291-堕ちる強風
クロウ達が神秘の森――ミョル=ヴィドで暴れ回っている頃。
ケット・シーの国を出たライアン達は、次の国を目指して旅を続けていた。
しかし、アヴァロンからケット・シーの国に向かった時とは違ってメンバーが増えたので、あまり順調な旅路ではない。
もちろん、ライアンを含めた最初からいた者たち……ローズ、ヴィンセント、リュー、フー、ソン、アブカンは、変わらず先を急ぐ。
だが、キング、クイーン、ヴァイカウンテス、バロンの4人は自由人ばかりで、中々思うように進めなかったのだ。
彼らはケット・シーで小さいのため、移動に手間こそかからなかったが、それは素直に移動すればの場合。
少なからず何かに気を取られたりし、4人は各々の理由で移動を拒絶して長引かせていた。
特に酷いのは、圧倒的に我が強く、自分の世界を持っているクイーンと……
「ぷかぷか……」
どこにでもある普通の草原のど真ん中。
涼しげな音色を奏でながら流れる川で、そのケット・シーはマイペースに浮かんでいた。
白い毛並みは水を吸っているが、浮いて散らばっているので光を反射し綺麗だ。川の流れに従って、どこまでもどこまでも流れていく。
「ちょっ、ヴィーさんどこまで行くんです!?」
ダラダラと水に浮かんでいるヴァイカウンテスを追うのは、パーティの苦労人枠――ヴィンセントだ。
彼は主であるローズ達からも離れ、気ままにどこかへ流れていく仲間と並走している。
他の仲間は体調不良や自分勝手、論外のケット・シー組なのでほとんど誰も同行していない。とはいえ、誰一人同行せずに任せっきりという訳でもなかった。
同じように気ままな詩人――森の狩人のソン・ストリンガーは、ポロロンとハープボウを弾いている。
なぜついてきたのかもわからないが、よく走りながら演奏ができるものだと感心してしまうくらいだ。
しかし、ヴィンセントからすると、自分が必死に追ってるのに手伝わず見てるだけなので、堪ったものではない。
ポツポツと言葉を紡ぐ詩人に対して、食い気味に呼びかけている。
「川は海に、海は世界に。水はこの星を繋ぐ糸だ。
放置しておくと、きっとどこまでも漂流することだろう」
「うん、だから追いかけているんですよね!
ソンさん、ついて来たなら手伝ってくれません!?」
「……ふむ。では、釣り上げるとしよう」
彼に頼まれたソンは、そのままハープボウを奏で続ける。
だが、今回響いたのは音色だけではなく、ヴァイカウンテスの手にはいつの間にか細く丈夫な糸が巻き付いていた。
糸は流れ行くケット・シーの体を引っ張り、決してそれ以上川下に流させない。唐突に自分を縛ったものの圧力に、当のヴァイカウンテスは歪な体勢になりながら変な声を漏らす。
「ふぇ?」
「釣りって、文字通り釣りですか!?」
「うむ、一本釣り……といったところだ」
釣り上げられたヴァイカウンテスは、綺麗な軌跡を描きながらソンの腕の中に吸い込まれていく。
彼は人型で、彼女はケット・シーのままだが……
この光景を一言で言い表すとしたら、きっとお姫様抱っこということになるだろう。
あまりにも見事な手際に、ヴィンセントは困惑を隠せない。
ホッと一息つきながらも、瞬きを繰り返していた。
この後も、ヴァイカウンテスの川下り等の奇行が繰り返されることになるが、回収はもっぱら彼の仕事になる。
バロンは面倒事を押し付けられる人物が現れて、心の底から満足そうだった。
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「おや? 君達には少し心配事があるみたいですね」
キングの怠惰、クイーンの我儘、ヴァイカウンテスの気ままさなどが抑えられ、比較的旅が順調に進んだ日の夜。
眠る仲間たちから少し離れた場所で、三毛猫のバロンは座り込んでいるヴィンダール兄妹に話しかけていた。
彼に呼びかけられると、暗がりで星空を見上げていたリュー達はゆっくりと小さな影を振り返る。
その表情は険しく、目はどこか不安げに揺れていた。
だが、兄である彼は決してその感情を言葉に出さない。
苛立ったように顔をしかめながら、言葉を紡ぐ。
「んだよ、なんの脈絡もなく」
「……不安」
「妹ちゃんは正直ですね」
リューとは違って素直な言葉を口にするフーに、彼は優しく笑いかけながら隣に座る。兄は鼻を鳴らすが、妹が嫌がっていないからか文句は言わない。
3人の間には、不思議な沈黙が満ちていた。
「リューくんが不安なのは、ミョル=ヴィドの友達のこと。
妹ちゃんが不安なのは、アールの人体実験かな?」
しばらく経ってから、バロンは穏やかに問いかけた。
それを聞いたリューはさらに顔をしかめ、フーは表情の薄い顔で目を向ける。
「どうでもいいだろ、そんなこと」
「……うん」
「あはは。どうでしょう? 私は森の相談役です。
不安なことがあるのなら、私に話してみてください」
相変わらず、2人はそれぞれ真逆の返答をしている。
しかし、ケット・シーの国で森の相談役をやっていたバロンの対応は、どちらにしても変わらない。
穏やかな表情のままで、自分の役割である相談を受けようと話を促していく。すると、フーはそっぽを向いたリューとは違って不安を口にした。
「ヴィニー、実験、見た……お兄ぃ、悲惨、怖い……」
「うんうん。正直に言うと、私もあれには引きましたよ。
いくらなんでも、度が過ぎていました。ただ……
そうですね。実験が終わってしまえば、もう彼に害はないと思いますよ。残ったのは、リューくんの強化だけですから」
「強、化……?」
断言するような言葉に、フーは不思議そうに首を傾げる。
密かにリューが耳をそばだてている隣で、バロン達の会話は続けられていた。
「彼は『じきにその薬はリューくんの体に馴染み、完全に力を操ることができる』と言っていた。
つまり、あの実験は彼の趣味であると同時に、リューくんの戦力アップのためのものでした」
「……力、なに?」
「それはわかりません。しかし、アールの出自を考えると……
可能性が高いのは、3つの戦闘民族。
そのどれかの力を注入された、といったところでしょうか。
助言できるとしたら、体の奥から湧き上がってくる力に身を委ねること。いいですか、リューくん?
君が耐えた苦行は無駄ではなかった。
友を助けるための力を、あなたは得たのです」
顔を背けているリューを、バロンは真剣な瞳で見つめる。
この相談はからフーのものだったが、そもそもの内容は彼に関するものだ。いつの間にか対象は彼に移り変わっていた。
自分に行われた実験、3つの戦闘民族、強くなったと思われること。それらを聞いたリューは、不機嫌そうに立ち上がって言葉を零す。
「……ふん。結局俺は、どこまで行っても実験体なんだな。
プセウドス、レーテー、ファナ、アール。
どいつもこいつも、俺を好き勝手弄りやがる。
小せぇ頃から、大きくなった今になってまで。
なぁ、フー。俺はあいつらを恨んでもいいかな?
お前を守りたいと願って神秘に成った俺だけど。
聖人として在った俺だけど。心の、ままに……」
「…………うん」
「そっか。なら、俺はクロウのことが終わったら、次はあの科学者共に復讐する。あの2人の母親である、エリスにも。
……はぁ、気持ちが定まると、落ち着くもんだな。
今はどこか、スッキリした気分だ」
妹の同意を受けたリューは、禍々しい風を纏って空を舞う。
"恵みの強風"だったモノは、普段からコロコロと人格が変化していた不安定な神秘は、壊された後に生まれた決意でようやく安定する。
聖人の時のような弄られた神秘ではなく、たしかに自分だけで成り立つ神秘として、彼は魔人に。
世界を荒々しく揺らしながら、恨みを高めていた。
決してフーは傷つけさせない。
だが、それ以上に。自分達を使って散々実験していた多くの科学者達を、その関係者であるエリスを、許さない。
妹を守るという正の感情を塗り替え、自分達に手を出してきた者達を殺すという負の感情に支配された彼は、もはや聖人ではなく。
世界はそれを、何かを救う祝福すべきものではなく、害悪となった呪いを振りまくものだと認定する。
彼は聖人から堕天し、魔人に。
その身に宿る神秘も、祝福から転じて呪いに。
"恨みの強風"-リューは、周囲の草木を激しく揺らしながら、敵を滅ぼすべく怒りを発露させていた。