286-レーテー、レーテー
「強がりはよくない。内に秘めたものくらいあるだろうに」
「……!?」
ルーン魔術の奔流を受けてもほとんど無傷のアーハンカールに俺達が唖然としていると、その足元からも聞き覚えのある声が聞こえてくる。
彼も面倒くさそうに足元に視線を送っているので、間違いなく彼の足元からの声だ。すると当然、そこにいるのはラークということになるんだけど……
「戦闘中に弱みを見せるバカがいるのかな?
味方を名乗るならもっとうまく立ち振る舞おうぜ?」
果たしてクレーターの中から起き上がってきたのは、直前にアーハンカールの拳で叩き潰されたはずのラークだった。
彼は砕けた鎧を引っ剥がしながら、顔から足まで全身真っ赤になった姿を俺達の前に見せる。
頭にも手足にも、明らかに潰れているような箇所があるのに、何事もなかったかのような立ち姿だ。
一体どうやって立っているのか、意味がわからない。
「相手が十全ならば手は抜けない。相手が弱っているのなら油断が生まれる。一概に悪手とは言い切れない」
「おれと彼らじゃ前提が違うでしょ。彼らにとっておれは、弱っているうちに倒すべき相手だよ?」
「勝てるとの希望、逸る心持ち、油断以外にもある」
「めんど……もういいや、消えてろ」
ラークは強がりだとバラした割に、特に悪意などはなかったようだ。淡々と彼に自分の意見を押し付け続けている。
だが、最初から普通にそれを嫌がっていたアーハンカールは、途中で討論を放棄して再び彼に向かって鋼の如き拳を振り下ろした。
"クシャナガントレット"
先程とは違って、連撃ではなく一撃。
全体的に叩きつける雨のような乱打ではなく、ラークの胸に深く突き刺さる槍のような一撃が繰り出される。
いきなり討論を放棄して放たれたそれは、ほんの一瞬で彼の胸を抉っていた。
「ふッ……!!」
とはいえ、直前にもアーハンカールによってタコ殴りにされたラークなので、今回は無抵抗に受けたりはしない。
胸を抉られながらも、その拳と同じ方向に動くように柔軟に体を動かして、完全に貫かれることは回避していた。
穿たれた胸部からは血が吹き出しているが、既に全身が叩き潰されているので、見た目に変化はなしだ。
頭から胸、手足と、あらゆる部位から鮮血を吹き出しながらアーハンカールに斬りかかっていく。
「こっの蛇男め……」
「ならば貴方は獅子男だ」
最初から邪魔者と見なしていたアーハンカール同様、ついにラークも彼を敵と見なしたようだ。
本来裁くべき罪人であり、餌と見なされていたはずの俺達を無視して殺し合いを始めている。
これは……逃げるべきか?
もうアーハンカールの戦闘スタイルや実力はこの目で見れたし、ラークという粘着質な追撃者も押し付けられた。
さっさと撤退するのが最善な気がする。
「お前ら、今のうちに逃げるぞ。もう見たいものは見れたし、円卓までいる時に戦うのは無理だ」
「あっそう? あはぁ、よかったー。
今の僕があれについて行くのは、流石にキツイからねー」
「はぁ!? ふざけんな!! 俺様は逃ーげーねーぇー!!」
「大人しくしていてくれ。不快な音を聞かせられたいのか」
「……」
恥も外聞もなく撤退を提案すると、ほとんどの仲間もそれに同意してくれる。今までも怠惰、色欲、嫉妬の間でそれぞれ逃げ出したのだから、今更だ。
というか、その前にオリギーなんかからも逃げている。
審判の間に落ちてからの俺達からすると、本当にいつも通りの行動でしかない。
唯一セタンタだけがいつも通りごねていたが、ヘズに脅されたことで黙り込み、大人しくついてき始める。
ガノは肩に乗せたロロと話しているのか、口を挟むことなく周りの動きに合わせて後をついてきていた。
レーテーは……よし、闘技場の入り口にいるな。
走れなくても今なら全員負傷無しで運べるから……ってあれ?
ヘズが警戒していたミディールは、彼を襲ってたりはしないんだな……?
「おいヘズ、ミディールって‥」
「罪人が逃げるぞー!! 守護者も円卓もこっち見ろー!!」
「いっ……!?」
アーハンカール達から逃げながらも、俺がふと気にかかったミディールについて聞こうと口を開くと、まさにその瞬間。
闘技場の上からは初めて聞く誰かの声が響き渡り、その声に呼びかけられたラーク達は、俺達の逃走に気がついてこちらを向いてしまう。
誰の声かは知らないが、さっきまで黙っていたはずが唐突に愉快な声で余計な事を言うのなんて、ミディール以外にはありえない。ずっと影からコソコソ影打ちしてきたくせに……!!
「ちょっとちょっと、せっかく久々に羊以外が食えそうなのに、逃げるなんてひどくない? 蛇男にばっか構っちゃってごめんね? ちゃんと食べてあげるから逃げないでよー」
「罪人は得てして逃げるもの。それに気が付かぬとは愚かしいことこの上ない。やはり助力が必要だ」
「……うん? まさかそれっておれに言ってる?」
「……? 言葉足らずだったか。両方だ」
「2人して、互いに助け合う、とかって言えよ。めんどいな」
逃げる俺達に気がついたラーク達は、若干言い合いを続けながらも、共通の敵を見つけたかのように息を合わせて迫ってくる。
少なくとも俺達の逃走を止めるまでは、このまま停戦したままで襲ってきそうだ。アーハンカールとか言ってることがおしいし、冗談じゃない。
食べられるってわかってて逃げないやつなんて、この世界にいないだろ……!! オリギーのような怖さはないが、目的が彼よりも悍ましくて怖すぎる。
しかも、追ってくるのは当然あの2人だけじゃない。
彼らの意識を俺達に向けた張本人……暗殺者のような黒装束を着ているミディールは、闘技場の上から降りてくると、またも影に潜って厄介な攻撃を仕掛けてきていた。
"エーディンの影溜まり"
彼が逃げ場を奪うように仕掛けてくるのは、辺り一帯が影になったかのような影の海だ。殺傷能力こそないようだったが、俺達は影に足を取られて思うように進めない。
しかも、ところどころ噴水のように影の柱まで作っているので、面倒なことこの上なかった。
もちろん、今まで影から飛び出して奇襲してきたり、影から無数の武具を飛ばしてきた彼が、足止めだけで終わることはない。
"アイリッシュ・エーディン"
闘技場いっぱいに広がった影からは、少し前もしてきたように無数の武具が放たれており、俺達は踊るように避けさせられていた。
それらはあくまでもただの武具なので、おそらく直撃してもそこまでの傷を負うことはないだろう。
当然神秘は込められているだろうが、数も多く、ミディールの手から離れている以上、致命傷は受けない。
ただ、だからといってダメージがない訳ではないし、多少でもケガをすれば動きが鈍ること間違いなしだ。
地面から天井へと雨のように打ち上がる武具を避けない訳にもいかず、俺達は前に進みながらも踊らされ続ける。
ひたすら邪魔ばかりしてくるの、もううんざりだよ……
「クソっ、面倒くせぇやつだなミディール。
あんまり強いって感じはしねぇけど、厄介すぎる」
「対策に音はあまり効果がない」
「クククッ、地面抉っても影なんで無駄ですよねぇ」
「数撃ちゃ当たる、ルーン爆撃だゴラァ!!」
"R.C,K.H.I.S.T.B.L."
俺達のほとんどが影の妨害に辟易としていると、セタンタはいきなり杖の先端を輝かせ、周囲にルーン石を舞わせる。
もちろんそれらはすぐさま砕かれ、いつも通りに単純な炎や光などの奔流が迸った。
彼の言葉通りに、四方八方にやたらめったら撃ちまくられたルーン魔術は、影をわずかに押し流して森を破壊していく。
どこかに潜んでいるラークは見えないが、堂々と真正面から接近してきていたアーハンカールにも直撃だ。
「いやね? たしかにおれは物量で攻められると対処に困るけどさ、対処する必要がなければ意味もない訳で」
しかし、地面を大きく抉って遠くの壁を破壊する勢いだったルーン魔術は、やはりアーハンカールには通用していない。
彼は炎や氷、雷、風などが吹き荒れる地獄の中で、依然無傷のまま進んできていた。
周囲が破壊されても止まらないとか、たとえ力任せのルーン魔術しか使ってないにしても無茶苦茶だ。
この感じだと、俺も斬れねぇぞ……!!
「もう少し強いイメージを持ててないと、ルーン魔術が神秘そのものである存在に勝つことはないからね?
炎を剣にするとか雷を槍にするとか、もっと工夫したら?
砕くだけで使えるんだから、手軽なもんじゃん」
「うっせぇ!! ドカーンって撃てば敵は吹っ飛ぶんだよ!!」
「できてないから、今きみは殴られてる」
"クシャナガントレット"
あらゆる属性によって地獄のような様相を見せる森の中で。
アーハンカールは三度、俺達の前から姿を消した。
次に現れたのは、杖を構えるセタンタの前。
槍は杖を使うために手放していて、防御にそれを使う訳にも行かない彼は、刹那の拳に腹部を穿たれて吹き飛んでいく。
「カッ……!?」
「セタンターッ!!」
雷閃が軽くいなしていたようだが、それでも無防備な横腹は掠っただけで貫通し、血を吹き出している。
このまま追撃されたら終わってしまいそうだ……!!
見えない傷で本調子じゃない雷閃に、これ以上無理はさせられない。今は碧眼からの光で身体強化をしているから、ほんの少しでも俺が……
「真横にいるぞ、ラークが!!」
「……!?」
森がボロボロと崩れ行く崖のようになっていく中、影はその表面を朧気に覆っている。ヘズを聞いて警告に向いた先にも当然影の柱が立ち昇っており、死角からは薄汚れた刃が突き出されていた。
アーハンカールに向かいかけていた俺では、とてもじゃないが避けきれないタイミング……!!
「君は邪魔を‥」
「はいはい、すみませんね。ちょっと失礼しますよっと。
あんたは小生が邪魔させていただきますぜ」
やはり真っ先に反応して動き始めた雷閃は、黒装束の暗殺者――ミディールの襲撃で強制的に刀の向きを変えさせられる。
こうなったら、俺は無理やり体を捩ってでも自力で防ぐしか無い……!!
"ラッキーダイス"
とてつもなく遅く感じる時間の中で、俺は剣の向きを変えながら能力を使う。この体勢から自分で運を決めるなんてできない。もう出てこないチルにも頼れない。
こうなったらもう、本当の本当に運任せだ。
実際にダイスを振るわけじゃないけど、何かしらの幸運が訪れることを、ただ信じる……!!
世界はゆっくりと動き続ける。
目の前には不気味に立ち昇っていく影の柱、遠くにかすかに見えるのは俺達が目指すべき闘技場の入り口。
影の切れ目から辛うじて見えたその場所には、レーテーの他にもう一人……どこかで見たような神父が立っていた。
本日の夕方より、呪心の行事の書で、「霧晴らす知恵の樹」と同じく2.5章的な立ち位置にあるイベントストーリーの投稿を始める予定です。よろしくお願いします。