242-憤怒の間の闘技場
ガノがかき集めてきた果物によって、セタンタの機嫌を取りながら歩くこと十数分後。俺達は、カムラン付近の森の地下にあるという、憤怒の間にやってきていた。
間というだけあって、目の前に広がっているのは余計な危険植物などは生えていない空間だ。
もちろんここも地下ではあるので、空は岩やツタ、葉っぱなどで覆われており、四方も最終的には壁に行き着く。
だが、アリの巣のように繋がっている広いエリアの中でも、特に広い場所らしく最初の洞窟並みに開放感がある。
さらには……
「……羊?」
俺の目の前を通っているのは、かなり立派な角を持っているが、なぜか犬のようにスマートな見た目をしている羊のような生物だった。
天井の岩や草木の隙間から差し込む光を浴びているそれらは、人間が来てもまるで気にしていない様子で、のんびりと草をはむ。
強力な神獣が守る審判の間の1つ……憤怒の間とは思えないような長閑な光景が、ここにはあった。
そんな中、ガノにもらった果物に夢中になっているセタンタは、それらに気づかず群れのど真ん中に向かって突き進んでいく。
「ちょっ、おい!?」
「あー? 何だよクロウ?」
俺は慌てて静止するが、彼は振り返りもせずに歩き続ける。
羊たちの群れはもう目の前だ。
「前見ろ前! 神獣の群れ!!」
「こいつらアルゴラシオンだろ? 憤怒の間に似つかわしくないくらいに温厚な神獣だぜ?」
「え、そうなのか……?」
群れのど真ん中に到達したセタンタだったが、その言葉通りに羊たちは彼を襲わない。それどころか、鳴きながら遠くに逃げていった。……憤怒の、間?
ちらりとガノを見てみると、彼は彼でのんきにあくびをしている。これから自分と同等以上の神獣と戦うとは、とても思えないような姿だった。
ついでに隣を見てみても、目を閉じているヘズは無反応だ。
音的にも羊たちは危険な存在ではないのか、憤怒の間の奥にある闘技場らしきものを眺めている。
当然、ロロは論外だ。身に差し迫った危険などがないため、自由にそこら辺を駆け回っていた。
セタンタはもう離れて行ってしまったので、俺は一応案内役と言えなくもないガノに問う。
「なぁ……ここが憤怒の間?」
「えぇ、その通りですよ」
「お前より強い神獣が守っている試練の1つ?」
「えぇ、間違いなく」
「じゃあ、この羊、何?」
「守護者の率いている群れですよ。
彼らのボスが、憤怒の間の番人です」
「……この温厚な羊のボスが、憤怒?」
「ククッ、間違いなく憤怒です」
信じられなくて質問を重ねていくが、もちろん彼はその問いを肯定し続けた。ここが憤怒の間で間違いなければ……だが、ここにいるのは羊――アルゴラシオンだけなので、間違いようもないのだろう。
ただ、どこか思わせぶりというか、若干何かを隠しているというか、反応を楽しみにしている様子なのが気がかりだ。
アルゴラシオンの温厚な生態に油断しないよう、常に警戒を怠らずに向かうことを心に決める。
あと、一応ロロとヘズにも確認を取っておくか……
「ロロ、感知は……」
「オイラ、ここでは何もわかんないよ!」
「あいわかった。ヘズは音で何かわかるか?」
「そうだね……あの闘技場にデカいのがいるかも……くらいか」
「……リョーカイ、行こう」
どうやらなにか探ろうとしても無駄らしい。
そのことを理解した俺は、諦めて地下の草原を歩いて闘技場へと向かった。
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青々とした草原の広がる憤怒の間では、いたるところで温厚な羊――アルゴラシオン達が寝そべっている。
近づけば逃げていくが、やはり襲ってくるものは皆無だ。
俺達は誰の妨害も受けることなく、あっという間に闘技場に辿り着いた。といっても、地下に7つもある内の1つだからか、そこまで派手なものでもない。
憤怒の間の中央辺りに、楕円形をしたただ分厚いだけの壁と、草の生えていないフィールドがあるだけだ。
そして、その真ん中で待ち構えていたのは……
「くっそ、もう果物なくなっちまった!!
まぁ別にいいか、何か戦うらしいしな!!」
なぜか堂々とあぐらをかいて座っているセタンタだった。
彼はまだ守護者がいないのをいいことに、闘技場のど真ん中を果物の食べカスで汚しまくっている。
いや、何で……?
ヘズが言うには、なにかデカいのがいるって話じゃなかったか……? 誰もいないどころか、無法すぎるだろ……
「……ヘズ?」
「……おかしいな」
とりあえずセタンタは無視して、ここにいると探知したはずのヘズに問いかける。しかし、やはり彼にとっても予想外のことらしく、困ったように首を傾げていた。
ここに守護者がいるとして、どこに?
ここに守護者がいないとして、どこに?
どちらにしても、俺達の目的を達成するのは限りなく不可能に近くなってしまった。
……いや、本当にどうしたらいいんだ?
温厚な神獣っていうことを何度も聞いたけど、温厚な相手は戦いを始めることすらむずいってか?
「おい、ガノ! 本当にここが憤怒の間なのか?
外にいるのは羊ばっかだし、闘技場には誰もいねぇし!」
「……いや、本当にここのはずなんですがねぇ」
後ろからやってきていたガノを問い詰めてみると、どうやら本当に合っているらしく彼は眉をひそめる。
騙している可能性もなくはないけど……ティタンジェルに落とされた時と違って、今回はその素振りも理由もない。
本当にこの場所は憤怒の間、ヘズがこの闘技場にデカいのがいる音を聞いた、でも実際にいたのはセタンタ。
……いや、本当にどういうことだ?
「あー……でも、もしかするともう少ししたら現れるかもしれません。おいクソガキィ。追加の果物やるよ、崇め奉れ?」
予想外すぎることに俺が混乱していると、しばらく考え込んでいたガノがセタンタに果物を投げつける。
意味も分からないが、わざわざ喧嘩腰なのがさらに謎だ。
一段下がったフィールドにいるセタンタは、それを受け取りながらも彼の言い方に噛み付いていった。
「あぁん? このセタンタ様への貢ぎ物なので、ぜひお食べくださいの間違いじゃねぇのか!?」
とはいえ、ついさっき果物がなくなったことを嘆いていた彼なので、もちろん行動は正直だ。
ガノの喧嘩を買って怒鳴り返していながらも、口はその果物を咀嚼している。
やはり夢中になって食べているため、闘技場にはまたも汚く果汁が飛び散っていた。すると……
「おやおや。昼寝をしている間に騒がしくなったと思えば、まさか神聖な試練の場を荒らす輩が現れようとは」
「……!?」
果物を投げつける前にガノが言った通り、この場にはどこからか低く穏やかな声が響いてきた。
無視して果物を食べ続けるセタンタの代わりに、警戒を高めて周囲を見回してみるが、やはり姿はどこにもない。
しかし、闘技場内にはたしかに不思議な緊張感が満ち始めている。姿は見えないものの、アルゴラシオンのボスがいることは確実だ。
「おいガノ、どこにいる!?」
「ヘズに聞けよ、音の神秘だろ?」
「ヘズ、どこだ!?」
「……上」
ヘズに探知を頼むと、彼は今度は迷わず方向を示す。
慌てて言われた通りに空を見上げれば、俺の目に映ったのは当然スマートな羊だ。
だが、彼は少し前のゴリラ達程ではないにしろ、俺達の2倍はありそうな巨体をしている。
おまけに、他の羊たちとは違って二足歩行だった。
「人間らしく、おぞましいまでの愚行。
あぁ、到底看過できるものではありませんよねぇ……?」
どうやら分厚い壁の上で昼寝をしていたらしい彼は、ドスの利いた声を轟かせながら凄まじい勢いで空から降ってくる。
落下地点は食事中のセタンタの上。
俺達の目の前には、強靭な腕でセタンタを頭から地面に叩きつけながら、全身の綿毛を膨れ上がらせている凶暴な羊の姿があった。
当初の予定よりも強キャラにしすぎてしまったお方です……