231-ヴィンダールは実験体
「終わった〜……!!」
討伐依頼を終えたライアン達が、ローズ達と共にクイーンの相手をし始めて数日が経った頃。
王様の住処で仕事を押し付けられたデュークを手伝っていたヴィンセント達も、無事に依頼を完了していた。
現時点までに残っていた仕事を終えたことで、地面に落ちた木の葉のように倒れ込むデューク。隣でメガネを直しているバロンも、珍しくかっちり仕事をしていたからか軟体動物のように弛緩した状態だ。
「いやぁ、疲れた……けど、いい経験になりました」
そんな今にも風に飛ばされそうな感覚を受ける翡翠色の毛玉に、ヴィンセントは疲れた表情をしながらも笑顔で声をかける。
彼は他の2人とは違って人間なので、やはりある程度はこのような仕事にも慣れていたようだ。何百年ぶりにか片付けまでされたこの部屋で、唯一倒れずに立っていた。
しかし、床に倒れているからといって、身動き1つ、会話1つできない訳では無い。ヴィンセントの言葉に反応した彼らは、猫の神獣らしくゴロゴロくつろぎながら、今回終わらせた仕事やこの依頼を受けた理由について話を続ける。
「ははは……私はこんな経験いらなかったんですけどねぇ」
「結局最後まで手伝ってくれてありがとう、バロン。
経験はともかく、ぼくへの貸しは有用……だよね?
何かあれば、仕事を放置してでも助けるよ」
「はは、それはそれで問題ですって。それに、私はあなたを手伝う彼を手伝っただけ。少ーし補助しただけですよ。
王様の説得に協力してくれればいいんじゃないですかねぇ」
「わかった……任せて。王様が戻ったら、絶対に協力させる。
どうせあの人、ここの仕事まったくしないし……」
ヴィンセントはもちろんのこと、バロンに対しても恩を感じているらしいデュークだったが、彼に王様の説得を頼まれると突っ伏したままで宣言した。
セリフはいつになく勇ましいが、見た目は起きているのかも定かではないようなだらけ具合だ。ギャップが凄まじい。
そのやり取りを聞いたヴィンセントは、苦笑しながらこの後の予定を話していく。
「あはは……まぁ、たしかに王様が加勢してくれたら頼もしいんですけどね。でもとりあえず今は、他の依頼の状況を確認したいかな。バロンさん、案内お願いしても良いです?」
彼が口にしたのは、怠惰な王様を説得するための交渉材料――魔獣討伐、アールへの協力、クイーンの相手という他の依頼は終わったのか確認したいというもの。
ヴィンセントの担当は終わっているが、他の依頼も仲間達に任せっきりにするつもりがないというものだった。
最終的に王様を説得することに変わりないが、その前の外堀を埋めるという過程があるのだから、まだ休憩はなし。
暗にそう言われたバロンは、自分も付き合うことになるためややハイになって了承する。
「ははははー、私はただの相談役だったんだけどなァー!
いつの間にか便利屋になっている気がしますねぇー!
えぇえぇ! もちろん案内いたしますとも! ははははは、今までのんびりしていたツケなのか、やたら忙しい!」
「えっと……なんかごめんね?」
「いえいえ、相談事ならば私にお任せを。
さぁ、狂学者の研究所へ向かいましょうか!」
「お、おー……」
若干引いた様子で謝るヴィンセントだったが、案内してもらえるというのなら特に言うことはない。
疲れからかテンションの高いバロンに応じて掛け声を上げると、寝床まで這っていくデュークに挨拶をして王様の住処を去っていった。
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「こんにちはー! アール殿はいますかー?
数日ぶりですが、その後進捗は如何かなー?」
彼らが王様の住処を出てから数十分後。
狂学者、変人学者などと称されるアールの研究所には、未だハイになったままであるバロンの声が響き渡っていた。
とはいえ、研究所の1階には最初から人がいない。
どこかこの森ではない場所を映したモニター、怪しげな薬品が並べられた棚、何かの角や牙、翼などが置かれた机のある部屋に、ただ声だけが響いている。
やや決まりが悪そうにしているヴィンセントは、彼の後ろに続きながらも、どうにか落ち着かせるべく声をかけていく。
「あの……バロンさん? ここには誰もいませんよ。前回も2階にいましたし、1階は使われてないんじゃないですか?」
「ははははは! 別にこの階に人がいると思ってませんよ!
1階は実験の場ではなく、ただの物置ですからね!
ほら、あれを見てみてください」
彼に静止されたバロンは、変わらず笑いながら前方にあるものを指差す。その先にあったのは、円柱状で淡い光を放つ巨大な装置内に置かれている、以前はなかった薬品のサンプルのようなもの。
淡い光を放っている円柱状の装置も、その中に置かれた大量の薬品サンプルも、一体何なのかまったく理解できないものだった。
いまいちどういう意図だったのかわからないヴィンセントは、少し黙り込んでその装置を見つめた後首を傾げる。
「……えっと、あれがどうかした?」
「あの装置は備え付けですが、中身の薬品は前回なかったでしょう? あれは転送装置らしいのですが、1階はあれのためにあるようなもの、という話です」
「て、転送装置……!? すごいですね……!」
ヴィンセントはバロンの説明を聞くと、人の国でも存在しないような科学に目を見開く。彼はガルズェンスでも科学を見ているが、驚くのも無理はない。
転送装置なんていう代物が、このケット・シーの国にあるのも、科学がこの森の神秘に晒されても壊れていないことも、中々にとんでもないことなのだ。
しかし、バロンにとっては科学など特に興味がないものである。自分で見るように促しておきながら、笑いながら2階への螺旋階段登り始めた。
「ははははは! まぁ今は関係ありません。
さっさと2階に上がって進捗を聞きましょう!」
「森の外からやってきたカーバンクル、アール……」
「どうしましたかー、ヴィニーさーん?」
「いや、何でもないよ」
その転送装置を見つめて少し考え込んでいたヴィンセントだったが、もう半分以上登っているバロンに声をかけられると首を横に振る。そして、わずかに上から声が聞こえる階段を登り始めた。
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バロンの後に続いて登るヴィンセントは、叫び声と認識できた声が段々と大きくなってくる中、2階に顔を出す。
すると、目の前で行われていたのは……
「ぐあぁぁ……ッ!! 体が、はち切れッ……!!」
素人目線で見ても、明らかに危険な実験。
暴れないようガッチリ拘束されたリューが、なぜかより筋肉質になった全身から血を吹き出しながら叫んでいるという、目を背けたくなるような実験だった。
「フハハハハッ!! 実験は成功だ!! じきにその薬はお前の体に馴染み、完全に力を操ることができるだろう!!」
「フゥ~!! 残酷な実験も終結♪ 飲食に釣られたオレは、満腹になっちゃって満足♪ リューと同じく、オレの胃袋も悲鳴あげてるぜー、ガハハ!!」
しかも、一緒に残されたアブカンは窓際で果物を食べているし、その実験を行っているアールは満面の笑み。
むき出しの上半身に見られる硬い出来物、裂ける筋肉、暴れる度に来るしげに響く鎖の音色。
どれをとっても、ただただ悲惨だった。
その光景を見たヴィンセントは、もちろん非道な実験を受けている彼を助け出そうと向かっていく。
数少ない常識人であるバロンも、流石にテンションが戻って同じく駆け寄っていた。
「リュー!? なんでこんなことになってんの!?」
「アール! あなたこれはやり過ぎですよ!!」
「ハァ、ハァ……ヴィニー……」
彼らの存在を認めたリューは、叫ぶのをやめて家族の名前を呼ぶ。血は変わらず流れているが、ヴィンセントに拘束された手足が解放されたことで、少しは落ち着いてきたようだ。
彼の腕の中で息を整え、ゆっくり目を閉じていく。
そしてバロンに非難されたアールもまた、前回のような機械的な様子を取り戻していった。部屋に入ってきた2人を見やると、淡々と認めながらもどこか誇らしげに話し始める。
「アールにヴィンセントか。たしかに少しやりすぎたようだ。しかし、それに足る成果が出たぞ」
「成果がなんです! たとえ結果が出なくても、その過程にだって価値はあるでしょう? ここまでやる必要はなかったはずだ! こんなことになる前に止めなさい!!」
彼の言葉を聞くと、バロンはさらに語気を荒げていく。
ずり落ちるメガネを戻しながら、今にも掴みかからんばかりの勢いだ。
しかし、あまり感情的にならず、基本合理的に活動しているアールなのでもちろん気にしない。それどころか、バロンの言い分に対して異論を唱え始めた。
「……もちろん結果以外に価値がないとは言わない。その過程で得るものも多くあるだろう。しかし、その得たものも結局は結果のためにある。故に、結果以外に意味はない。せっかく協力を得られたのだから、最大限成果を求めるべきだ。
決して死なない範囲は守っているのだから、何も問題ない」
「あなたねぇ……!! ちょっと、どこに行くんです!?」
非人道的な研究がどこまで許されるのか。
この議論での結論は、その時々で変わるだろう。
何かに滅ぼされかけているような状況であれば、それに抗う術を得る実験は正義だが、平時に興味本位でそのような実験をすればただの悪だ。
今回のことがどの状況に当てはまるのかは不明だが、一応は本人が同意したことやアールに議論するつもりがないことから、バロンの非難は流される。
彼は背を向けて歩き始めるアールを追っていくも、部屋の奥で立ち止まった当の本人は気にせず機械の操作を始めた。
「どこって、王に加勢を頼むのだろう?
その手助けをする、というのが実験に協力する条件だ」
顔を向けずにバロンの質問に答えたアールは、速やかに機械を作動させていく。壁に巡らされている配線から上階にあるスピーカーに電気を通し、手元のマイクから森中に通告を。
『通告、通告。森に暮らすすべてのケット・シーに告げる。
森の王をおれの研究所まで連れてきてほしい。
これを達成した者には、新開発したこの森で一番美味な果実をくれてやる。速やかに王をおれの元へ連れてきてくれ。
また、王が自ら来るのであれば、それでいい。その場合は、森にその種を芽吹かせよう。捕縛でも誘導でも、諸君は王の意向を読み取り、この研究所への道を開くのだ。
そして、森の客人達に告ぐ。依頼はすべて達成された。
王と行動を共にしているのならば、その場で話してもいい。
だが、王よ。どちらにせよお前はおれの研究所まで来い』
森中への通告を終えたアールは、微妙な表情をして隣に立つデュークを見た後、森の訪問者に視線を移す。
回転椅子に座って無駄に貫禄を見せる機械的な灰猫は、額の赤い宝石――スピネルを輝かせながら口を開いた。
「……さて。では、王の帰還を待とうではないか」