307-獅子王のタフネス
ヴィンセント達の実戦訓練もとっくに終わり、もうそれから数日が経っている中。
アストラン南部の沼地では、ライアン達が未だ獣人の長老と同格であるという怪物ワニ――トラルテクトリとの死闘を繰り広げていた。
しかも、彼女が己の神秘を完全に制御し、人型になってからは、より苛烈さを増している。
大地と同じような褐色を持つ彼女が繰り出すのは、地母神的な地表の操作だ。空には衛星のように球体が浮かび、上から星屑の如き投石を放つ。
地上は地上で、戦場は正方形に突き上がって高度を上げる。
外周は花びらのような岩壁以上に大地がめくれ上がり、天然の檻を生んでいた。
攻撃手段もよっぽど豊富だ。
ワニの姿では噛みつきやスピンなどの肉弾戦ばかりだったが、現在ではほとんど本人は動いていない。
その代わりに、大地そのものが剣となって永遠にライアン達に襲いかかっていく。空からは星屑、地上では大地の剣。
序盤にソンが言っていた通り、トラルテクトリとの戦いは、この世界――星との戦いとさえ言える。
だが、彼女が人型になった時点で、ソン、キングは満身創痍だ。クリフもボロボロになっていたため、唯一ピンピンしているライアンは、火の粉を散らしながらほとんど1人で戦っていた。
「くっ、マジで二段階あんの罠過ぎるだろ〜。
もう俺しか残ってないじゃねぇか〜」
降り注ぐ星屑、振り回される無数の巨大な大地の剣。
それがほとんど1人に押し寄せることになるため、標的であるライアンは息をつく暇もなかった。
レグルスの光やスレイプニルの瞬発力を使って、延々と槍を振るって攻撃を躱し続けている。当然、打開策などない。
半獣化による、パワーとスピードを兼ね備えた万能スタイルで、舞うように動いて最小限の動きで耐え続ける。
その間も、ソンやキングは倒れたまま糸や弓矢、炎弾や風を放つことで援護をしているが……星屑を突破するのは不可能だ。トラルテクトリは笑った画面を被っているので、相手に余裕があるのかないのかもわからなかった。
しかし、結果として星屑も剣も止まらない。
糸の斬撃や射撃などはそれらを彩るアクセントでしかなく、地母神と獅子王による舞いは昼夜問わず続く。
「おい、デネブ」
仲間達が必死に抗っているさなか、半分以上本能が解けて人の姿になっているクリフは、辛うじて残る翼でデネブの前を飛ぶ。この戦いを傍観している星の如き輝きの人は、仏のような悟り顔で笑いかけていた。
「なんだい、中途半端に獣な誰かさん」
「族長のクリフだっての! まぁいい。
そんなことより、あなたはまだ傍観を続けるつもりか?」
「まだってなんだい? この戦いはオレっちに関係ないじゃん? オレっちにとって大事なのは、ここがどこなのかってことと、目立たないこと。あとはポラリスちゃんと会えたら満足さ。そもそも、君は誰なのよ?」
「だから、族長の、クリフだって言ってんだろ!?
話聞いてんのかおめー!?」
名乗ってなお誰かと聞いてくるデネブに、クリフも堪えきれずに叫び返す。これまではある程度敬う素振りも見せていたが、もうすっかり雑な扱いだ。
大声でツッコまれたデネブは、無理やり掴もうとされていることもあって、腹立たしい表情で会話を続けている。
「隊長だかなんだか知らないけど、グラフくんね。覚えた覚えた。はぁ、ともかくオレっち目立ちたくないんだって」
「族長のクリフだ、アホか!? それに、あんたは現時点でも十分すぎるくらい目立ってんだよ!!」
「またまた〜、オレっちはまだ連れ戻されてない。それが目立ってない証拠だよ。いや、帰る方法ないだけだけど」
「はぁ? 何言ってるかわかんねぇし、もう何でもいいよ。
とりあえず、なぜかここに現れたなら手伝ってくれ。
断った場合、長老に直談判して入国禁止、もしくはあんたの故郷に通報とかしてもらうぞ。俺にはどっから来たのかいまいちわからねぇけど、あの方々ならわかるだろ」
「それ、意味あるの? オレっちここの名前も知らんし‥」
「ポラリスに会えなくなるぞ」
「……」
徹底的に物事に興味がなく、不可思議な視点でやや挑発的なことを言い続けるデネブだったが、ポラリスの名前を出すだけで途端に閉口する。
目も口も細くショボショボにギュッとしながら、名前も覚えていない国の役職も名前も曖昧な彼に、すがるような目を向けていた。
だが、もちろんそんな顔をしただけでクリフが折れることはない。散々世話をしているのに国すら覚えられず、振り回され続けているのだ。むしろ、勝ち誇った表情で答えを待つ。
「あんまり干渉するのは良くないんだけどなぁ……
まだ昇れないけど、いつか昇った時に怒られそう……
けど、ポラリスちゃんに会えなくなるなら仕方ないか」
しばらくすると、情けない顔をしたデネブはようやく諦めて肩を落とす。まだ全然乗り気ではないようだが、とりあえずは討伐に協力してくれるようだ。
耐えかねたライアンが岩石の嵐に押し潰されている中、彼はふよふよと煌めきを撒き散らしながら、トラルテクトリへと接近していく。
「ふぁ〜、彼女は別に敵意ないと思うけどねぇ。
ポラリスちゃんや農家の子みたいに味方にすればいいのに。
あの子達だって、獣神から少し外れてるし」
「だが、獣族だ。どっちにしろ、あの怪物は話が通じないんだから仕方ないだろ? どうしてもわかり合ってほしいなら、あんたが話を通してくれ」
「そうだねぇ、オレっちの話なら聞いてくれるのかなぁ?」
役目を終えたクリフは地上に降り立ち、ようやく参戦することになったデネブは空へ。
気怠げな表情ながら、ヒラヒラとした服や髪からキラキラを振り撒いて怪物の前に浮かぶ。
星屑のような光は質量を持っているのか、砕けた岩や塵などは一切彼にはかからない。いつものように、周りの状況にすら無関心なまま言葉を紡ぐ。
「やぁやぁ、トラルテクトリちゃん。
あんまりこの星を荒らさないでくれると助かるんだけど……
天罰が下る前に、彼らの味方にならない?」
「……」
「ほへぇ、無視? それともオレっちに惚れちゃった?」
「ゴォォ……」
自身の輝きを自覚しているデネブは、とりあえず色恋沙汰に持っていく癖でもあるらしい。それは普通の人らしくしているのか、単純に本心から困っているのか。
ともかく彼は、ローズの時と同じような言葉を無視を続けるトラルテクトリに投げかけた。結果は当然、神経を逆撫でするだけに終わる。ワニの時と変わらず言葉を話すことなく、彼女は辺りから剣を、上空の岩塊から星屑の如き礫を放つ。
「はへぇ、交渉決裂か。落石も剣も危ない危ない。
オレっちは無力なんだから気を付けてもらわなきゃ」
「じゃあ、その余裕は何なんだ〜?」
ヒラヒラした服をはためかせ、ただキラキラしているだけのデネブは避けることなくヘラヘラ笑う。そんな彼を守ったのは、潰されてもなお無傷のライアンだった。
彼は背中から土蜘蛛の足、尻からケット・シーの尻尾を生やし、その足や生み出した火の玉、氷などで岩石による攻撃を防いでいる。
助けられたデネブも、どうやら最初からこうなるとわかっていたようで、無駄に眩しい笑顔だ。
「それはもちろん、君が守ってくれるから」
「さっきまで潰れてたのは本当なんだけどな〜」
「でも、君はあれくらいじゃ死なないじゃん?
たとえ彼女が、地母神と軍神の要素を併せ持ち、その体の半分が大地に、半分が天空と星々になったとしても。
この程度の神秘に、君は殺されない」
「妙な信頼をど〜も。それで?
助けてくれると思っていいのか〜?」
絶え間なく襲い来る岩石を……この星の攻撃をひたすら防いでいるライアンは、なぜか信頼されていることに驚きながらも落ち着いて問いかける。
怪訝そうに目を細めているが、決して動きは止まらず危険な岩や木陰に潜む少年を視界に収めていた。
「ん〜、オレっちは干渉しない方が良いというのはね、面倒だからではなく事実としてそうなんだよ?
エリスや暴禍の獣みたいな大厄災が殺し合ってはいけないというのと同じ、この星を荒らさないためのルールさ。
だから、彼女を打ち倒すのはあくまでも君だとも。
オレっちは、目立たない程度にその手助けをしよう」
ライアンが必死に攻撃を防いでいる中、デネブはやはり状況を理解していないかのような態度で笑っている。
守られている関係上、舞うような動きで右へ左へと振り回されているというのに、なお興味なさげだ。
しかし、手助けすると決めたからにはちゃんとやるらしい。
ヒラヒラとした服や髪から溢れる煌めきは、段々と強まっていた。さらに、星屑の如き輝きは、やがて半獣の蜘蛛猫狼の体にも移っていく。
「ついでに聞くけど、君が力を得る対象に精霊は含む?」
「精霊〜? 俺の能力は獣限定だし、無理なんじゃねぇかな〜。神獣は意志に神秘が、精霊は神秘に意志が宿ったものなんだろ〜? ちょっと純度的に無茶振りだぜ〜」
「ダイジョーブダイジョーブ、レグルス持ってるでしょ?
あれだって、ほとんど同じ要素を持ってるからさ。
ま、とりあえずやったるかー」
一方的に話を終えると、デネブはあくびをしながらライアンから離れる。だが、彼らを覆っている星屑の如き輝きは離れず、2人の体を繋いでいた。
「攻撃は当たる。さ、構えなレグルス」
「俺はライアンな〜?」
怪訝そうにしながらも、ライアンは茨槍を構える。
槍には氷が纏わされ、デネブの光をより輝かしく魅せていた。瞬間、星の如き人はトラルテクトリの背後に現れ、彼もまた彼女の目の前に。
"アリデッド"
デネブはただ、背後に移動しただけ。
最初の宣言通り、トラルテクトリを攻撃したのは追従していたライアンだ。
胴体に直撃を受けた彼女は、目玉をぐるりとひっくり返しながらも倒れず、その槍を掴み返していた。