンカールが既に尻尾で潰されている。何発も殴っていたが、流石に小柄な彼ではどうにもならなかったようだ。
一撃で大地は引き裂け、彼の頭にあった花冠は岩の破片と共に宙を舞っていた。とはいえ、俺達としては好都合。
あの守護者が倒れているうちに隙を作って、どうにか撤退できれば傲慢からも逃げられる!
ガノも信用はならないけど、ひとまず協力関係ではあるから問題ない。少しでも手傷を負わせて、ここから……
"支配"
意識を分散させるため、バラバラにわかれた俺達がそれぞれ斬りかかろうとしていると、いきなり世界は赤く染め上げられる。
つまらなそうな黒竜の頭上から落ちてくるのは、太陽のように巨大な炎球だ。思わず目を閉じてしまうほどの光の塊は、壁を焼き、天井から垂れる木を焼き、地下を燃やし尽くす。
いや、単純な火力ってこの規模なのかよ……!?
運良く標的はガノだったけど、余波だけで肌が燃える……!!
反対側からはガノの悲鳴。
こちら側からは見えしないが、少なくとも攻撃できるような状況ではなさそうだ。
降りかかる火の粉は、一瞬で触れた肌を黒焦げにしてしまう。目や口から流れる血も、塵のように流れていくほどに。
生きているかも怪しいくらいだった。
しかし、だからといって止まれない。
このまま進んでも命に関わるかもしれないけど、どうせ背中を見せても死ぬんのだから。できるのは進むことだけ。
俺は御札を剣に貼り、水を纏わせながら回転していく。
"水の相-行雲流水"
流れるような動きで火の粉を打ち払い、俺は進む。
視界は血と炎で赤いが、黒い竜の姿は見失わない。
止まらずに動き続けることで力を貯め、最後に飛び上がって落下のエネルギーも使って叩き斬る!!
「硬いッ……!!」
「……」
俺の剣は間違いなくヴォーティガーンに届いた。
だが、やはりまだ圧倒的に格が足りていないらしい。
刃は弾かれ、軽く腕を払われたことで体は壁に突っ込んでいく。どうにか振り払いは受け流したし、激突の時も受け身を取って致命傷は受けなかったけど……
これは、どんな幸運でも乗り切れる気がしない。
揺らめく煙の向こう側で、ジャガーになったガノと思しき影もヴォーティガーンのように黒くなって立っている。
まだ動けはするみたいだが、あれはもう満身創痍だ。
どうせなら、死を覚悟で逃げる方がよかったかもな。
「……」
チラリと俺を見たヴォーティガーンは、つまらなそうに尻尾でガノを吹き飛ばしてから俺の方に向かってくる。
抵抗、しないと……
「……!?」
迫る黒竜を睨みながら、どうにか俺が体を起こしていると、突然ヴォーティガーンの動きが止まった。
しかも、自分で止まろうとした訳でもないらしく、あれ自身も驚いている様子だ。
あれと俺が目で追う先には、不自然にピンと伸びた尻尾が。
引き裂けた大地から生えているように、地面の下からの力と綱引きをしている。
「餌が逃げるなよ、ヴォーティガーン……」
砕けた地面の下から姿を現したのは、ついさっき叩き潰されたばかりの少年――アーハンカール。
体や顔どころか、綺麗だったはずの金髪までも飛び散った血や火で赤黒く染め、凶暴に笑う守護者だった。
歪に折れ曲がった腕で尻尾を掴む彼は、一方的に負けている状況でもなお傲慢だ。頬を伝う血を舐めると、目をギラギラと輝かせながら力勝負を始める。
"万物を我が糧に"
勝ちなどあり得ない相手を前に、少年はそれすらも自らの餌だと定義する。ほんの少しだが弱ったヴォーティガーンには、もう俺を気にしている余裕などない。
尻尾を引っ張りながらでも殴り続ける少年を迎撃するため、楽しげに笑いながら爪を振るっていた。
もしかしなくても、助けられたな……
凄まじい地響きを感じながら、落石を避けて立ち上がる。
あんなものに近寄れはしない。
けど、生き残るためには攻撃をしなければ。
選ぶべきはもちろん遠距離攻撃。俺は懐から小さくなった茨を取り出すと、力を込めて巨大化させる。その形状は弓。
以前ローズに作ってもらった神秘の武器だ。
"災いを穿つ茨弓"
遠くに、フラフラと動いているジャガーの姿が見える。
まだ、間に合う。俺達は、全員でこの場を切り抜ける。
安全圏に待機させているロロはもちろん、すぐに裏切るガノも、普通に敵であるアーハンカールも。
俺達は、全員で……
"必中の矢"
より強く右の碧眼を輝かせ、弓を放つ。
それは幸運に導かれた、必中の矢。
ほんの少しでも隙を作れるように、アーハンカールの助けになれるように、矢は黒竜の目に吸い込まれていった。