264-花は石に潰されて
「この花、声……元凶は"楽園を飾る花"か」
少し前まで戦っていたソフィアさんに代わって、逃げ回ってなんとか誘導を終えた俺の耳には、バロールの低いつぶやきが聞こえてくる。
視界が花びらに覆われたことからも察していたが、どうやらちゃんとアンブローズの近くにまでやってこられたようだ。
俺にはその姿はまだ見えないけど……
「……理解。利用、拒絶、この場にいるすべての鏖殺を遂行」
直前までバロールの標的となっていた俺としては、相性の悪いアンブローズよりも彼から逃れることが優先だ。
花びらに紛れたことで誘導できていたけど、こいつ相手に姿をまともに晒すことは、死を意味する。
それはもちろん、見つかったら叩き潰されるなどということではないので、絶対に視界に入る訳にはいかない……!!
"バロルの双眼"
最初は右目に眼帯をしていた彼は、現在それを額にまでズラして右目を晒している。白く輝くその瞳から放たれるのは、見た全てを石化させてしまう魔眼だ。
もちろん、最初から晒している左目も赤いままなので、視界に入るものは全て燃え上がってもいた。
花びらも、木々も、彼の目の前にあるすべてのものは、石となって燃え上がる……
ただちっぽけな運しか持たない俺からしてみると、もう本当に堪ったもんじゃない。防ぐ手段なんて隠れてることくらいしかないので、バレたら即死だ。
速やかに標的をアンブローズにすり替えて、俺はセタンタ達と一緒に逃げさせてもらう……!!
幸いにも、バロールはこの花を生み出している元凶――魔術師アンブローズを知っているようなので、優先順位はあっちの方が上になっているはずだ。
その分、彼は周囲を見回すことで花びらや木々を次々に燃え上がらせて石化させていて、恐ろしいけど。
「クロウ君!」
「ヘズ!!」
花に隠れられるように身を低くして走っていると、しばらくしてその音が聞こえたらしいヘズがやってくる。
最初に合流できたのが彼で良かった……
「アンブローズから逃げるためにバロールを誘導してきた!!
あいつらがぶつかってる間に逃げるぞ!!」
「了解した。セタンタ君達に指示を飛ばそう」
"世界の調べ"
俺が状況を説明すると、彼はすぐさま理解して他の仲間達に声を届け始める。まずは居場所を探るように声を響かせて、正確な位置を察知すると同じような内容を告げていく。
その間に、俺はロロに頼んでヘズに念動力の補強をさせて、さらに離れすぎないように見えないロープに繋いでもらう。
燃え上がって石化しながらも、まだまだ視界を遮り続けている花びらだったが、ヘズに視界は関係ない。
ガノから聞いた向かうべき方向も共有し、見えないながらも全員でバロール達からの逃走を開始した。
「捉えたぞ、"楽園を飾る花"」
「くぅぁ……!!」
だが、当然俺達が逃げる準備を整えている間にも、バロールとアンブローズの戦いは続いている。
燃えても石化しても視界を覆い続けていた花びらの世界だが、ついにその切れ間から、彼女自身が魔眼の視界に入ってしまったようだ。
声のした方向を見上げると、そこには半身を石に変えているアンブローズの姿があった。彼女は魔術師らしく、多少はその力に対抗しているようだが、完全に防げてはいない。
空を飛んで再び身を隠しながらも、じわじわと石になる部分は彼女の体を侵食してしまっている。
いやいや、魔眼のバロール恐ろしすぎるだろ……!!
「すみません、遅れましたアンブローズ様」
「……!! ソ、フィア……!!」
「罪人よりも優先すべきは魔眼のバロール。我らも撤退するべきでしょうが、ひとまずその解呪を。時間を稼ぎます」
俺達が一目散に逃げていると、背後ではしれっと戻ってきたソフィアさんとアンブローズのやり取りが聞こえてくる。
どうやら目論見通り、俺に逃げられた後に合流できたという体でいけそうだ。
それ以前に、彼女ならバロールの魔眼も回避しつつ攻撃することができるので、俺達が逃げるのも楽になるだろう。
というか、仲間全員に連絡を終えているのだから、多分もう逃走成功と言ってもいい。
見られたらゲームオーバーなので、もちろん油断することはできないけど、気持ち楽になる。
俺はソフィアさんがバロールと戦っていることも知らせて、全力でこの区画を出るべく走り続けた。
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クロウが仲間達と共に、死の気配が渦巻く花びらに包まれた空間から逃げている中。
密かに彼を逃がそうとしているソフィアは、花びらに紛れながらもバロールとまっすぐ向き合っていた。
体の半分以上が石化しているアンブローズも、空から地上へと降り立って解呪しているので、もうクロウ達を追う余裕はない。
表立っては円卓と敵対するつもりのない彼女だったが、目的を果たすことはできたと言えるだろう。
もちろん、アンブローズもガノ達をまとめて相手にできる程の強者なので、瀕死の状態ながらも無事だ。
そのため、彼女は見られるだけで即死しかねないバロールを前にしても、一切余裕を崩さずに双剣を構えている。
「私は泉。美しく、淡く、儚く、遥かに遠く……どこにもおらず、どこにでもいる。静かに密かに揺蕩う湖上……
さて、私は一体どこにいるでしょう?」
"アラウンドレイク・アロンダイト"
花びらに包まれたこの空間は、今は湖上に舞う花吹雪。
ピチャピチャと落花で揺れる水面に、距離や視界などは関係ない。
バロールが彼女の居場所を探している隙に、彼の背中、腕、足などを縦横無尽に斬りまくる。
さっきは誘導のために本気ではなかったのか、硬い肌は綺麗に裂けて鮮血を散らしていた。
「……魔眼、限定解除。最終段階を解放。魔眼、完全解放」
硬質化した肌を貫かれたバロールは、ゆっくりとそれを確認してからそっと目を閉じる。押し寄せる斬撃を気にせず手を持ち上げると、額に押し上げていた眼帯を引き千切った。
"バロルの真眼"
露わになった額にあったのは、普通の人間にはない3つ目の瞳だ。最後まで隠されていたその目は、他の2つとは違って何も見えない。
まるで空洞のように、黒々とした虚空を見せていた。
そして、その視界に入ったものは、燃え上がることも石化することもなく、活動を停止していく。
花びらに包まれた世界は、ミョル=ヴィドの地下に広がっている畏ろしい森は、彼の視界に入るだけで死んでいた。
「湖で私は踊りましょう。ここは幻想なる白鳥の湖。
聞きしに勝る、神鳥達のワルツ」
先程までよりもあっという間に死んでいく世界に、ソフィアも厳しい表情になって移動を開始する。
このペースでは居場所を悟られるのもすぐだ。
滔々と言葉を紡ぎながらも、湖に舞う白鳥の如き優雅さで彼の周囲を巡っていた。当然、撹乱するのなら単独よりも複数が理想的であり、彼女は1人ではない。
ピチャピチャと水面を揺らすのは、今は花びらと彼女だけではなく、彼女とよく似た姿をした水の分身達も舞っていた。
"白鳥の湖"
とはいえ、一度でもバロールの視界に入ってしまえば、それで彼女達は終わりだ。撹乱でもあり、同じように双剣を振るう騎士でもある分身達は、本体を隠すためにも次々と死んでいった。
「死はすべからく生命に訪れる。たとえ神秘であろうとも、同格の神秘に殺されれば、死んでしまう……」
「是。汝は強く、一瞥で終わりは来ないとしても……
弱り、衰え、死を現実のものとする」
「見せない、見ない。私はあなたに殺されない」
口から血を流しているソフィアは、バロールの力を受けその言葉を聞きながらも、変わらず彼の周囲を舞う。
水面を滑るように淀みなく、白鳥が羽ばたくように軽やかに飛び、やがて決意とともに湖を輝かせる。
"フォンテーヌ・サンティエ"
幻想的な湖は、バロールの魔眼を封じるように光で満ちていく。その中心では、巨人と相対する湖の騎士が光で輝きながら舞っていた。